2006年8月14日 (月)

クライアント体験:3ヶ月ぶりのセッションの前

自分のキャパを超える量の仕事をずっと抱えており,本ブログの更新をずっとせずにおりました。秋に立て続けに学会で発表したり,ワークショップやセミナーの講師を担当したりするので(もちろんすべてCBT関連),それらの仕事が落ち着いたら,こまめに更新したいと考えております。それまでは,ごくたまーに,ポツリポツリと・・・。

で,所属機関の月1回の研修会でスタッフ同士で実施している「試行CBT」についてです。4月にインテーク面接,5月に初回面接を実施後,私と相方の都合が合わず,6月,7月にセッションが実現せず,今度の土曜日(8月19日)に,3ヶ月ぶりのセッションが実現する予定です。私の主訴は「禁煙」で,インテーク面接後,めっきりと煙草の本数を減らし,その後多少本数が漸増し,それを維持しているというのが現状です。「今はこのぐらいでいいかなあ」というのが本音で,100箱買った煙草もまだ70箱ぐらい残っているし,吸わなくてよい,あるいは吸ってはいけない時間や場所や状況では,あまり苦もなく吸わずに済ませられるようになったので,自宅や喫煙者の多い飲み会(いまどき珍しい!)では,ほどほどに吸ってもいいじゃない,と自分に言い訳しているのが現状です。

いずれにせよ3ヶ月ぶりのセッションであれば,「3ヶ月の報告」というアジェンダで,ほとんどの時間を使ってしまいそうです(1セッション30分)。3ヶ月を振り返って報告しつつ,現状をセラピストに共有してもらい,そのときどんな気持ちになるかを待って,今後の方針を立てたいと思います。

面白いのが,3ヶ月も間隔が空いても,自分がCBTを開始したというのを忘れる日は一日もない,ということでした。頭の片隅には常にそのことがあって,調子にのって羽目を外した後は,「ああ,そうだったそうだった。私は煙草についてCBTをやっているんだわ」と軌道修正のきっかけにするのです。CBTを受けているという意識が,たとえめざましい進歩ではなくても,ひどい後退(再発)を防ぎ,現状維持をもたらすというのを,身をもって体験しているような感じです。

  というわけで,土曜日のセッションが楽しみです。

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2006年6月22日 (木)

クライアント体験:次のセッションまであと2ヶ月

  今,私が体験している「試行認知行動療法(試行CBT)」は,私が勤務する機関の月1回の内部研修会のときに実施しているものです。なのでセッションのペースは月に1回。かなりゆっくりしたペースですが,急性期ではなく,慢性化した問題を扱うのであれば,この月に1度というペースもなかなか悪くないと,実際にやってみて感じていました。

  が,6月の研修会は相方が研修会を欠席,7月の研修会は私が欠席するはめになり,残念ながら5月のセッションの次は8月,ということになってしまいました。今から数えてあと2ヶ月,この前の5月のセッションから数えて実に3ヶ月ということになります。

  そうとわかったときのクライアントとしての私の反応ですが,確かに残念な気持ちではあるのですが,「とにかく現状を3ヵ月後まで何とか維持して,セラピストに報告したいな」という気持ちが一番強くありました。「3ヶ月あくなら,もういいや,どうとでもなってしまえ」というモチベーション・ダウンでもなく,「3ヶ月あくなら,もっと自分で進めてしまえ」というモチベーション・アップでもなく,維持を望む気持ちです。

  というのも,以前毎日1箱,つまり1週間で7箱以上吸っていた煙草を,今現在週に2箱ペースに落としており,そのなかで「読書療法」をしたり,コーピングカードを使ったり,「吸おうかな,やめておこうかな」という状況でさまざまな自動思考が生じるのを体験したり,「CBTで“我慢”を目指すのは,やはりおかしなことだ」と改めて気づいたり・・・,要はさまざまなことを実感的に体験しており,それだけで今は「いっぱい状態」なのですね。そしてとにかくその「いっぱい状態」を一度セラピストに「報告したい」という気持ちが強くあるのです。報告して落ち着いてから,次のステップに進みたいのです。

  というわけで今回,次のセッションまでの間隔が長いことを知って思ったのは,CBTにおけるセラピストの機能の一つとして,「報告を受ける」「報告を共有する」というのがあるなあ,ということです。「どんなにささいで,つまらないことでも,このセラピストならちゃんと共有してくれるだろう」という信頼があればこそ,こう思えるということも重要だと改めて思いました。

  やっぱりCBTの要は技法ではなく,対話なのだ,ということでしょうか。

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2006年6月15日 (木)

クライアント体験:読書療法感想『禁煙の愉しみ』その1

「禁煙に対する認知行動療法」というタイトルが,実はまずかったと思っています。というのも,私が目指すのが「禁煙」かどうかが,非常にあやういからです。

ただ少なくとも,「遠い先に禁煙できたらいいなあ」という希望的観測のもと,CBTを受け,いろいろと試しているのは事実ですし,面倒くさいので,いちおう「禁煙のためのCBT」ということで,このシリーズ続けていきます。

読書療法の3冊目,『禁煙の愉しみ』(山村 修)について,少しだけ書いてみます。「少しだけ」というのは,本書については,今後いっぱい書きたいからです。また本書を通じて読書療法について改めて考えたことについても,できればちょっとずつ書いてみたいと思っています。

もともと本を読むのが好きな私としては,たとえ実用的な目的であっても,すなわち読書療法目的で読む本であっても,やはり本として読む価値のある,読んでいて楽しい,心に響くようなフレーズが書かれてある本を読みたいものだと思っていました。そういう意味では,読書療法1冊目の『禁煙ファシズムと戦う』は,私にとって実用価値はありませんでしたが,読み物としては,そこそこ楽しめました。逆に『女性のための禁煙セラピー』は,これもあくまでも「私にとっては」という注釈つきですが,読み物としては最低でした。本を読む楽しさ,文章を読む楽しさがまったく感じられなかったので。

  そして今回の『禁煙の愉しみ』です。これはとても素敵な本でした。文章や言葉の連なりとしても素敵。実用書としても素敵。これぐらい素敵であれば,読書療法のお供として,頼りにしたいと思うわけです。本書の何がどのように素敵か,ということについて,今後何回かにわけて書いてみたいと思います。

今日はここまでで失礼します。

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2006年6月 5日 (月)

クライアント体験:読書療法感想『女性のための禁煙セラピー』

  禁煙(節煙)に対する読書療法のご報告第2弾です。

  あの『禁煙セラピー』の著者,アレン・カー氏による『女性のための禁煙セラピー』(2003年,KKロングセラーズ)についてです。

  実は数年前に『禁煙セラピー』は読んだことがあったのです。が,特に何の感想も持たず,そのまま忘れていたのでした。今回あえて購入したのは,「女性のための・・・」という書名に惹かれたのと(美容関係の記述満載かも・・・という淡い期待),『禁煙セラピー』を読んで禁煙した,という人が身近に何人かいたので,読書療法の一環としてまじめに読んでみようと思ったからでした。

  が,結論から言うと,感想は「なんてムカつく本なんだ!」という一言です。今回は禁煙(節煙)を目指すCBTのクライアントとしての立場で,ひねくれた視点ではなく,真面目に読もうと決意していました。本書の冒頭でも,“本書を読むときのルール”として,「心を開いて読む」と書かれてありまして,ふだんなら,このフレーズだけで,「ふん! 心を開いて読めそうな本だったら,わざわざこんなルールを掲げられなくても,自ら心を開いて読むに決まっているじゃない!」と即座にひねくれてしまいそうなところを,「よし,当事者として,ここはあえて心を開いて読んでみよう」と自分に言い聞かせて読み始めたのです。

  この本の特徴は,とにかく読者に,「あなたは単に,自分がニコチンに取り込まれているという錯覚に陥っているだけだ。意志の強弱の問題じゃない。あなたが止めようと思ったその日からタバコをやめれば,それで大丈夫」という“親切で優しい”メッセージに満ち満ちていることです。

  ご丁寧にも,こんなことまで書かれてあるんです。

タバコを吸い続ける人のほとんどが意志の強い人です。タバコをやめられるかどうかではなく,それ以外の面で,スモーカーの精神力を測った場合,禁煙できない人は精神力の強い人がほとんどです。(p.150)

   なんだそりゃ。とにかく禁煙できない喫煙者に対して,否定的でないメッセージを送ろうとする意図が見え見えです。(ヘビースモーカーの言う,「これだけ体に悪いもんを長年吸い続けている自分は,実は意志が強いのだ」という冗談のほうが,よほどマシだと思います。)

  上記のフレーズも含め,読みながら,とにかくムカムカしてくるんです。そしてその“ムカムカ”の正体は,以下のフレーズを読んだときにはっきりとわかりました。

禁煙したあともほかのスモーカーを避けてはいけません。
反対に周りのスモーカーを反面教師にするのです。残りの人生,同じことをしないですむと喜びましょう。スモーカーは惨めな麻薬中毒者です。その本当の姿が見えれば,あなたが感じるのは哀れみだけです。(p.183)

  要はいたるところで二重のメッセージを読者に送っているわけですね。読者に対しては,“禁煙を検討中のあなたは,ちっとも悪くない。意志だって弱くない。大丈夫。ただタバコをやめればいいだけの話。それだってちっとも難しい話じゃない”というメッセージを送りながら,同時に,こういう間接的な表現で,“喫煙者であるあなたは,実は惨めな麻薬中毒者なんだよ。人から哀れまれるかわいそうな存在なんだよ”と伝え続けているのです。戦略なんだろうし,こういう戦略で本書は売れまくっているわけだし,事実,本書によって禁煙できたという人が存在するので,こういう戦略もありだと認めないといけないとは思いますが,こういうダブルスタンダード的表現ってフェアじゃないと思うなあ。少なくとも私自身は,「喫煙者であるお前は惨めな麻薬中毒者だ。それがお前の本当の姿だ。私(著者)はお前に対して哀れみだけを感じるよ」とストレートに書いてもらったほうが,さぞかしスッキリします。

  というわけで,後味の悪い本でした。が,読書療法的には,こういう本を読んだことは決してマイナスではなく,自分の喫煙スキーマ,節煙スキーマ,禁煙スキーマを再確認でき,それはそれで有益だったと思います。また,セラピストとして,こういうダブルスタンダード的メッセージを発することのないよう真に気をつけよう,と襟を正すことができたというのも収穫だったのではないかと思います。

 

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2006年6月 2日 (金)

クライアント体験:コーピングよりモニタリング

  「禁煙」ではなく,「節煙」は,数字的には今のところまあまあ順調に進んでいます。「数字的には」と書いたのは,心理的には結構葛藤する時間帯が多くあるからです。

  数々の禁煙サイトを見ましたが,そもそも「節煙」はダメで,「きっぱりと禁煙」なんだそうです。が,そこまで私はふんぎりがついていないので,吸わない時間を「小さな禁煙(プチ禁煙」と勝手に名づけて,とにかく1日の本数を減らし,少ない本数に慣れることを,当面の目的とすることにしました。

  そのために先日,コーピングシートを作って,それを本ブログでも紹介しました。それをカード状にして持ち歩き,吸いたくなったら常に参照するようにしていましたが,先日ふと思ったのは,「そもそも我慢しようという認知的対処や,我慢するための行動的対処そのものが,ストレスになるからいけないんだな」という,しごく当たり前のことでした。

  CBTではセラピストとクライアントさんで面接目標決める場合,そもそも「・・・しない」「・・・を我慢する」という表現は極力使わないようにします。「・・・しない」という否定的状態はイメージしづらいですし,「・・・を我慢する」なんて楽しくないですもん。「・・・しない」ということは,言い換えれば何をするということになるのか,「・・・を我慢する」というのは,我慢しながら,別の何をするということになるのか,それらは目標として目指したくなるような状態なのか,それを目標にしたら気持ちがウキウキしてくるのか,その目標を達成できる自分を嬉しいと思えるのか・・・という大事なことを,自分のコーピングカードに対して使っていないことに気づき,自分で呆れてしまったのでした。

  コーピングカードは引き続き持ち歩いていますが,そういうわけで,別の目標イメージが必要だなあと思い,それをぼんやりと探しているのが現状です。が,それでも多少の「我慢」を重ね,吸わない時間帯が生活のなかのそこここに発生しておりますので,今はそれをどうやってしのいでいるかというと,CBTの定石ですが,「セルフ・モニタリング(自己観察)」です。ほどよいコーピングが決まるまでは,とりあえずは自分をモニターすることを続け,ストレス下の自分の反応をつぶさに把握するというのが,必要ですし役に立ちます。というわけで,今は,プチ禁煙中と決めている時間帯に喫煙欲求が生じたときは,ひたすら「ああ,またこの欲求が出てきたぞ。こいつがどんな奴で,いったいどうなっていくか,ちょっと様子をみておこう」とモニターするようにしています。我慢を自分に強いるようなコーピングより,そのままのあり様をモニターするほうが,気持ちも楽ですし,むしろそれが吸わない時間帯のコーピングになるようです。

  「コーピングの前に,たっぷりとモニターすることが大事」などということは,上記のとおりCBTの定石で,普段の臨床で実施している(はず)のことなのに,なんと自分のCBTについては,モニタリングを飛び越してあせってコーピングを実施してしまった・・・という「ミイラ採りがミイラになる」(この使い方は合っているかな?)ようなことをしていたのでした。・・・お恥ずかしい話です。

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2006年5月26日 (金)

クライアント体験:読書療法感想『禁煙ファシズムと戦う』

読書療法の途中経過です。

『禁煙ファシズムと戦う』 小谷野 敦・斉藤貴男・栗原裕一郎(著)

これは反嫌煙運動本です。一気に読了しましたが,感想を一言でまとめると,小谷野氏のパート(これが大部分ですが)は,「下品!」に尽きます。

読み物としては面白いです。中島義道氏の『うるさい日本の私』を読んだときと同じ面白さを感じました。

が,「神経症の自分にはストレス解消のために,いつでもどこでもタバコが必要なんだ。タバコごときでうるさく言うでない。タバコなんかより,排気ガスを撒き散らしている車のほうが,よほどひどいじゃないか。タバコに文句言うより,車に文句言え!」という主張を,露悪的に吐露するやり方は,一読者としては面白がれますが,一喫煙者としては気分が悪くなりました。

ただ,共著者である斉藤貴男氏の,小谷野氏に比べればかなり冷静な議論は,それなりにもっともだと頷きながら読めました。(ちなみに斉藤氏は非喫煙者だそうです)

たとえば,こんなくだり。(旧厚生省の補助を受けた,喫煙者の生涯医療費が非喫煙者の医療費をいくらか上回る,という研究報告に対するコメント)。

  人間は何のために生きているのかと,否応なく考えさせられる。ならば肝機能障害に直結する飲酒はもちろん,ケガの原因となるスポーツ,目を悪くする読書,およそ人間のあらゆる営みに同じことが言え,“予防”の対象になり得る。

  長生きしすぎた老人や身体障害者,治る見込みのない重病人,働かない貧乏人,余計なことを言って社会全体の生産性を低下させるジャーナリストや評論家など,皆とっとと死んでくれることが,財政にとっては一番ありがたいことになる。(p.131)

あるいは,こんなくだり。

  このような思考経路を辿って作成された「健康日本21」試案は,その全体像も,ザミャーチンの『われら』を彷彿とさせる,馬鹿馬鹿しいほどの人間管理思想に貫かれたものになった。先に一部を紹介したが,もう少し列挙しておく。

「質・量ともに極端に偏った食事をする者の割合を減らす」(一日最低一食,きちんとした食事を,二人以上で楽しく,三十分以上かけてとる)」

「一ヵ月間にストレスを感じた人の割合を減少させる」

「六十歳における二十歯以上の自分の歯を有する者の割合を増やす」

「適正な身体活動をする者の増加(国民の10%が早歩き毎日30分実行)」

  誰も好きこのんで孤独な食事を摂っているわけでも,ストレスを溜めているわけでもない。早歩きの励行に至っては泣けてきた。私たちはなぜ,国ごときに自分の健康についてまで指図されなければならないのか。(pp.149-150)

公衆衛生的思想というのはそういうもんでしょ,とも思いますが,私自身も斉藤氏が表明している,国や世論の「清潔・浄化志向」に対する強烈な違和感はわかります。それが喫煙に向かえば,「禁煙ファシズム」と呼んでもよいような極端な主張や制度化につながりうることにも同意します。

斉藤氏は非喫煙者です。そして私は小谷野氏の露悪的態度より,非喫煙者ながら本書に寄稿した斉藤氏に与したいなあと思います。つまり,小谷野氏のように,人びとに抗議されながら,そしてあらゆるところでトラブルを起こしながらといった,つまりバカバカとタバコを吸い続けるといったやり方以外で,「禁煙ファシズム」的なこととは戦いたいなあと思うわけです。

試行CBTを通じて,自分の「タバコスキーマ」をメタ的に考えることの多い今日この頃,いろいろなヒントを与えてくれる本ではありました。

読み物として面白かった分,『女性のための禁煙セラピー』よりはずっとよい本かも。(『禁煙セラピー』については,近日中に書きます。本当に嫌な本でした)

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2006年5月20日 (土)

クライアント体験:読書療法

試行CBTの初回セッションを受けて,5月15日から100箱作戦(別名「超節煙作戦」)を開始して今日で6日目。

これまで1日1箱,場合によってはもっと(飲みにいくと急増)でしたが,コーピングシートを用いつつ,1日平均5本ペースで落ち着いております。これが第一の落としどころという感じがします。仕事中はほとんど吸いません。仕事前,仕事後,帰宅後,夕食後,就寝前という感じです。

が,今日これからお酒の入る食事に行きますので,これが鬼門だな(相手もスモーカー)。明日はタバコ大嫌いな人(母親なんですが)と食事に行きますので,これも別の意味で鬼門です。ただいずれにせよ,「エクスポージャー」と思って臨むことにします。

ところでCBTと言えば読書療法(bibliotherapy)。希望するクライアントさんには積極的に本を紹介し,セッションで検討することも多々あります。というわけで,私も読書療法してみようと思い,次の本を注文,すでに到着,①を読み始めております。

『禁煙ファシズムと戦う』  小谷野敦 他

『女性のための禁煙セラピー』  アレン・カー

『禁煙の愉しみ』  山村 修

①は,禁煙・節煙サポートのため,というより,自分のタバコに対する認知(というよりスキーマに近いもの)を再構成するための参考にするためです。結構笑えます。②は,あの『禁煙セラピー』の著者ということで,ちょっと引き気味なのですが(かなり前に読みましたが,しかけが見え透いており,ひねくれ者の私は素直になれなかった),やはり定番ということで,今度は素直に読む努力をしたいと思います。一番期待しているのは,③。タイトルからして,そそられます。

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2006年5月19日 (金)

クライアント体験:コーピングシートの内容

またまた禁煙(というか超節煙)に対する試行CBTのご報告です。

先日の記事にも書きましたが,初回セッションを受ける前に,初回セッション後すぐに100箱作戦を開始したいと考え,自分なりにコーピングシートを作成しておりました。今日はそのご紹介です。

コーピングシートとかコーピングカードは,認知行動療法ではよく使われる技法ですが,どうってことありません。予測される問題状況に対処したり,予測される望ましくない反応を予防したりするために,予め具体的なコーピングを決めておき,それをシートやカードに記入し,持ち歩いて,いつでも参照する,というものです。

以下に私の作ったコーピングシートの内容を,一部示します。

●予測される問題状況

・前回の喫煙から1時間ぐらい経ったのを確認したとき

・今後1~2時間,タバコを吸えないと認識したとき

・食事を終えたとき   ・ちょっと一息ついたり気分転換したいとき

(以下略)

●予測される自分の反応

・「タバコ吸いたいな」「吸っておこう」「吸っておかなきゃ」と考える

・タバコを吸う準備をする(例:場所や灰皿の確保)

・1本取り出して吸う → とりあえず満足する

●上記の状況・反応への認知的コーピング

・「その1本を,とりあえず次まで吸わずに取っておこう」

・「実は,吸わなくてもいいんじゃないの?」

・「タバコをやめると,どんないいことがあるのかな。5つ考え出してみよう」

(一部略)

●上記の状況・反応への行動的コーピング

・タバコを吸える場所,状況から離れる

・腹式呼吸をする。息を吐きながら煙を吐いた気になる

・「吸わないことにする」と声に出して言う

・ガムをかむ,あめをなめる,水を飲む

・タバコをやめることによって得られる「いいこと」を5つ書き出す。もしくは頭の中で考える

・「タバコを吸う」以外の行為に注意を向ける

・以上の対処でしのげなかったら二コレットを噛む

・それでも駄目なら1本吸う

(一部略)

・・・とあらためて書いてみると,まったくもってありきたりの内容で,さらに「駄目なら1本吸う」などと自分に甘いのが笑えます。

  が,コーピングシートやコーピングカードの目的は,何か特別な対処法を発見したり実施したりすることではなく,問題状況に身をおいている際に忘れてしまいがちなコーピングを外在化しておき,いつでもそれを見られるようにしておく,というしかけを作ることなので,まあこれでも良いのでしょう。あとはこれをちゃんと活用するかどうかですが,今のところ,まあまあかな。(なにしろ「駄目なら吸う」までコーピングに入っているので,失敗というのが起きようがないのです)

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2006年5月14日 (日)

クライアント体験:第1回セッション

最近この話題ばっかり。

昨日,試行CBTの第1回セッションがありました。時間は30分。内容と感想を簡単にまとめてみます。

●昨日のアジェンダ

1.ホームワークの確認

2.コーピングシートの共有

3.CBTモデルに基づく現状のアセスメント

4.まとめ(ホームワークの設定とフィードバック)

●アジェンダ1.ホームワークの確認

「人生最後のタバコ」を100箱揃えて,箱に番号をつける,というのがHWでした。これはきちんとやってあったので,得意気にセラピストに報告しました。携帯の写真という証拠も見ていただきました。

●アジェンダ2.コーピングシートの共有

このアジェンダは私から提案したものです。数回のセッションを使って,綿密にアセスメントをして,計画を立ててから,超節煙を始めるか,もう100箱揃えたので,早々に超節煙に取りかかるか,少々迷ったのですが,セッションが月に1回ですので,計画立てまできっちり実施するとなると,数ヶ月かかってしまいます。それはちょっともったいないと思ったので,自発的にコーピングシートを作って,タバコを吸いたい状況と,そのときどうやって吸わずにしのぐかという認知的コーピングと行動的コーピングについて,シートに記入して,セラピストと共有し,OKということであれば,開始しようと考えたのでした。

というわけで,シートをセラピストに見せ,これでOKということだったので,早速超節煙に取りかかることになりました。(明日から,と決めています)。コーピングシートの中身については,また後日。

●アジェンダ3.CBTモデルに基づく現状のアセスメント

これは前回合意していたアジェンダであり,セラピストから改めて提案されたアジェンダでもあります。セラピストは「タバコを吸いたい場面を切り取って,具体的にアセスメントしましょう」と提案してくれたのですが,この作業はすでにコーピングシートを作成するときに,自分のなかで完了した感があるため,私からは,「むしろ,現状を少しまとめた形でアセスメントしたい」と提案・依頼しました。それが受け入れられ,セラピストとやりとりしながら,まさに今,超節煙にとりかかろうとしている現状を,CBTのモデルに沿って同定し,それをセラピストがアセスメントツールに書き込んでいってくれました。現状が外在化され,整理されたことによるスッキリ感がありました。(アセスメントの内容や感想もまた後日。)

●まとめ(ホームワークの設定とフィードバック)

ホームワークは,①コーピングシートを用いて超節煙に取りかかること,②毎日の本数を手帳にメモすること,③1日3本以内なら300円貯金することにしたので,その合計値も手帳にメモすること,の3点になりました。最後に本日のセッションの感想を私がフィードバックしました。セッションを通じて,「いよいよだな」と強く思いましたので,シンプルにそれをセラピストに伝えました。

以上が,初回セッションの報告です。こうやってまとめてみると,認知行動療法がいかにセッションを構造化するか,ということが改めてよくわかります。また前回のインテークは15分,今回のセッションは30分で,私たちが通常実施しているセッション(45~50分)に比べると短いのですが,それでもかなりいろいろなことができるなあ,という感想を持ちました。これもCBTの構造化という特徴が寄与していると思われます。

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2006年5月12日 (金)

クライアント体験:初回セッション前夜の気持ち

早いもので,明日が試行CBT,初回セッションです。(前回はインテーク面接扱いでした)

「禁煙しようかな,どうしようかな」という,何とも曖昧な主訴を語ったインテークから早一ヶ月,いまだに心が定まりません。

一応,「人生最後の100箱」を買い揃え,1から100まで番号を振る,というホームワークは実施しました。それどころか,もし明日からその100箱に手をつけるということになったら,という予測のもとに,コーピングシート(問題となりそうな場面において実行可能な,認知的コーピングおよび行動的コーピングを具体的にリスト化するシート)まで自発的に作成してしまいました。明日はできれば現状をCBTのモデルでアセスメントしてもらい,さらにコーピングシートをセラピストに共有してもらったうえで,100箱作戦を開始する決意を固めたいと考えています。

セッションの前夜の今,半分気が重いのですが,半分は結構楽しみでウキウキしている感じです。「それはあくまで試行CBTだからでしょ?」という声も自分の中にあるのですが,反面,CBTを受けに来る本物(?)のクライアントさんたちが,「来るのが楽しい」「(セッションを終えて)今日も楽しかった」「今後どうなるか楽しみ」というように,結構「楽しい」という語を使ったフィードバックをしてくれることがあることを想起し,「そっかあ,クライアントさんたちは,こういう感じで『楽しい』って語っているのかなあ」と考えたりもしています。

ともあれ,明日のセッションを経て,私はとうとう禁煙,というか超節煙の道に踏み出すのかどうか,ちょっとドキドキしていますし,やっぱり楽しみです。

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2006年5月 1日 (月)

クライアント体験:ホームワークやりました!

試行CBTのネタばかりですみませんが,今回もこれです。

私の主訴は,禁煙ですが,とりあえず前回のインテーク面接時に設定されたホームワーク(といっても,私がセラピストさんに提案させてもらったのですが)は,「100箱作戦」のために,とりあえず100箱煙草を買って,箱に番号を振る,というものでした。

ということで,日々,せっせと煙草を買い続けていたのですが,先ほど溜まった煙草がどうやら100箱程度はあるように思われたので,数を数えてみたところ,106箱になっており,そのうちの100箱に「1」から「100」の数字を振り(箱の底に油性マジックで書き込みました),番号順に紙袋に並べました。

そこでふと思ったのが,「紙に書くスタイルのホームワークなら,それを次のセッションに持参すればよいが,このホームワークを実施したことを,セラピストにどう伝えたらよいのだろう?」ということでした。「ホームワークやりました! 自宅にナンバーの振られた煙草が100箱,待機してます!」と口頭で伝えるのでも良いのでしょうが,せっかくやったホームワークなので,もう少し「本当にやったんだよ!」ということをセラピストに伝えたいと思い,携帯で写真を数枚撮りました。次回の初回セッションでは,その写真をセラピストに見てもらおうと思います。やっぱりせっかく実施したホームワークは,できるだけセラピストに共有してもらいたい,と考えるわけです。

CBTは「協同的問題解決」である,と折に触れて私は言っているのですが,実際に「クライアント」としてホームワークをやってみて,やはりクライアントの視点からも,「確かに主役は自分だが,セラピストと共に問題解決していくんだ」と思えるのだ(もちろん全てのクライアントさんがそうだとは言いませんが),ということが実感できたような気がします。

ホームワークをやると,さらに次のセッションが楽しみになってくるのも面白いです。CBTのクライアントさんは,CBTについて,「楽しい」「面白い」という感想をおっしゃる方が多いのですが,「なるほど~」という気がします。

とにかくこの「クライアント体験」,何から何まで新鮮です。当面,この話題ばかりかもしれませんが,お付き合いいただけますと幸いです。

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2006年4月27日 (木)

クライアント体験:他者による問いの力(2)

  またまた試行CBTの報告です。(最近,こればっか・・・笑・・・しかし,貴重なクライアント体験については,できるだけ事細かに記録しておきたい)

  セラピストに主訴をおずおずと語った後,「どうしてあなたは禁煙したいのですか?」と改めて問われた際,ほんの数秒あるいは十数秒だったと思うのですが,ものすごく真剣に,かつ,めまぐるしく,自分のなかで改めて自分に問いました。「どうして私は禁煙したいなどと,この場で言っているんだろう?」と。

  で,出てきた答えは,「私は煙草を止めたいのではなく,今の,この世の中で,【煙草を吸う人】であることを止めたいんだ」ということでした。

  改めてまとめると,私は煙草を止めたいのではないのです。そうではなく,煙草を吸う人を「かわいそうな人」扱いする,今の世間の情勢において,そのような「かわいそうな人」扱いされるようなポジションにいることが嫌なんだ,ということです。

  そのように答えてみて,なんだか非常に,「あ,そうだったのか」とスッキリしてしまいました。このスッキリは,問われて初めて気づいたからではなく,これまでも間違いなく,うすうすそう思っていたのですが,問われて自ら改めて考え,その考えを口にすることによって,それをはっきりと目の前の他者(セラピスト)に対し,明確に言葉にできたからこそ得られた感覚だと思います。

  これがCBT的コミュニケーションにおける,ソクラテス式問答のもつ力なんだと,答えたあと,やけにしみじみと感じてしまいました。クライアントとしての私は,この問答を体験できただけで,インテークを受けてよかった,と満足しています。

  しかしひるがえって,普段セラピストとしてCBTを実践する者としては,「問いの力」の大きさについて気をつけなければならないと,改めて実感しました。ある問いを問われて,それに答えるだけで,これだけ満足できる場合があるということは,逆もあるということです。つまり,セラピストの問いに対して自問するだけで,これだけ満足できる場合があるということは,逆に,問われることによって大きく心が揺さぶられる場合がありうるということなのだと思います。

  この「問いのもつ力」については,私なりに注意して,用心深くひとつひとつの問いをクライアントさんに発してきたつもりではありますが,今回のこの体験によって,自分の発する問いに対して,さらに自覚的になろう,と決意した次第です。

   ・・・という具合に,たった15分間の試行CBTのインテーク面接を体験しただけでも,あれやこれやと様々な感想が生じること自体に,新鮮な驚きを感じています。(で,こうやってブログに垂れ流している・・・)

   ・・・などと書きつつ,次回のセッションまでのホームワーク(生涯最後の煙草を100箱用意して,各箱にナンバリングする)には,いまだ全く手をつけていなかったりするのでした。(それにしても「100箱」という数量に,未練がましさを感じるなあ)

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2006年4月25日 (火)

クライアント体験:他者による問いの力(1)

またまた試行CBTの話題です。

インテーク前に様々なことを考えているうちに,とうとう試行CBTのインテーク日当日となりました。当日ともなると,「とうとうこの日が来てしまった」「もう逃げられない」といった認知(自動思考)が生じ,気分的にも「開き直り」に近い感じになってきます。そして,「どうせ始めるんだから,つべこべ言っていないで,セラピストに助けてもらいながら,やれるだけやってみよう」と,なかばやけくそ気味な自動思考が浮かんできました。そしてとうとうセッションが始まりました。

時間の都合で,当日は1回15分の「インテーク面接」という設定でした。インテークなので,本題に入るのではなく,「何を主訴とするか」「その主訴に対して,どのようにしてCBTを進めていくか」といった話を中心に行われたのですが,この日一番の収穫は,私がおずおずと「一応,禁煙したいということを主訴に進めていってほしいのですが・・・」と言い出したことに対し(中途半端なモチベーションなので,どうしても「おずおず」「もじもじ」と言い出す感じになっちゃうんですね),セラピストの言った「どうして禁煙したいのですか?」という問いに対する自分の反応でした。

  セラピストの質問に答えようとして,しばらく考えているうちに,自分が「禁煙」を主訴とする理由,つまり「どうして?」に対する答えが,突然自分のなかでとてもクリアになり,自分自身で非常に納得してしまったのです。

  一応「禁煙」を主訴に,この試行CBTに臨もうと思っていたぐらいですから,「自分はなぜ今回,この試行CBTにて,禁煙しようとしているのか」などなど,さまざまな自問自答はすでに発生していました。しかし,そのような自己完結的な自問自答と,目の前のセラピストから,つまり他者から発せられる問いに対して行われるオープンな自問自答とは,全く違っていたのです。その違いを,このとき,まざまざと実感しました。

  自己完結的な自問自答の場合,結構アバウトな回答で満足して,終わってしまうのですね。禁煙で言えば,「やっぱり世間の目は厳しいし」「健康に悪いし」「お金ももったいないし」などなど,ありがちな回答で適当に満足して,「だからやっぱり禁煙したいよね」とへらへらと考えるに留まり,それで終わり!という感じです。が,目の前にいるCBTのセラピストから,「どうして禁煙したいの?」と聞かれたときには,自己完結的な自問自答とは全く異なる真剣さで,思わず自問してしまっていたのです。「本当にあなた(自分)は,なぜ禁煙したいのか。なぜ禁煙を主訴に,CBTを始めようとしているのか???」と。これがまさに「問いの力」なんだなあ,と実感しました。

  そして,セラピストを目の前にして,あれこれと考えた結果,「あ,そうか!」というぐらい,自分にとっては明確な,禁煙したい理由が浮かび上がってきたのです。まさに「浮かび上がってきた」という感じでした。浮かび上がってきたものをつかまえて,「あ~,なるほど,そうだったのか~」と,自分のことなのに,改めてびっくりする,という感じでした。

  とりとめがなくなってきましたし,長くなってきましたので,自問の結果気づいたことについては,次の記事に書きます(といっても,大したことに気づいたわけではありません。私としては,気づきの中身より,セラピストとの対話のなかで,今までとは違う「気づき方」をした,という体験ができたこと自体が,むしろ新鮮でした。・・・といちいち伏線をはること自体が,禁煙に対して覚悟が決まっていない証拠かも・・・笑)

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2006年4月20日 (木)

クライアント体験:インテーク前の心の揺れ

  クライアントとして,認知行動療法(内部研修会での試行CBT)を受けることが決まってから,昨日も書いたような認知的,行動的変化が自然に起きたのですが,その体験が自分にとっては非常に新鮮でした。そして全く同一とは言えないと思いますが,我々がやっているような民間機関にインテーク面接を申し込んでくださるクライアントさんの思いを,これまでよりほんの少し,より理解できたような気がしました。(あくまでも「そんな気がする」というレベルですが)

  特に私が「ああ,なるほど,そういうことなのか」と思ったのは,「あまり早急に進めないで欲しい」「ゆっくりと進めていってほしい」「主訴を解消したいのはもちろんだけど,でも,時間をかけて徐々に変わっていきたい」というクライアントさんの思いです。

  そのようなクライアントさんの思いと,私ごときの「禁煙してみるかな」という半端な思いを一緒にするのは,ある意味大層失礼なのかもしれませんが,それでも研修会の「試行CBT」といえども,一人のクライアントとして真剣にCBTを受けようとする者からすると,確かに主訴を何とかしたいという思いはあるのですが,でもそのような主訴を抱えている自分は,これまでも,今も,これからも自分として生きていく自分であって,主訴もそのような自分の一部なのです。とすると,たとえ主訴であっても(すなわち解決したい問題であっても),それらとある程度じっくりと向き合い,ちゃんと考え,納得して解決の道を探り,辿っていきいたいのです。

  ・・・といった体験を通して,CBTの進行について話し合う際,「ゆっくりと進めていってほしい」などといった希望を出されるクライアントさんの思いが,これまでよりもう少し実感をもって理解できるような気がしたのでした。

  (いきなり話が大きくなりますが)人は「変わりたい」と思うと同時に「変わりたくない」と思う存在なのだと思います。その人は,これまでも,今も,これからも,変わらず「その人」であり続ける限り,それは当然の思いだと思います。だからこそ,問題解決志向の認知行動療法を実施する者としては,あるいは,トライアルで認知行動療法をクライアントとして受ける者としては,何らかの問題を抱える自分自身は自分自身として大事にして,一方で,何とか解決したい問題は,協同作業を通じて,解決のための努力を続けたいものだ,と今回の体験を通じて,改めて実感した次第です。

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2006年4月19日 (水)

クライアント体験:インテーク前の認知と行動

  「禁煙」を主訴として,「クライアント」の私が試行CBTに臨むことにしたのは,昨日書いたとおりです。

  面白いことに,4月15日の「インテーク面接」に向けて,私はいろいろと考えたり行ったりしました。その例を挙げると・・・

1)自分が本当に禁煙したいのかどうか,自問自答が始まりました。本当に禁煙を主訴として試行CBTが始まってしまうと,それに向けて動かざるをえなくなることはわかっています。だからこそ,インテーク前に,「本当に禁煙を主訴にして,CBTを受けることにしちゃっていいの?」「それだけの覚悟はできている?」「もう少し達成しやすい別の問題を主訴としたほうがいいのでは?」「でもめったにないチャンスだから,やはりこれを機に頑張るべきなんではないか?」「もしうまくいかなかったら,『弱い人間』だと,セラピスト役の相方や仲間に思われてしまうのではないか?」・・・etc,とにかく試行CBTのことを思うだけで,さまざまな自動思考が頭を飛び交うのです。

2)禁煙に向けて,私の行動プランはすでに決まっていました。「生涯最後の100箱」を購入し,その100箱を吸い切ってもよいし,途中で吸わなくなっても良いのですが,とにかくきっぱりと辞める勇気も意志もない私としては,「残り100箱」から節煙をスタートして,その100箱が尽きる前に,今とは別の状態に落ち着きたいと考えておりました。というわけで,すでにインテーク前に,せっせと100箱を買い揃える行動を始めておりました(よくわからないのですが,カートン買いはしたくないのですね。自販機とかコンビニでふだんなら1つ2つ買うところを,3つ4つ購入して,せっせとためておりました)。思えばおそらく,インテーク時に主訴をセラピストに述べるとき,「すでにそれなりにやる気になっている。その証拠として,『100箱プラン』というのが自分にあり,そのための行動をすでに起こしているのですよ」と,セラピストにアピールしたかったのでしょう。

というわけで,認知的には自問自答,行動的には100箱の溜め込みをすでに開始した時点で,4月15日のインテーク面接の日を迎えたのでした。(つづく)

(書いていて馬鹿馬鹿しいような,「こんなことブログに書いちゃっていいのだろうか」と恥ずかしいような気持ちになってきましたが,これも一種の「エクスポージャー」と考え,とりあえず書き続けます。・・・ああ,恥ずかし)

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2006年4月18日 (火)

CBTのクライアントになることになりました!

  これまで当ブログの記事を書くにあたり,ワードで一度文書を作成し,それを貼り付けていたのですが,その作業自体が結構面倒くさくなり,更新を先延ばしにしていた側面がありました。(研究者(の端くれ)の性なのか,本来は強迫的な人間では全くないのですが,「文書やデータの管理だけは,出来る限りちゃんとしておかないと,後で面倒くさいことになる」というビリーフに基づき,そうしていました) が,しかし,「本ブログを自分用の備忘録に使うのであれば,そんな面倒なことをしなくてもよいのではないか」という,まことに自分に都合のよい「適応的思考」をでっちあげ,そういう文書管理いっさいなしに,今日から直接書き込むことにしました。というわけで,系統立てて記事をアップしていく,というこれまでの野望(?)はいっさいチャラにして,そのときどきの思いつきで,何とか当ブログの存続を図ろうと思います。(当ブログが存続しなくても,誰にとっても何の支障もないのですが,CBTについて好きなことを書き散らす場を,自分のためにとりあえず残しておきたいという気はします)

  というわけで,やっと本題なのですが,私自身がCBTを受ける立場,すなわちクライアントになるという,面白い企画が始まったので,これについては随時,当ブログで報告することにいたします。

私が運営する,とあるCBT専門機関では,月に1度,スタッフが勢揃いする内部研修会を実施しています。今年度の通年テーマとして,スタッフ同士でペアを作り,1年間かけて,セラピストとクライアントをお互いにやりあう「試行CBT]というのを実施することになりました。

  これはあるイベントの後の飲み会でアイディアが出たもので,コンセプトとしては,「精神分析には教育分析があるのなら,認知行動療法でもそれに該当する研修があってもよいのではないか」というものでした。しかし症状や問題に焦点をあてるCBTの場合,いわゆる「主訴」がないと始まりません。そこで「果たしてみんな,主訴はあるのかな?」という話になったところ,それが出してみれば,皆それぞれ,大なり小なり「主訴」と呼べるものが結構あったのです。というわけで,「だったらせっかくの機会だし,面白そうだから,研修会を使って試行CBTを皆でやってみよう!」という話になり,やっと実現までこぎつけたのでした。そしてあみだくじで,スタッフ同士ペアを組み,先日めでたく,「試行CBT」初回面接が実現したのでした。

  これまでCBTのトレーニングの一環として,小さなロールプレイは体験したことがありましたが,継続的にクライアントとしてCBTを受けるのは初めてです。このような貴重な体験をすることはめったにないことだと思いますので,今後,当ブログでは,私の「クライアントとしてのCBT体験」を,断続的に紹介していきたいと思います。

  で,先日,「初回面接」がありました。これは「インテーク面接」扱いのセッションです。たった15分間でしたが,得るところがしっかりありました。これについては後日,別記事を書くとして,とりあえず,今回の試行CBTにおける私の「主訴」だけ今日は紹介しておきたいと思います。(あ,いちおう,私とペアを組んだ相方さんからは,この件を当ブログに紹介する承諾は得ております。クライアントがセラピストに承諾を得る,というのもなかなか面白いものですね)

  私の主訴は 「禁煙」です。

  以上!(笑)

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