2006年12月29日 (金)

よいお年を&ブログ長期休止のお知らせ

ブログを休止状態にして,早数ヵ月が経ちます。

なぜ休止状態かというと,2つ理由があり,1つは単に時間がない,という単純な理由です。しかし「時間がない」というのは言い訳に過ぎず(本当に必要だと思ったら,時間なんて,何とかひねりだせるはずですもん),大きいのはもう1つの理由です。

それは,このままCBTおよびストレスコーピングに特化したブログを続けるとしたら,どうしても自分の実名を挙げないと書けないテーマが増えてきた,ということです。あるいはそういう状況になってきた,ということです。

ここ数ヵ月,この件についてどうしようか,自分の中であれこれ検討してきましたが結論が出ません。そもそも当ブログを始めた動機は,CBTについて好きなように自分の思うことを書いてみたい,好きなように書くことによって,認知行動療法家としての自分の考えや今後の方向性を検討したい,ということでありました。そしてそれを公表することによって,皆さんからフィードバックをいただき,さらに自分自身の検討を豊かにしたい,と思っていました。

今でもそれは変わりません。要は個人的なことを書くニーズは私にはなく,ブログを続けるなら,それはひたすらCBTについて考えてみたい,という動機しかないのです。しかし困ったことに,これ以上好きなように書くとしたら,どうしても実名を出して自分がやっていること(仕事というのは,もちろんそういうものですが)に言及せざるをえない感じになってきてしまいました。

そこで,だったらブログのタイトルも変え,思い切って自分の実名を出して,この際CBTについて言いたいことを言ってやれ,ということも考えてみました。しかしそんなことをするほどの「実名」でもありませんし,そもそも,そんなことをする暇があれば実名での活動(すなわち仕事ですが)で,遅れに遅れている数々の案件をなんとかせい!というお叱りの声が届くことは必須で,届かないにしても自分がうしろめたく思うことは間違いなく,そしてそれは当然のことであって,ブログを更新する10分があれば,その10分を,遅れている仕事(翻訳と原稿書きがほとんどなんですが・・・泣)をしなければならないだろうと,毎晩仕事から帰っても夜中までPCに向かう毎日を,この数ヵ月というか1年ほど続けております。

というわけで中途半端なまま,当ブログを放置しておりましたが,とりあえず当ブログはこのまま放置し続けることに決めました。これまでの記事が,いくらかでもお役に立つことがあるかもしれませんし,溜まっている仕事が片付いたあかつきには,また今の匿名状況でブログを再開する気になるかもしれませんし,あるいは実名を出してリニューアルすることに決めるかもしれませんし,要はどうなるかよくわからないのでそのままにしておく,ということです。

というわけで当面更新はいたしませんが,これまでの記事に対するコメントは大歓迎ですし,私自身はできる範囲で地道にCBTの実践や勉強や研究を続けていく所存ですので,今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

それでは皆様,どうぞ良いお年をお迎えください。

追記:禁煙をすることは止めました(とほほ)

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2006年9月 7日 (木)

目の前のことにひとつずつ取り組む

本ブログ,久しく更新していません。

学会であれこれと発表する機会があり,その準備に追われているのと(もちろん,すべてCBTに関連する発表です),某大学院での集中講義(もちろんCBT関連)や,その他企業などでのセミナー(CBT関連もあればメンタルヘルス関連もあり)の仕事でいっぱいいっぱいだからです。もちろん通常の面接業務などはいつもどおり行っております。

こんなときは,もう,「こういう状況なんだから仕方ない」と潔くあきらめて,目の前の仕事をひとつひとつ片付けるしかありません。できればそれぞれの仕事を自分の満足いくまできっちりと仕上げたいのですが,物理的にそれも無理な場合は「とにかく及第点まで仕上げて,それで良しとする」というラインで折り合いをつけるしかありません。

・・・と,ほとんど自分に言い聞かせるための認知的コーピング用ひとりごと記事でした。

CBTにご関心があり,今後開催されるいくつかの学会に参加される方には,お目にかかる機会があるかと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

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2006年7月17日 (月)

性犯罪被害者支援研修会に参加しました(2)

臨床心理士会主催,被害者支援研修会(とくに「性犯罪被害者支援」という分科会)に参加しての感想のつづきです。

●「なぜ人間性心理学の立場か」の説明をするべきではないだろうか

分科会後半は,B先生の事例発表でした。(つまらない冗談が頻発されないだけ,私の怒りは鎮まりました。)B先生の事例は,性犯罪被害者でPTSDに陥った方に対する,年単位にわたる面接過程を示したものでした(事例についてはこれ以上詳しくここでは紹介しません)。B先生は,前記A先生と同様に,「人間性心理学の立場」に立って,臨床を行っているのだそうです。私自身,人間性心理学の立場による臨床実践がどのようなものか,よくわかっておりませんので,事例そのものについてはとくに感想や意見はなく,しいて言えば,「どんなひどい体験をしても,そこから立ち直る人間の力ってすごいなあ」という,ごくシンプルな感想を,事例に対してではなく,事例に登場したクライアントさんに対して抱きました。

私が疑問に思ったのは,この事例の内容ではなく,「なぜA先生やB先生は,人間性心理学の立場で,性犯罪被害者でPTSDに罹った人の臨床を行っているのか」ということです。PTSDの治療といえば,特にエビデンスという視点から見れば,やはりCBT(特に長時間暴露(PE))や,EMDREMDRCBTに含まれるか否かは,別の議論として重要ですが,ここではちょっと保留)の話が欠かせないと思います。とすると,CBTEMDRを使わず,人間性心理学の立場でPTSDの臨床を行うのであれば,その根拠を教えてもらいたかったのです。

私自身,PTSDの臨床経験は豊富ではなく,PEを実際に実施したこともなく,治療効果のエビデンスとは別に,実際に自分がPTSDの方を担当するとなると,「今の自分が安全にできるアプローチはどのようなものだろうか」との問いを立て,計画を立てると思います。つまり「エビデンスがあるから,絶対にPEをやるべきだ」とか,「効果の発現のありようが明確になっていないけど,とにかく効くからEMDRを実施すべきだ」などとは毛頭思っておりません。だからこそ,B先生らがあえて人間性心理学の立場からPTSDにアプローチするその根拠や効果について,きちんと説明してほしかったのです。「だったら質問タイムに訊けばいいじゃないか」というツッコミもありましょう。が,私の偏見と思い込みですが,そういう質問をしてもそれに納得のいく回答が返ってくるとはとても思えませんでした。そういう質問に対し,十分に納得できる回答が返ってくるような吟味がなされているのであれば,事例発表時にそういう話があったはずだからです。

●「感動しました!」のコメントの嵐

お二人の先生のお話の後は,フロアからコメントが出され,質疑応答が行われました。上記の私の疑問をぶつければよかったのかもしれませんが,あまり回答に期待が持てなかったのと(もしかしたら「ネガティブな結果の先取り」という認知的歪曲?),そもそもそういう批判的なことを皆の前で発言する勇気がなかったので(これは単に「すみません,私が情けない人間なんです」として言いようがありません),私はひたすら黙って,他の方々の発言を聞いていました。

コメントの多くが,事例に対して「感動しました!」というものでした。また他には,「性犯罪の加害者は絶対許せない!」とか,「自分にも娘がいるが,性犯罪だけには遭わせたくない」といったコメントも聞かれました。それぞれのコメントにこめられた思いはわかりますが,「性犯罪被害者支援研修」というアジェンダはどこに行っちゃったのでしょう?他に,参考になるコメントや質問もあり,最後の質疑応答の時間はそれなりに勉強になったやりとりもありましたが,全体的には徒労に終わった研修会参加でした。ひどくもやもやしてしまいました。

この事例も,たとえば心理臨床学会の事例研究発表で発表されるのならいいのですよ。発表聞くのにお金払わないし,そもそも抄録を見て,事前に内容について検討できますから。しかし,今回は前にも書きましたが,臨床心理士会主催の,研修ポイントが発生する,いわば会としては「公的」な研修会です。心理士会主催の研修は,「こころの健康会議」や資格認定協会主催の研修会と並んで,資格更新の際には,必ずポイントを取得しておかなければならない研修の一つです。そういう研修会の質を誰がどうやって担保するのでしょう?

・・・というわけで,ごちゃごちゃ書きましたが,日本の心理臨床の現実に直面するような体験は久々だったので,ある意味,よい体験だったのかも・・・。早々にこの領域でのポイントを取得できたし・・・。と,貴重な休日とお金を費やした体験だったので,強引にポジティブな意味を付与して,本記事終わりにします。

あーあ(笑&ため息)。

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2006年7月14日 (金)

性犯罪被害者支援研修会に参加しました

日本臨床心理士会が主催する第8回被害者支援研修会に参加するため,先週末は福岡まで行ってきました。午前中は全体の講演会。午後が4時間かけて,分科会。私が参加したのは,性犯罪被害者支援の研修会です。わが国で今年からスタートした性犯罪加害者の矯正プログラムに,認知行動療法(CBT)が正式採用され,私もそのプロジェクトにほんのちょびっと関わりがあるので,だったら被害者支援についても,「最新の知見」を入手しておきたいと考え,自腹(航空券代,ホテル代)を切って福岡まで行くことにしたわけです。今思うと,臨床心理士会主催の研修会に「最新の知見」を期待した私が馬鹿でした。今回は,この研修会,とくに分科会に参加しての,批判的感想です。

●テキスト読んで入手できる話ばかりを聞かされた(しかもPTSDについて)

分科会のタイトルは,「性犯罪被害者支援」のはずなのに,分科会前半のA先生のレクチャーは,その4分の3が(もっとかも),外傷後ストレス障害(PTSD)についてでした。しかも,PTSDの三大症状についての話を延々とするなど,要はテキストに書いてあるような話ばっかり。私が聞きたかったのは,PTSDの症状についてではなく,性犯罪の被害やその支援についてなのに・・・。そもそもそういうタイトル(アジェンダ)だったからこそ,この研修会に参加したのに・・・。たとえば,性犯罪被害に遭った人でPTSDに罹る人の割合がどのぐらいで,その違いは何か,といった話を私は聞きたかったのです。また,性犯罪被害によるPTSDの治療は,他の原因によるPTSDに対する治療と同じように考えてよいか,それとも何か別の配慮が必要か,といった話があるものと期待していたのです。(CBTではアジェンダ設定と,アジェンダに沿った話の展開を重視します。そういう話の組み立て方に慣れている私としては,アジェンダ通りにやってもらいたく,とにかくイライラしっぱなしでした。しかも,頻発される冗談がつまらない。つまらない話を聞かされると,たいてい眠くなる私でしたが,怒りで眠気も発生しない状態でした。)

臨床心理士会が主催する,研修ポイントを授与する研修会ということは,会としては公的な意味合いをもつ研修会ということです。しかも私たち参加者は8000円という決して安くない受講料を支払い,しかも日曜日に福岡まで行っているのです。そういう研修会の質がこの程度でよいのだろうか,という疑問を激しく抱きながら,気を取り直して,分科会後半の事例発表を聞きました。(この話,つづく)

※ちなみに本記事は,読む人が読めば,あるいはその気になった人が調べれば,講師の先生方のお名前が明確にわかるはずです。それはまずいことなのでしょうか?という疑問がわきましたが,日本臨床心理士会主催の研修で,いつどこで,誰が講師を務めるのか,という情報は,守秘しなければならないものであるという教示を受けたことはありませんし,個人を誹謗中傷するつもりでこのような記事を書いているつもりもありませんので,思い切ってアップすることにしました。が,万が一このような提示の仕方がまずいという見解があり,その根拠を納得できれば,本記事は削除しますし,つづきの記事(すでに下書きは済んでおりますが)も掲載しませんこと,ここに明記しておきます。

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2006年1月 3日 (火)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その8:2006年 年明けのご挨拶

  新年あけましておめでごとうございます。

  昨年中盤にこのブログを開設しまして,当初はなかなかいいペースで新記事をアップしていたのですが,途中から完全に息切れ状態となり,今に至っております。年が変わって「よし,今年は気を取り直してどんどん新しい記事を掲載します」と宣言したいところですが,溜まりに溜まっている仕事のことを考えるとそうもいかず,スローペースでボチボチと更新していくというあたりを,現実的な目標としたいと思います。

  ただ,ちょっとここらで方針を転換することにします。

  ブログ開設時は,一つ一つの記事を,認知療法・認知行動療法(CBT)やストレスコーピングの読み物として,それなりに完成度の高いものを書き上げてからアップするというつもりでおりましたが,そういう高い目標を自分に課す限り,なかなか更新できないという状況になりましたので,もうちょっと気楽に,自分のためにCBTに関する備忘録を作るぐらいのつもりで更新していこうと思います。そのぐらいのつもりのほうが,むしろ本音をちゃちゃっと書けて良いのかもしれません。

  というわけで,今年は「CBTとストレスコーピングに関する備忘録」というテーマで適当に書いていくことにいたしますが,気軽にコメント等頂戴できますと嬉しいです。

当ブログを離れて考えると,自分自身の今年のテーマは,第1に,「溜まっている仕事を今年中にしっかりと終わらせる」です。特に翻訳関係が,ひどいことになっておりまして・・・。関係者の皆様,本当に申し訳ございません。全て,何とか2006年中にケリをつけたいと思います。もとい,ケリをつけます。つけますとも・・・!

  2に,いくつかの学会で今年も発表その他を企画しておりまして,それはそれで最善を尽くすとして,特に某学会で予定しております「べてるとCBTに関する企画」を成功させることです。

  3に,昨年はちょっと働きすぎましたので,今年はもう少しスケジュールをゆるやかなものにして,それを維持したいと思います。臨床や研究の仕事に限らず,仕事というのは,「達成する」ことも重要ですが,「維持する・継続する」ことも重要だと思います3年間死ぬ気で頑張って何かを達成するよりも,めりはりをつけながら,ときにはさぼりながら,30年間仕事を続けることのほうが,職業人としてはむしろ価値のあることなのではないかと思うのです。そもそも「価値」とか何とか言っている前に,生活するための収入を維持する必要がありますし・・・。というわけで,心身の健康を損ねては元も子もないので,とにかく今年は,できるだけ良い仕事を長く続けるための最適のペースを身につけたいと考えております。

  以上,年明け早々,だらだらとした文章になってしまいましたが,まあとにかく,今年もCBTやストレスコーピングについて大いに学び,研究し,仲間と語り合い,臨床現場で実践し,多くの方々と共有できるような活動を目指しますので,どうぞよろしくお願いいたします。

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2005年12月29日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その7:第5回日本認知療法学会印象記②

前回の印象記のつづきです。

 “第三世代”のCBTについての話がちらほらと・・・最近,“マインドフルネス”と“アクセプタンス”といった,いわゆる“第三世代CBT”の話を聞くことが多くなりましたが,当大会でもそういった発表がちらほらとありました。第三世代CBTそのものについて,私自身いろいろと考えるところがあり,これはまた別記事にてぜひ書きたいと思っておりますが,第三世代CBTに共通して見受けられるのは,Beckの認知療法が基礎心理学ともリンクしてその幅を広げていることを,あえて「なかったこと」にしているような感じがするということです。とはいえ,第三世代CBTのそれぞれの立場やアプローチで指摘していることは,どれもとても重要なことで,これまでのCBTが強調し損ねてきた側面でもあると思いますので,それを「新たなCBT」という見せ方をするか,「これまでのCBTの再統合」という形でまとめていくのか,そういう分岐点に来ているように思われました。

Beckの認知療法についての誤解もちらほらと・・・上記のとおり,CBTそのものの幅の広がりをきちっと認識し,研究や臨床に生かしている専門家と,Beckの認知療法,というよりBeckが構築した認知再構成法という技法のみを「認知療法」とみなしてしまっている専門家(あえて私はそれを「誤解」を呼びたい)と,やはり混在しているように見受けられました。専門学会においてすらこのような状況ですから,そうでないサイコロジストや医師の間に,このような誤解が根強くあるのは当然といえば当然かもしれません。私としては,まずこちらの誤解を正常化した上で,上記「第三世代」問題に手をつけたいと思っていますが,そうなるともう一度お父さんBeckの文献を読み返す必要があり,「そんな時間はない!」という強力な自動思考が即座に頭に浮かぶのでした(笑)。

このあたりの記事は,以下を参照していただけると幸いです。

http://cbt.cocolog-nifty.com/coping/2005/05/index.html

【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法①

【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法②】

(ナンバリングがちょっと変ですが・・・)

 復職支援のプログラムについてのセッションがあった!・・・EAPなどの復職支援プログラムにおいてCBTを活かそうという動きが盛んですが,そのような発表だけで5つもあり,1つのセッションが組まれていました。これは当学会では初めてのことで,CBTの広がりが医療だけでなく産業場面にも確実に広がっていることを参加者に印象付けたことだと思います。

 疾患毎のプログラム作成と,幅広い対象への一般プログラム作成の両面が必要・・・というわけで,今回の学会に限って考えたことではありませんが,この大会に参加して改めて感じたのは,①医療領域,とくに精神科領域において,CBTが高度に専門化していく傾向,②医療領域以外のたとえば産業領域,学校領域,開業領域などにおいて,CBTが幅広くそして柔軟に適用されていく傾向,の二方向に向かう傾向が,今後も伸びていくだろうということです。後者の傾向は,多くのユーザーにCBTを役立ててもらうためには非常に重要なことで,多領域においてCBTを実践できるサイコロジストが増えていくことを私は願っております。そのためにはトレーニングの機会が増えることがとにかく必要で,そこが現時点での大きな泣き所でもあるのですが・・・。ま,悲観的にならず,現状を見据えて,私自身,出来る範囲で来年も頑張っていこうかと考えております。

  ちなみに来年の認知療法学会は107月~9日に東大の駒場キャンパスで開催されます。上記のトレーニングの機会を幅広く提供するため,ワークショップのプログラムをこれまでよりも充実させるという計画が立てられているようです。ぜひ多くの対人援助職の方々に参加していただき,いろいろと議論ができるといいなあ,と思っています。

2006年の第6回日本認知療法学会につきましては,よろしければ下記ウェブサイトをご参照ください。

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tanno/

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2005年12月15日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その6:第5回日本認知療法学会印象記①

  このブログを始めた頃は,今年後半がここまで忙しくなるとは予想できず,たま~にしか更新できなくなってしまいました。最初は「更新しなくちゃな~」とストレスを感じていたのですが,徐々に自分がブログをやっていることを忘れるようになり,ほとんど「なかったことにしている」状態です。ちなみに,「なかったことにする」というのも,場合によっては効果的なストレスコーピングです(自己弁護)。

  さて名古屋で開催された日本認知療法学会の第5回大会に参加してきました。思いつくままに感想を述べます。

 ニューロイメージング研究の面白さに目覚めた!・・・私がこの方面の研究をすることはありえませんが(できない),ニューロイメージング(脳神経画像)から精神疾患における諸現象をとらえたり,CBTによる変化をとらえたりするといったシンポジウムを聴き,ワクワクしてしまいました。特にCBTの再発予防効果が,ニューロイメージング研究によって検討可能であることを知り,CBTに対して心理学的説明ではない別の説明がありうるんだということがわかって非常に興味深かったです。それにしても演者の先生方からポンポン出てくる脳の各部位の名称からして,私には「???」ということが多く,これではいかんと思いました。最先端の情報を入手するまではいかないにしろ,このような学会で講演を聴くときに,用語でつまずかずに済む程度には勉強しておかなければと思ったのでした。

 小規模学会の良さを改めて感じた・・・小規模と言っても,毎年会員も,学会参加者も増え,第12回頃に比べると「人が溢れている!」という感じではありますが,それでも各プログラムの最中や懇親会のときに,いろいろな人とフェイス・トゥ・フェイスで話せる雰囲気は今回も保たれていました。興味深い発表をした人にさらに発表について尋ねたい場合(そして興味深い発表が今年もいくつもありました),こういう雰囲気はとても貴重だと思います。今年も多くの方とあれやこれやと議論ができて,とてもうれしかったですし,刺激にもなりました。

(次回つづきを書きます)

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2005年10月31日 (月)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その5:とりあえず「発信」して,仲間を募る

  多くの方々がそうだと思いますが,私も自分の興味のある事柄については,自分自身でとことん調べ,エキスパートに教えを請い,その上で自分の乏しい脳味噌をふりしぼってとことん考え,自分なりのとりあえずの結論を出してみたいと切望しています。しかし興味のあることって,大抵常に複数ありますし,どれ一つとっても,ちょっと調べてみるだけでその背景に広大な研究や実践の歴史があることがわかってしまうわけで,根がしつこい私は,何もかもを徹底的に自ら調べ上げて,咀嚼したい衝動にかられるのですが,限りある人生,当然そうはいきませんよね。(「ね」って,誰に同意を求めているんだか・・・笑)。

  ここ数年,とくにこの23年の間,自分の中心的な専門分野でないテーマについて発言を求められることが増えており,最近あった学会でも,そのような機会がありまして,準備をしているときには,「どよーん」と重たい気分にとらわれることもあったのでした。「どうしてこんなに重たいんだろう」と自問してみたのですが,一番大きいのは,「まだまだ勉強や考察が足りてないのに,こんな中途半端なことを,人前でしゃべっちゃって(あるいは活字にしちゃって)いいんだろうか?」という“恐れを伴う認知”でした。「調べ足りていないことが,まだまだあるんじゃないか」,「もっと自分なりの論考を熟成させたい」,「あと1年あれば,もうちょっとマシな考察ができそうなのに」・・・etc,あれこれ考えては逃げたくなっていたのですが,一度引き受けてしまったことから逃げるほどの勇気はないので,出来る限りの準備をして原稿を書いたり,発表に臨んだりして,とりあえず一つ一つ終えていき,過去にこだわらない私としては,終わった瞬間から,「ああ,とりあえずやってよかった。面白かった!」と能天気に考え,反省すらすることなく,忘れてしまうのでした。

  で,このような体験を繰り返しながら思うのは,たとえ熟成していない考えでも,活字化や発言の機会を与えられることによって外在化することで,誰かから何らかのフィードバックをもらうことができるって,本当にありがたいことだなあ,ということです。フィードバックしてもらうと,それが肯定的であろうと否定的であろうと,結局はとても嬉しいんですよね。それにある程度調べても自分の見方が定まらない事象というのは,それだけ多様な考えを引き起こしやすいものであって,だからこそ他人のフィードバック,すなわち多様な視点からのコメントがとても興味深かったりするのでした。

 と,ここまで書いていて思いましたが,認知行動療法をやっている私は,「傾聴中心のセラピー」に満足しなかったクライアントさんと出会う機会が多くありますが,そのようなクライアントさんがおっしゃるのは,「(これまで受けたセラピーは)ただ話を聴いてくれるだけで,それ以上何もしてもらえなかった」という不満です。非常にもっともな不満だと思います。自分が体験したこと,感じたこと,思ったこと,望んでいることを,自分のお金と時間を使って専門家に話しているのに(非常に勇気の要ることだと思います),それに対してセラピストからフィードバックがない(セラピストがフィードバックしているつもりであったかどうか,ということはこの際無視します。少なくともクライアントさんは「フィードバックがない」と判断したのです)ということに不満を感じるのは,あまりにももっともなことだと思うのです。(傾聴されるだけで展開するセラピーがあることは認めます。私自身,そういうセラピーを実施することもあります。が,それは「傾聴中心のセラピーでやっていきましょう」という“メタコミュニケーション”が実施されたうえで行われるべきことだと思います。)

 見知らぬ他人であるセラピストに自分のことを話すクライアントさんにしろ,自信のないことを半ば公の場で話す私にしろ,それには多大な心細さが伴うわけで,話した後でもやはりその心細さが続くわけです。そんなときに,「あなたの話したことについて,こんなふうに思ったんだけど」と,フィードバックしていただけると,それがどんな内容であれ,「ちゃんと聞いてくれて,それに対してコメントしてくれている」ということ自体に,非常にホッとするのです。ということを,今回の一連の発表を終えて,改めて実感しました。そして,クライアントさんにとってより援助的に機能するように,自分のフィードバックスキルを磨いていきたいと思いました。

 ともあれ研究者としては,自分の取り組んでいきたいテーマについては,自分で納得のできるほどに論考が進んでいなくても,勇気を出して,それを公の場で提示するといった,より多様なフィードバックを受けるための機会を自ら作り出していくことが重要だということが,今回の学会を通じてよくわかりました。気が小さい私にとっては,そう気楽にできることではありませんが,このことを忘れないでいたいと思います。

●今日のまとめの一言: 興味のあることについては,できれば自分でとことん調べ,とことん考え,自分なりの「素晴らしい結論」を出してみたいものだが,そんな夢のようなことを待っていたのでは,人生が終わってしまうだろう。たとえ中途半端な論考でも,批判覚悟で思い切って発信し,フィードバックをもらう,そういう場を自ら作っていくことが重要である。

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2005年10月 9日 (日)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その4:自ら人に会いに出かける

  9月の最終週に,べてるの「当事者研究」の研究をスタートさせるために,北海道浦河まで久々に出かけてきました。詳しい報告は後日ということにして(その「後日」がいつになるかは,すみません,不明です),これが3度目の浦河訪問なのですが,毎回感じていることをここで書いてみたいと思います。

 それは,「会いたい人,興味のある人には,どんどん自分から出かけていって会いに行く」ということの大切さです。確かにべてるの人たちは今ひっぱりだこで,全国の講演会でお会いしたり,話を聞いたりすることができますが,やはりべてるの活動が実践されている「場」は,浦河にあるわけでして,本当に興味があれば,やはりその「場」をひっくるめて見てみたい,参加してみたい,と思いますし,実際にそうしてみると,そうしてみなければ決してわからなかったであろう「場」の持つ力が見えてくるのです。

 と書きつつ,ほんの数日間滞在しただけで何がわかる?という声も,聞こえてくるのは当然で(そう自分に突っ込んでいるのは,他ならぬこの私ですが),それは本当にその通りだと思います。だからと言って,「本当に全てを理解するために」という目的で,自分の「現場」を放って,興味ある他人やコミュニティの「現場」にいつまでも入り浸るというのも,また別の意味で問題があり,だったら限られた期間であれ,とりあえずその場に飛び込んでみる,ということが,今の自分にできる精一杯のことかな,と思います。

 ともあれ,真に会いたい人と出会う,というのは,その人が存在している「場」に飛び込んでいって,その「場」にいるその「人」に出会う,ということだと思いますので,べてるだけでなく,今後も興味をもった人やコミュニティには,自分からどんどん出かけていって「出会い」を作っていきたいと思います。

 そこでふと思うのは,では今私がやっているような「面接室内認知行動療法」は,いったいどうなんだろう?ということです。これは今に限らずときどき自問することです。クライアントさんは自分の生活の場の中で,いわゆる「主訴」を抱えているのであって,CBTの場合,その主訴を,その場を含めて極力リアルにアセスメント(ケース・フォーミュレーション)しようと努めますが,「百聞は一見に如かず」というように,セラピストが出かけていって,クライアントさんの主訴が成立している場を共有させてもらった方が話が早いんだろうな,と思うケースは多々あります。またこれまで精神科デイケアや企業における産業精神保険など,コミュニティワークを実施する場で仕事をしていたときには,私はもともと落ち着きがなく,フットワークが無駄に軽いほうなので,むしろどんどんケースに入っていって,調整するような仕事をするほうが,役に立っている気がしました(あくまで「気がした」というレベルの話です)。

ともあれ,現在,認知行動療法とコミュニティワークを統合するような理論的視点を私自身が持っていませんので(「経験的視点」なら,多少あるような気がしますが,それをきちんと理論化しないと専門家としてはNGでしょうから,今はとりあえず「持っていない」としておきます),また面接室で実施する認知行動療法に対してはかなりの手応えを感じていることも事実ですので,当面はこのままいくのだと思います。が,出かけていってCBTを実践するということが,どのようにして安全な形で可能なのか,ということも今後考えていきたいと思います。

べてるの家に出会ってから,これまでもうっすらと感じていた,「面接室内の構造を守ることが,なぜそんなに大切なの?」という声が,自分の中ではますます大きくなりつつある今日この頃なのでした。(と書いてはいますが,クライアントさんにわざわざ我が相談室まで来訪していただき,数十分という決められた時間内で,がっちりと構造を守って実施するCBTだからこその様々な利点は,十分にわかっているつもりです。クライアントさんたちの努力には,本当に頭が下がります。) あるいは面接室内の構造を守りながらよりよい援助を実践することと,面接室外に出かけていってよりよい援助を実践することは,さほど違わないのだという考え方ができるのかもしれません。

●今日のまとめの一言: 興味があれば,自分からどんどん出かけていって人に会うことが重要である。それは「礼儀」ということだけでなく,その人を取り巻く場を含めて,その人と出会うことができるから。その点,面接室で行うCBTはどうなんだろう?

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2005年10月 2日 (日)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その3:人と会って話す

  なぜかいろいろなイベントや仕事が重なり,9月はブログの更新ができませんでした。ちょっと落ち着いたので,また再開しますが,当面は「ひとりごと」と称して,9月のイベント(特に学会,べてるの家訪問)を振り返り,認知行動療法的に考察するという短い記事を掲載していこうと思います。

  今年は9月に,2つの大きな学会に出たのですが,例年に比べて出番が多く,準備をしているときは「こんなにいろんなことに顔を突っ込まなきゃ良かった」「安請け合いするから,こんなことになるのだ」と自責的認知で泣きそうになっていましたが,いざ終わってみると,非常に充実感があります。その充実感のなかでも,「いろんな人と会って,いろんなことを語り合えた」ということが大きいです。さらに直接語り合ったわけではなくとも,「著書や論文だけで知っている研究者の発表を,その人が自ら語っているのを直接聴くことができた」ということも大きいです。

 臨床や研究においては,文献を読んで勉強することが極めて大事なのはもちろんですが,さらに人と直接会って,「語る」,「語り合う」,「人が語っているのを聴く」という体験をすることで,文献で得た知識を,さまざまな角度から検討する,精緻化したり分厚くしたりする,といった,他では絶対に得られない効果がもたらされるのだと,今回も改めて実感しました。

  というわけで,学会に参加することにはいろいろな意義や目的があると思いますが,「人と直接会う」機会が爆発的に増える,という魅力がまず挙げられるでしょう。そしてそれは学会とか研究会とか,そういうレベルの話だけではなく,たとえば私が実施している認知行動療法(CBT)といったセラピーでも全く同じことなのでしょう。以前,仕事でメールを使ったカウンセリングを実験的に行ったことがありましたが,どうも私にはピンときませんでした。ネットやメールを使ったCBTについての研究もあるようですが(あまり詳しくありません),やはり直接人と人が会って語り合う,というのが不可欠のように思えます。CBTの基本も,前にも強調したとおり,ツールを使った諸技法ではなく(それだけならネットやメールで実施可能),クライアントとセラピストが直接会って,「CBT的語り合い」をすることにあるのではないかと,私は考えます。(この考えは,「べてるの家」に行くたびに,さらに強化されますが,それはまた後日)

●今日のまとめの一言: 人と直接会って話をする,すなわち「語る」「語り合う」「人の語りを聴く」体験は,買ってでもするべきである(「べき思考?」・・・笑)。認知行動療法の基本も,もちろんクライアントとセラピストが「認知行動療法」的に語り合う点にある。

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