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2006年6月22日 (木)

クライアント体験:次のセッションまであと2ヶ月

  今,私が体験している「試行認知行動療法(試行CBT)」は,私が勤務する機関の月1回の内部研修会のときに実施しているものです。なのでセッションのペースは月に1回。かなりゆっくりしたペースですが,急性期ではなく,慢性化した問題を扱うのであれば,この月に1度というペースもなかなか悪くないと,実際にやってみて感じていました。

  が,6月の研修会は相方が研修会を欠席,7月の研修会は私が欠席するはめになり,残念ながら5月のセッションの次は8月,ということになってしまいました。今から数えてあと2ヶ月,この前の5月のセッションから数えて実に3ヶ月ということになります。

  そうとわかったときのクライアントとしての私の反応ですが,確かに残念な気持ちではあるのですが,「とにかく現状を3ヵ月後まで何とか維持して,セラピストに報告したいな」という気持ちが一番強くありました。「3ヶ月あくなら,もういいや,どうとでもなってしまえ」というモチベーション・ダウンでもなく,「3ヶ月あくなら,もっと自分で進めてしまえ」というモチベーション・アップでもなく,維持を望む気持ちです。

  というのも,以前毎日1箱,つまり1週間で7箱以上吸っていた煙草を,今現在週に2箱ペースに落としており,そのなかで「読書療法」をしたり,コーピングカードを使ったり,「吸おうかな,やめておこうかな」という状況でさまざまな自動思考が生じるのを体験したり,「CBTで“我慢”を目指すのは,やはりおかしなことだ」と改めて気づいたり・・・,要はさまざまなことを実感的に体験しており,それだけで今は「いっぱい状態」なのですね。そしてとにかくその「いっぱい状態」を一度セラピストに「報告したい」という気持ちが強くあるのです。報告して落ち着いてから,次のステップに進みたいのです。

  というわけで今回,次のセッションまでの間隔が長いことを知って思ったのは,CBTにおけるセラピストの機能の一つとして,「報告を受ける」「報告を共有する」というのがあるなあ,ということです。「どんなにささいで,つまらないことでも,このセラピストならちゃんと共有してくれるだろう」という信頼があればこそ,こう思えるということも重要だと改めて思いました。

  やっぱりCBTの要は技法ではなく,対話なのだ,ということでしょうか。

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2006年6月15日 (木)

クライアント体験:読書療法感想『禁煙の愉しみ』その1

「禁煙に対する認知行動療法」というタイトルが,実はまずかったと思っています。というのも,私が目指すのが「禁煙」かどうかが,非常にあやういからです。

ただ少なくとも,「遠い先に禁煙できたらいいなあ」という希望的観測のもと,CBTを受け,いろいろと試しているのは事実ですし,面倒くさいので,いちおう「禁煙のためのCBT」ということで,このシリーズ続けていきます。

読書療法の3冊目,『禁煙の愉しみ』(山村 修)について,少しだけ書いてみます。「少しだけ」というのは,本書については,今後いっぱい書きたいからです。また本書を通じて読書療法について改めて考えたことについても,できればちょっとずつ書いてみたいと思っています。

もともと本を読むのが好きな私としては,たとえ実用的な目的であっても,すなわち読書療法目的で読む本であっても,やはり本として読む価値のある,読んでいて楽しい,心に響くようなフレーズが書かれてある本を読みたいものだと思っていました。そういう意味では,読書療法1冊目の『禁煙ファシズムと戦う』は,私にとって実用価値はありませんでしたが,読み物としては,そこそこ楽しめました。逆に『女性のための禁煙セラピー』は,これもあくまでも「私にとっては」という注釈つきですが,読み物としては最低でした。本を読む楽しさ,文章を読む楽しさがまったく感じられなかったので。

  そして今回の『禁煙の愉しみ』です。これはとても素敵な本でした。文章や言葉の連なりとしても素敵。実用書としても素敵。これぐらい素敵であれば,読書療法のお供として,頼りにしたいと思うわけです。本書の何がどのように素敵か,ということについて,今後何回かにわけて書いてみたいと思います。

今日はここまでで失礼します。

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2006年6月 7日 (水)

お薦めの本:『医療現場におけるパーソナリティ障害』(医学書院)

  今回のお薦めの本は,林直樹先生らの新著

医療現場におけるパーソナリティ障害 ― 患者と医療スタッフのよりよい関係をめざして』(2006年,医学書院)です。

  現場におけるリアルな事例が満載で,わが身をそれこそリアルに振り返りながら一気に読めました。そしてあらためて確認できたのは非常にシンプルなことで,「クライアントさん・患者さんを大事にしたいのであれば,現場のスタッフを大事にせよ」ということであり,逆に言えば「現場のスタッフを大事にしたいのであれば,クライアントさん・患者さんを大事にせよ」ということであります。

  しかしこのようなことは,口で言うのはいとも簡単ですが,実際には様々な難問がつきまとってくるわけで,そのギリギリのラインを,林先生のさまざまな文章から学ばせてもらっているような気がします。もっと正確に言えば,「ギリギリのライン」が何なのか,それがよくわからなくなってしまうことが現場では多々ありまして,その際の判断の助けになるような考え方ややり方を,林先生の著作からはいつも教えていただいているような気がします。

  そういう意味で,本書で特に私が助けられたのは,クライアントさん・患者さんから告げられた違法行為(その計画を含む)にかんする対処法についてです。といっても,本書に具体的な指針が事細かに記載されているわけではありません。臨床家自身が自分で判断するための準拠枠のようなものが,漠と説明されているだけにすぎません。しかしそのような準拠枠こそ,まさしく私が求めていたものであり,またこのような準拠枠についてこそ,本書に限らず,林先生の立ち位置にはブレがなく,書かれていることに全面的に同意するかどうかはともかく,読む者が自分の体験を振り返りながら,しっかりと具体的に検討できるように思われるのです。

  クライアントを守り,現場で一緒に仕事をするチームスタッフを守り,自分自身を守り,その中でクライアントの回復を,それを信じながら粘り強く探っていく,という林先生の姿勢は,あちこちで散見する先生の文章から一貫して読み取れ,そして非常に勉強になります。

  ちなみに,本書以外でお薦めの,林先生のご著書といえば,

『人格障害の臨床評価と治療』(金剛出版,2002年)です。これは本当にお薦めです。認知行動療法について詳述はされていませんが,私は本書を読んで,なぜCBTがパーソナリティ障害の治療において,他のアプローチに比べると格段に行動化を惹起せずにすむのか,なぜCBTが安全なおとしどころを見つけられるのか,なぜクライアントさんが混乱せずにケースを全うできるのか・・・といったことについて,かなり整理できたように思われます。

  以上まとまりがなくなってきたので,ここらで終わりにします。

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2006年6月 5日 (月)

クライアント体験:読書療法感想『女性のための禁煙セラピー』

  禁煙(節煙)に対する読書療法のご報告第2弾です。

  あの『禁煙セラピー』の著者,アレン・カー氏による『女性のための禁煙セラピー』(2003年,KKロングセラーズ)についてです。

  実は数年前に『禁煙セラピー』は読んだことがあったのです。が,特に何の感想も持たず,そのまま忘れていたのでした。今回あえて購入したのは,「女性のための・・・」という書名に惹かれたのと(美容関係の記述満載かも・・・という淡い期待),『禁煙セラピー』を読んで禁煙した,という人が身近に何人かいたので,読書療法の一環としてまじめに読んでみようと思ったからでした。

  が,結論から言うと,感想は「なんてムカつく本なんだ!」という一言です。今回は禁煙(節煙)を目指すCBTのクライアントとしての立場で,ひねくれた視点ではなく,真面目に読もうと決意していました。本書の冒頭でも,“本書を読むときのルール”として,「心を開いて読む」と書かれてありまして,ふだんなら,このフレーズだけで,「ふん! 心を開いて読めそうな本だったら,わざわざこんなルールを掲げられなくても,自ら心を開いて読むに決まっているじゃない!」と即座にひねくれてしまいそうなところを,「よし,当事者として,ここはあえて心を開いて読んでみよう」と自分に言い聞かせて読み始めたのです。

  この本の特徴は,とにかく読者に,「あなたは単に,自分がニコチンに取り込まれているという錯覚に陥っているだけだ。意志の強弱の問題じゃない。あなたが止めようと思ったその日からタバコをやめれば,それで大丈夫」という“親切で優しい”メッセージに満ち満ちていることです。

  ご丁寧にも,こんなことまで書かれてあるんです。

タバコを吸い続ける人のほとんどが意志の強い人です。タバコをやめられるかどうかではなく,それ以外の面で,スモーカーの精神力を測った場合,禁煙できない人は精神力の強い人がほとんどです。(p.150)

   なんだそりゃ。とにかく禁煙できない喫煙者に対して,否定的でないメッセージを送ろうとする意図が見え見えです。(ヘビースモーカーの言う,「これだけ体に悪いもんを長年吸い続けている自分は,実は意志が強いのだ」という冗談のほうが,よほどマシだと思います。)

  上記のフレーズも含め,読みながら,とにかくムカムカしてくるんです。そしてその“ムカムカ”の正体は,以下のフレーズを読んだときにはっきりとわかりました。

禁煙したあともほかのスモーカーを避けてはいけません。
反対に周りのスモーカーを反面教師にするのです。残りの人生,同じことをしないですむと喜びましょう。スモーカーは惨めな麻薬中毒者です。その本当の姿が見えれば,あなたが感じるのは哀れみだけです。(p.183)

  要はいたるところで二重のメッセージを読者に送っているわけですね。読者に対しては,“禁煙を検討中のあなたは,ちっとも悪くない。意志だって弱くない。大丈夫。ただタバコをやめればいいだけの話。それだってちっとも難しい話じゃない”というメッセージを送りながら,同時に,こういう間接的な表現で,“喫煙者であるあなたは,実は惨めな麻薬中毒者なんだよ。人から哀れまれるかわいそうな存在なんだよ”と伝え続けているのです。戦略なんだろうし,こういう戦略で本書は売れまくっているわけだし,事実,本書によって禁煙できたという人が存在するので,こういう戦略もありだと認めないといけないとは思いますが,こういうダブルスタンダード的表現ってフェアじゃないと思うなあ。少なくとも私自身は,「喫煙者であるお前は惨めな麻薬中毒者だ。それがお前の本当の姿だ。私(著者)はお前に対して哀れみだけを感じるよ」とストレートに書いてもらったほうが,さぞかしスッキリします。

  というわけで,後味の悪い本でした。が,読書療法的には,こういう本を読んだことは決してマイナスではなく,自分の喫煙スキーマ,節煙スキーマ,禁煙スキーマを再確認でき,それはそれで有益だったと思います。また,セラピストとして,こういうダブルスタンダード的メッセージを発することのないよう真に気をつけよう,と襟を正すことができたというのも収穫だったのではないかと思います。

 

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2006年6月 2日 (金)

クライアント体験:コーピングよりモニタリング

  「禁煙」ではなく,「節煙」は,数字的には今のところまあまあ順調に進んでいます。「数字的には」と書いたのは,心理的には結構葛藤する時間帯が多くあるからです。

  数々の禁煙サイトを見ましたが,そもそも「節煙」はダメで,「きっぱりと禁煙」なんだそうです。が,そこまで私はふんぎりがついていないので,吸わない時間を「小さな禁煙(プチ禁煙」と勝手に名づけて,とにかく1日の本数を減らし,少ない本数に慣れることを,当面の目的とすることにしました。

  そのために先日,コーピングシートを作って,それを本ブログでも紹介しました。それをカード状にして持ち歩き,吸いたくなったら常に参照するようにしていましたが,先日ふと思ったのは,「そもそも我慢しようという認知的対処や,我慢するための行動的対処そのものが,ストレスになるからいけないんだな」という,しごく当たり前のことでした。

  CBTではセラピストとクライアントさんで面接目標決める場合,そもそも「・・・しない」「・・・を我慢する」という表現は極力使わないようにします。「・・・しない」という否定的状態はイメージしづらいですし,「・・・を我慢する」なんて楽しくないですもん。「・・・しない」ということは,言い換えれば何をするということになるのか,「・・・を我慢する」というのは,我慢しながら,別の何をするということになるのか,それらは目標として目指したくなるような状態なのか,それを目標にしたら気持ちがウキウキしてくるのか,その目標を達成できる自分を嬉しいと思えるのか・・・という大事なことを,自分のコーピングカードに対して使っていないことに気づき,自分で呆れてしまったのでした。

  コーピングカードは引き続き持ち歩いていますが,そういうわけで,別の目標イメージが必要だなあと思い,それをぼんやりと探しているのが現状です。が,それでも多少の「我慢」を重ね,吸わない時間帯が生活のなかのそこここに発生しておりますので,今はそれをどうやってしのいでいるかというと,CBTの定石ですが,「セルフ・モニタリング(自己観察)」です。ほどよいコーピングが決まるまでは,とりあえずは自分をモニターすることを続け,ストレス下の自分の反応をつぶさに把握するというのが,必要ですし役に立ちます。というわけで,今は,プチ禁煙中と決めている時間帯に喫煙欲求が生じたときは,ひたすら「ああ,またこの欲求が出てきたぞ。こいつがどんな奴で,いったいどうなっていくか,ちょっと様子をみておこう」とモニターするようにしています。我慢を自分に強いるようなコーピングより,そのままのあり様をモニターするほうが,気持ちも楽ですし,むしろそれが吸わない時間帯のコーピングになるようです。

  「コーピングの前に,たっぷりとモニターすることが大事」などということは,上記のとおりCBTの定石で,普段の臨床で実施している(はず)のことなのに,なんと自分のCBTについては,モニタリングを飛び越してあせってコーピングを実施してしまった・・・という「ミイラ採りがミイラになる」(この使い方は合っているかな?)ようなことをしていたのでした。・・・お恥ずかしい話です。

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