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2006年3月30日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその13:EBMの理念を現場の臨床家はどのように目指すか?

  EBM(エビデンスに基づく医療)が提唱されて久しいですが,臨床心理学の領域でも,その後を追うように,「エビデンスに基づく臨床心理学」が提唱され,エビデンス重視の議論が活発になされるようになってきています。

  そもそも私が認知行動療法(CBT)を志すことに決めたのも,CBTが当初から治療効果研究を積極的に行い,そのデータを公表しているという実証主義に共鳴したのが大きな要因の一つでした。現在もCBTは,各障害におけるモデルを構築する際にも,各技法の効果を検証する際にも,実証的研究によるデータを重視し,データとモデルとの相互作用を積極的に追求しています。私自身,臨床実践と基礎的実証研究のインタフェースは最も興味のある領域であり,いつになったらまとめられるかわかりませんが,現場での臨床活動と並行して,実証データも少しずつ蓄積しております。(もうちょっと言えば,CBTそのものが,「実証的協同主義」と呼ばれるプロセスをたどるわけで,そういう意味ではCBTの一つ一つのケースそのものが,エビデンス・ベーストの実現を目指すものなのですが,この件はまた後日)。

  が,現場で臨床を実践している者からすると,鬼の首でも取ったかのように,「EBM!」「エビデンス!」とあまりにも連呼されるような場に遭遇すると(そんな場面は,特に日本の臨床心理学領域では,かなり例外的なのかもしれませんが),少々違和感を覚えます。RCT(無作為割付比較試験)が実施できる対象疾患や現象はごく限られたものであり,そのような研究から報告されるデータは,エビデンスとしては強いかもしれませんが,実際に目の前でお会いするクライアントさんは,それぞれ非常に個別的な存在であり,まずは目の前に生身で存在するクライアントさんを,CBT的な視点から全体的に理解し(すなわち,全体像をしっかりとアセスメントする),そのアセスメント結果に基づいてどのような技法を適用するか,当のクライアントさんと相談しながら計画を立てていくことのほうが,確率論的な手法によって報告されているエビデンスを適用することより重要だと思うからです。

  とはいえ,今はクライアントさん自身が,エビデンスを求めます。もうちょっと正確に書くと,「エビデンスに基づく心理臨床サービスを求めるクライアントさんが増えている」ということになりましょうか。そしてそのようなニーズはもっともなことだと思います。仮に私が何らかの病気にかかって治療を受けるとするならば,やはりエビデンスを知って参考にしたいと思うに違いありませんから。が,逆に今自分が臨床家として,世界中で量産されている文献,およびその文献を検索するシステムを駆使する力が自分にあるかと問われたら,「ありません。すみません」と謝るしかありません。現場の臨床活動によって日々の糧を得ている人が,そのような時間とエネルギーとシステムを持つことは,相当に困難だと思います(ちょっと,言い訳っぽい?)。

  ではどうすればよいのかといえば,第一の代替案としては,やはり第一線で活躍するエキスパートがいるところに出かけていくことだと思います(CBTの場合,エキスパートはエビデンス情報を豊富に持っていたり,エキスパート自身がエビデンスをつくる側におられることが普通ですので,エビデンスとエキスパートは対立概念になりません)。具体的には学会や研究会やワークショップということになりましょうか。私ができるだけ時間を割いて専門分野の学会や研究会に出かけていくのは,その時々のテーマに興味があるというのもありますが,やはりエキスパートが入手している生の情報や,それに対するエキスパート個人の率直な考えを直接聞きたい,という動機が大きいです。エキスパートによる有益な情報や考えをひとつでも聞くことができれば,それは明日からの臨床に,それこそエビデンスとして活かすことができます。昨年12月の日本認知療法学会に参加した際も,本当の意味でのエキスパートが多数参加する学会の役割と効用について,しみじみと実感することができました。

  というわけで,エビデンス・ベーストを目指す臨床家の皆さんは,データベースから入手するエビデンスも大事ですが,そのような機会がなかなか持てない場合,学会や研究会やワークショップのなかでも,特にその道のエキスパートと直接対話できそうな機会をみつけて,研鑽を積んでいきましょう。

またCBTを求めるクライアントさんには,そのような努力をたゆまず継続しているセラピストを見つけていただきたいと思います。どうやって見つけるかといえば,上記のような研鑽を積んでいるか否かを,直接セラピストに尋ねればよいのだと思います。そのような質問はユーザー側が当然してよい質問ですから,遠慮なく尋ねればよいのです。なぜこのように書くのかといいますと,「認知行動療法が出来ます!」と自己申告しているセラピストが最近急増しているようで,このような現状を少々危惧しているからです。きちんとCBTを実施できる人とできない人との差は,上記のような努力をしている人としていない人との差でもあるのではないかと思いますので(それだけじゃないとは思いますが),そのことが,ユーザー側のセラピスト選択のひとつの「エビデンス」になるのではないかと私は考えています。

●今日のまとめの一言: EBMならぬエビデンスに基づく臨床心理学を現場の臨床家が実践するには,現場や研究において第一線で活躍するエキスパートと継続的に顔を合わせる機会をもつことである。

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2006年3月22日 (水)

今日のストレスコーピング(8):たわいないおしゃべりを楽しむ

今日は休日にもかかわらず,どうしてもまとまった時間を確保して取り組みたい仕事があり,日中職場に出かけました(WBC日本対キューバ戦に後ろ髪をひかれつつ・・・)。

せっかくこのように休日の時間を使って,あるケースについてこれまでの記録を引っ張り出して,今までのデータをまとめる作業を始めたのですが,これがあんまり進まず(さらに途中でワードが暴走しはじめ,タイムロス),「あーあ。今日は何だったんだろう? せっかくの休みだったのに無駄にしてしまった。いつどのようにこの作業をすれば何とかなるんだろうか・・・その時間をいったいどこからひねり出せばいいんだろう?・・・」といった,低調気味の自動思考連発で,暗い気分で帰宅しました。自宅に帰ると夫が会社の人たちを呼んでのホームパーティをしていて,私もそれに参加することになりました(当たり前か)。

それが面白かったんですよ! 何が面白かったって,ただひたすらおしゃべりすることが。アジェンダ(内容)は,すべて他愛もない話ばかりです。が,そんな他愛もない話を,アルコールを入れつつ,美味しいものを食べつつ,延々と話しているうちに,さきほどの暗い気分などはふっとび,「まあ,結構大変だけど,明日からまた気を取り直して頑張ればいいじゃん!」と自然に認知が変わっていました。

これまでの自分のたいしたことのない経験からも,ある空間,ある構造のなかで,他愛ないことについておしゃべりすることは,その直前まで「もうだめ」と思いつめていた心理状態を吹き飛ばしてくれるような気がします。

今日はたまたまのパーティでしたが,そのような場を定期的に持っている人は,安定したストレスコーピングを有しているわけで,さぞかしそれが有効に機能しているだろうと推察されます。そしてそれは,11の認知行動療法(CBT)による援助を受けることよりも,よほど生活文脈に沿った形で,むしろCBT的な援助を無意識的に得られていることが多いと思うのです。(浦河べてるの家の素晴らしさは,日常生活的にそのような場を濃密に,かつ構造的に提供していることだと思います)

というわけで,自分自身,楽しいおしゃべりの機会を増やしたいと改めて思いましたし,「CBT的機能を有するおしゃべりとは,どんなおしゃべりか」というテーマについて,自分も人とおしゃべりしつつ,ちょっとずつ考えていきたいと思います。

●今日のまとめの一言: ある構造,空間のなかで,気の置けない人たちとお気楽に交わすおしゃべりほど,ストレスコーピングとして効果的なものはない。そんなおしゃべりのできる場を一つでも二つでも確保することのほうが,有能なCBTセラピストを見つけるより,よほどCBT的な手助けを受けられる可能性が高い場合もある。

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2006年3月12日 (日)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その12:注意の転換 技法⑥

●自己注目することによるデメリット

  よく「自分をよく見つめましょう」とか「自分探しをしよう」などと,それがあたかも素晴らしいことように言われることがありますが,本当にそうなんでしょうか? ここでは自分に注意を向けることを「自己注目」と呼びますが(社会心理学の用語です),場合によっては自己注目は役に立つどころか,むしろその人の適応を妨げることが,諸研究によって明らかにされています。

  パターン①:その一つの例が,自分についての「反すう」です。「なぜあのとき自分はあんなことを言ってしまったんだろう」「どうして自分はいつもこうなんだろう」「私はダメな人間だ」「どうせ私は何をやってもだめなんだ」「どうして私は皆から好かれないんだろう」「自分はこれからどうやって生きていけばいいんだろう」・・・のように,自分のことについてネガティブなことばかりを考え続けていると,気分がますます悪くなることは,容易に想像がつきますね。自分のネガティブな面に注目し,それを考え続けるといった自己注目のあり方は,抑うつ的な人によく見られる思考パターンです。心理療法を受けに来られる方には,このような思考パターンを有する人が多くいらっしゃいます。

  パターン②:もう一つの例が,他者とのコミュニケーションの場で,「自分は相手からどう思われているのか」「自分が緊張していることが,相手にばれてしまったのではないか」「自分は相手に嫌な思いを与えているのではないか」「(自分が)相手に嫌われたらどうしよう」「(自分は)相手から嫌われてしまったのではないか」・・・のように,“相手にとって自分はどうであるか”という形で,自分にばかり注目してしまう思考パターンです。こんなふうに自己注目しながら,相手と話したり,人間関係を保ったりするのは,とてもしんどいことでしょう。心理療法を受けに来られる方には,このような自己注目のパターンをお持ちの人も多くいらっしゃいます。

  パターン①にせよパターン②にせよ,注意を自分に向け続けることで,さらに自分自身が苦しむ結果となっていることが,おわかりいただけるかと思います。そこで必要になってくるのが,そのような自己注目のパターンを変えること,すなわち自分以外のことに注目するように意図的に心がけることです。これが“注意の転換”です。

●【注意の転換】

  注意の転換は,意図すれば誰にでもできます。転換する対象は何でもかまいません。具体例を挙げましょう。

小さな気晴らしを,念入りに行う。例:丁寧にお茶をいれて飲む。お風呂に入って入念にシャンプーする。ひとかけらのチョコレートを大事に味わう。目をつぶって好きな音楽を堪能する。ひいひい言いながら,辛いものを食べる。

単純作業に没頭する。例:靴を磨く。皿洗いをする。野菜を切る。洗濯物をたたむ。プチプチ(クッキーの缶などに入っているシート)を1個ずつつぶす。ハサミを使って,いらない紙をできるだけ細かく切る。アイロンをかける。洗ったハンカチをアイロンを使わずできるだけきれいに畳む。

少しだけ頭を使う作業をする。例:ひとりしりとり。計算(1007939378686779・・・というように,ある一定の規則に沿った計算を頭のなかで行う,あるいは紙に書いて行う)。「あ」で始まる単語をできるかぎり案出する。

視覚的作業を行う。例:周囲を見渡して「赤い」ものをできる限り見つけ出す。周囲を見渡して「四角い」ものをできる限り見つけ出す。

  他にもありますが,このぐらいにしておきます。要するに,目の前の,あるいは頭の中の,小さな作業に注意を向けて,その注意を維持するということが重要です。何かものすごいことをする必要はないのです。人が一度に使える注意の用量は決まっていますので,とりあえずそれを自分ではなく,別の小さなことに向け続ければ,ネガティブな自己注目の悪循環から脱け出すことができるのです。

●コミュニケーションしている間の【注意の転換】

  他人と話している最中に,ネガティブな自己注目が起きてしまった場合は,上述の対処法は使いづらいですね。その場合にできることを,これも簡単に紹介します。

相手の容姿を点検する

相手の声を点検する

相手の表情を点検する

話題に注意を向ける

場(状況)に注意を向ける

  要するに,「自分がどう見られているか」,「相手にとって自分はどうか」ということばかりに注目するのではなく,相手や話題や場(状況)に注意を分散させるということです。気分よく自然に対話しているときには,このような分散が努力しなくてもできているのです。が,他者と話しているときに自分に注目しすぎてしまうパターンが身についてしまった人は,多くの人が普通にできている注意の分散を,あえて意図的に行う必要があります。慣れてくれば,自己注目ばかりして肝心の話題にも集中できなかった自分が,ずっと楽な気持ちで他人と対話できることを発見できるでしょう。

●今日のまとめの一言:ネガティブな自己注目のパターンによって,つらい思いをすることが多い人は,自己注目に気づいたら,注目の方向を自分以外の対象に転換してみよう。注意の転換を意図的に繰り返しているうちに,結果的にネガティブな自己注目パターンも緩和されるだろう。

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