« 【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その4:自ら人に会いに出かける | トップページ | 【一人でできる認知療法・認知行動療法】その10:曝露法(エクスポージャー) 技法⑤ »

2005年10月31日 (月)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その5:とりあえず「発信」して,仲間を募る

  多くの方々がそうだと思いますが,私も自分の興味のある事柄については,自分自身でとことん調べ,エキスパートに教えを請い,その上で自分の乏しい脳味噌をふりしぼってとことん考え,自分なりのとりあえずの結論を出してみたいと切望しています。しかし興味のあることって,大抵常に複数ありますし,どれ一つとっても,ちょっと調べてみるだけでその背景に広大な研究や実践の歴史があることがわかってしまうわけで,根がしつこい私は,何もかもを徹底的に自ら調べ上げて,咀嚼したい衝動にかられるのですが,限りある人生,当然そうはいきませんよね。(「ね」って,誰に同意を求めているんだか・・・笑)。

  ここ数年,とくにこの23年の間,自分の中心的な専門分野でないテーマについて発言を求められることが増えており,最近あった学会でも,そのような機会がありまして,準備をしているときには,「どよーん」と重たい気分にとらわれることもあったのでした。「どうしてこんなに重たいんだろう」と自問してみたのですが,一番大きいのは,「まだまだ勉強や考察が足りてないのに,こんな中途半端なことを,人前でしゃべっちゃって(あるいは活字にしちゃって)いいんだろうか?」という“恐れを伴う認知”でした。「調べ足りていないことが,まだまだあるんじゃないか」,「もっと自分なりの論考を熟成させたい」,「あと1年あれば,もうちょっとマシな考察ができそうなのに」・・・etc,あれこれ考えては逃げたくなっていたのですが,一度引き受けてしまったことから逃げるほどの勇気はないので,出来る限りの準備をして原稿を書いたり,発表に臨んだりして,とりあえず一つ一つ終えていき,過去にこだわらない私としては,終わった瞬間から,「ああ,とりあえずやってよかった。面白かった!」と能天気に考え,反省すらすることなく,忘れてしまうのでした。

  で,このような体験を繰り返しながら思うのは,たとえ熟成していない考えでも,活字化や発言の機会を与えられることによって外在化することで,誰かから何らかのフィードバックをもらうことができるって,本当にありがたいことだなあ,ということです。フィードバックしてもらうと,それが肯定的であろうと否定的であろうと,結局はとても嬉しいんですよね。それにある程度調べても自分の見方が定まらない事象というのは,それだけ多様な考えを引き起こしやすいものであって,だからこそ他人のフィードバック,すなわち多様な視点からのコメントがとても興味深かったりするのでした。

 と,ここまで書いていて思いましたが,認知行動療法をやっている私は,「傾聴中心のセラピー」に満足しなかったクライアントさんと出会う機会が多くありますが,そのようなクライアントさんがおっしゃるのは,「(これまで受けたセラピーは)ただ話を聴いてくれるだけで,それ以上何もしてもらえなかった」という不満です。非常にもっともな不満だと思います。自分が体験したこと,感じたこと,思ったこと,望んでいることを,自分のお金と時間を使って専門家に話しているのに(非常に勇気の要ることだと思います),それに対してセラピストからフィードバックがない(セラピストがフィードバックしているつもりであったかどうか,ということはこの際無視します。少なくともクライアントさんは「フィードバックがない」と判断したのです)ということに不満を感じるのは,あまりにももっともなことだと思うのです。(傾聴されるだけで展開するセラピーがあることは認めます。私自身,そういうセラピーを実施することもあります。が,それは「傾聴中心のセラピーでやっていきましょう」という“メタコミュニケーション”が実施されたうえで行われるべきことだと思います。)

 見知らぬ他人であるセラピストに自分のことを話すクライアントさんにしろ,自信のないことを半ば公の場で話す私にしろ,それには多大な心細さが伴うわけで,話した後でもやはりその心細さが続くわけです。そんなときに,「あなたの話したことについて,こんなふうに思ったんだけど」と,フィードバックしていただけると,それがどんな内容であれ,「ちゃんと聞いてくれて,それに対してコメントしてくれている」ということ自体に,非常にホッとするのです。ということを,今回の一連の発表を終えて,改めて実感しました。そして,クライアントさんにとってより援助的に機能するように,自分のフィードバックスキルを磨いていきたいと思いました。

 ともあれ研究者としては,自分の取り組んでいきたいテーマについては,自分で納得のできるほどに論考が進んでいなくても,勇気を出して,それを公の場で提示するといった,より多様なフィードバックを受けるための機会を自ら作り出していくことが重要だということが,今回の学会を通じてよくわかりました。気が小さい私にとっては,そう気楽にできることではありませんが,このことを忘れないでいたいと思います。

●今日のまとめの一言: 興味のあることについては,できれば自分でとことん調べ,とことん考え,自分なりの「素晴らしい結論」を出してみたいものだが,そんな夢のようなことを待っていたのでは,人生が終わってしまうだろう。たとえ中途半端な論考でも,批判覚悟で思い切って発信し,フィードバックをもらう,そういう場を自ら作っていくことが重要である。

|

« 【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その4:自ら人に会いに出かける | トップページ | 【一人でできる認知療法・認知行動療法】その10:曝露法(エクスポージャー) 技法⑤ »

コメント

はじめまして。
臨床心理系大学院を目指している とし と申します。
認知行動療法で検索してこちらにたどり着きました。
現在、研究計画書を作成中で、内容を認知行動療法に関するものにしようか、どうしようかと思案中です。
実際、私は認知行動療法的アプローチが好きです。すっきりしていて解りやすく、その理論構成も対象関係学派や人間性心理学派より合理的です。
しかし、私の周りを見回してみると、認知行動療法的アプローチを支持する人は、ほとんどいません。
もちろん、私がマイノリティであることを悩んでいるわけではありません。少数派であろうとなかろうと、自分の好きな分野で研究を進めようと思っています。
でも、時々こう思うんです。認知行動療法が今現在、日本の心理臨床の現場でマイノリティであることが、まさに、この療法の価値を減少させているのではないだろうか?と。もっと言うと、現在の日本において、認知行動療法がマイノリティであることは、認知療法家が大好きな「エビデンスベースド」の精神に照らして、この療法の無効さを証明していませんか?
私なりにこの原因を推察すると、外的、環境的要因も思いつきますが、内的、構造的問題もかなりあるような気がするのです。
繰り返しますが、私はCBT的アプローチが好きです。
管理者様(すいません、お名前がわからなかったので)は現在CBTが日本においてマイノリティである原因をどのようにお考えでしょうか?
もしよろしければご意見をお聞かせください。

投稿: とし | 2005年11月 1日 (火) 00時46分

とし様

コメントありがとうございます。私は,このブログでは「coping」と名乗っております。
CBTが日本でマイノリティである原因は?という問いですが,CBTの知名度はこの数年で爆発的に高まっていると思います。他のアプローチに比べたら新しい療法で,今,人々に知られつつある「過渡期」なのではないかと私は考えています。CBTを学びたいという臨床家も,CBTを受けたいというユーザーの数も,とにかく急激に増えている,というのが私の実感ですし,実際に認知療法学会の会員はここ2,3年で急増していますよ。
その上であえてとしさんの問いに答えてみるとしたら,日本における心理臨床家の養成機関の多くが,「科学者-実践家モデル」に基づいていない,というのが,CBTがなかなかメジャーにならない大きな要因だと思います。しかし基礎心理学と臨床心理学のインターフェースについての議論も増えてきていますし,徐々に養成機関についての現状も改善されるものと思われます。
上記のとおり,CBTへの関心が加速度的に高まっているのは確かですので,あと5年10年もすれば,もっと「普通に人々に知られる普通のアプローチ」として世の中で認知されるようになるのではないでしょうか。
ぜひ同じCBTを志向する仲間として,としさんにも頑張っていただきたいと思います。応援します!
では今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: coping | 2005年11月 1日 (火) 21時57分

copingさま

お返事ありがとうございます。
なるほど。確かに臨床心理系大学院はどっと増えましたが、CBT的アプローチを専門とする教員や「科学者―実践家モデル」をあまり意識していない教員も多いようですね。
実際、CBTを専門にやりたいと考えると、大学院の選択肢がかなり狭くなる気がします。
もっとも、なぜ私がCBTを魅力的に感じるかというと、上手く言えませんが「拡張性の高さ」みたいなものを感じる所なんです。強力で、カリスマ性を持った療法家が創始した療法よりも、実証される限り、自分なりの自由な発想や構造を治療に組み込めそう、そんな気がするんです。
だから今は、ある特定の療法「だけ」専門的に学ぶというよりも、もっとより多くのことを吸収したいと思っています。
まあ、まだ大学院にも入ってないひよっこですから、当然と言えば当然なんですが。
現在、研究計画作成中です。自動思考が「そろそろ論文に取り掛かるべきだ」と言ってきますので、今日のところはこのへんで。
ブログはこれからも拝見させていただきます。ちょくちょく顔を出すかもしれません。そのときはよろしくお願いします。では。

投稿: とし | 2005年11月 1日 (火) 23時54分

 まさに、まさに。
 さすがに場数を踏んでいらっしゃるだけに、説得力があり、納得してます。
 僕の師匠も何か得たければ、先ず発信してみることを強く勧めていました。あるアメリカのアドレリアンも「あることを学びたければ、先ずそれを教えることだ」なんて順序が逆みたいなことをおっしゃてましたが、こういうことだったんだと思います。
 先ず発信することの大事さを、慣れないブログ活動で僕も知ることができました。
 
 それにしても僕なんか永遠のマイノリティーだから、CBTは日の出の勢いって感じがするんだけどなあ。

投稿: アド仙人 | 2005年11月11日 (金) 00時32分

アド仙人様
こんにちは。コメントありがとうございます。

>先ず発信することの大事さ

発信と受信をこまめに繰り返す,ということでしょうか。
私もアド仙人さんの発信のおかげで,これまで勝手に過去の遺物(すみません,でも本当にそう思い込んでいたんです)と決め付けていた「アドラー」および「アドラー心理学」に興味を持つことができました。

発信と言えば,アド仙人さんのブログが発信する内容が,ますます多彩になっていますね。コメントしてませんが(できませんが),いつも驚嘆しながら拝読しています。

さらにマイノリティと言えば,臨床心理士自体が今でもマイノリティですからね。アド仙人さんと私は,貴ブログを拝読する限り,ほとんど同世代のようですが,我々がこの資格を取ったときなんて,今よりもっとマイノリティでしたよね?CBTも今でこそ注目されつつありますが,私が勉強をはじめた時なんか,誰も仲間がいませんでしたから,どちらかというと「マイノリティ感覚」のほうに親和性を感じます。

要するに,自分がいいと思ったものを好きにやればいい,ということなのかな,と今書いていて思いました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: coping | 2005年11月11日 (金) 23時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その5:とりあえず「発信」して,仲間を募る:

« 【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その4:自ら人に会いに出かける | トップページ | 【一人でできる認知療法・認知行動療法】その10:曝露法(エクスポージャー) 技法⑤ »