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2005年8月24日 (水)

今日のストレスコーピング(7):時間を決めて悩む・心配する

  私はこの8月,諸々の理由で,悩み事や心配事が多い月でした。まあ生きていればいろいろとありますし,悪い出来事って重なるときは重なりますから,そういうときは悩んだり心配したりする時間が多くなってしまうのも仕方のないことでしょう。

  でも,悩み続けると,あるいは心配しつづけると,今度はそのことによって消耗してしまいます。で,「いつまでもこんなことに悩んでいる自分が嫌だ」とか「心配しても何も解決しないのに,心配しないではいられない」などといったネガティブな認知が生じて,さらに嫌な気分になる・・・といった悪循環に陥ってしまいがちです。

  かといって,悩んでいるときに,第三者から「そんなに悩んでもしょうがないよ」,「誰にでもあることだよ」,「そんなこと心配していないで頑張れ」,「いつまでも考えていたってしょうがないじゃないか」,「考えなければいい」・・・などと言われてしまうと,「それができないから悩んでしまうのだ! あんたに何がわかる?」と反発したくなります。

  ではどうすればいいのか,と言うと,自分で「悩みの時間」「心配する時間」を予め決めてしまい,その時間内に精一杯悩んだり心配したりする,ということです。これを私は自分自身のストレスコーピングに活用しています。

このやり方は不安障害のCBTでよく用いられるものですが,CBTで技法として使われる場合は,たとえば「毎日午後530分から6時までを“心配時間”として,めいいっぱい悩みましょう」というような教示がなされます。もちろんそのように毎日の心配時間を決めてそれに従うということも効果的ですが,一時的にストレスを強く感じて悩んでいる場合,そこまで定式化せずとも,臨時の「悩み時間」「心配時間」を決めて,その日,そのときだけ思い切り自分の悩みや心配に没頭するので事足ります。(少なくとも私は事足ります)

最近実施した「悩み&心配時間」は,次のようなものでした。ある日,とにかく悩んでもしょうがない悩みにとりつかれ,それを振り払えずに困っていました。そこでふと思い出したのが,「そうだ,明日プールに行くんだった」という,次の日の予定です。で,「明日のプールで歩いたり泳いだりしているときって,どうせ頭の中は暇だから,このことについては明日のプールで考えよう。それまで保留にしておこう」と決めて,その日,および翌日のプールに行く前の時間に,悩み事が頭をもたげても,それに付き合わず,「プールに行ったら悩もう!」と自分に言い聞かせて,やりすごしました。この「やりすごし」もそう簡単にはいきませんが,慣れてくると,まあまあできるようになるものです。

そしてプールに行き,「さあ,悩むぞ!」といった感じで気合いを入れて悩んだわけです(笑)。まあ,「悩んだ」というより,「あれこれ考えた」という感じですが,とにかくプールで身体を動かしている間,そのことについて考えつづけました。で,さんざん考えた結論は,「やっぱり自分が一人でこんなふうに考えてもしょうがない。やれるだけのことをやって,あとはなるようにしかならないもんな~」という,ごく普通のものでした。どうってことのない結論ですが,この場合重要なのは,結論の中身ではなく,このように時間を決めて悩んだことによって,「ケリをつけることができた」ということです。その後,この悩み事から私が解放されたわけではありませんが,一度ケリをつけているので,とりあえず時間を無駄にしてまで,ぐずぐずと悩むようなことはなくなりました。

以上,相変らずしょーもないコーピングを披露していますが,建設的な問題解決や認知の再構成が役に立つ悩みもあれば,むしろ悩んでもしょうがないとわかっていることについては,際限なくそれについて悩んで時間とエネルギーを無駄にするよりは,どこかで時間を決めて,その時間内に限ってめいいっぱい悩んでみるほうが,役に立つ場合もあるということを言いたかったのでした。(「そんなの当たり前じゃん!」と思われるかもしれませんが,そうなんです,当たり前なんです。当たり前に皆が実践しているコーピングを,わざわざ“技法”として定式化するのがCBTなんです。・・・・少なくとも私はそう解釈しています)

●今日のまとめの一言: 気にかかっていることを「悩むな!」「心配するな!」と言われても無理がある。でもずっと悩み続けるのもしんどい。だったら,時間を決めて,その間だけ思い切り悩んだり心配したりすることにしてみよう。それで気持ちにケリをつけられれば,儲けもの!

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2005年8月16日 (火)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その9:リラクセーション法 技法④

  ※久々の投稿です。理由はわからないのですが,原稿作成時には特に問題ないのですが,ブログ表示時にフォントがおかしくなってしまうようで,修復の仕方がわかりません。突然字が小さくなって表示されてしまいますが,特に意味はありませんのでご容赦ください。すみませんです。

●【リラクセーション法】

  CBTではリラクセーション法が多用されます。なぜなら役に立つし,安全だからです。実際のCBTのセッションでは,ストレス反応=症状は心身の過剰な緊張の持続によるものだということを,心理学的そして生理学的な説明(心理教育)によって理解してもらったうえで,リラクセーション法の練習に入りますが,ここではとりあえず,最も安全でコストのかからない【リラクセーションのための呼吸コントロール法】について,簡単に紹介します

 リラクセーションには,自分で実施するものと,他人や状況に依存するものの両方がありますが,そのどちらでも構いません。もしあなたが自分の自由になるお金と時間をたっぷり持っているのであれば,わざわざ自分でリラクセーション法を実施しなくても,たとえば温泉に行って,美しい風景を見ながら露天風呂でのんびりし,ついでにマッサージでもしてもらうことを毎日続ければ,まったりとリラックスしつづけられるかもしれません。が,私を含む多くの人は,そんな余裕はありませんよね。だとすると,時間とお金をかけずに,自分で自分をリラックスさせる方法を習得し,毎日実践するのが最も効果的でしょう。私自身,この仕事を選んで良かったなあと思う理由の一つは,数々のリラクセーションを習得し,日常的に実施することで(さらにラッキーなことに,クライアントさんとリラクセーション法を練習するチャンスが多々あることで),肩こりとか不眠とかいった慢性緊張症状から解放されたことです。

●呼吸コントロール法(腹式呼吸法)

 最初に最も重要なポイントを挙げておきます。「嫌な感じがしたら,とりあえず息を吐きましょう」ということです。心身が嫌な感じがするとき,私たちは,浅くて速い呼吸をしているか,息をぐっと詰めてしまっているかのどちらかです。そして嫌な感じがして「苦しいなあ」と思うと,なぜか「息を吸わなきゃ」と思って,さらに息を吸い込んで,自分を苦しくさせてしまうのです。そうやって吸えば吸うほど身体は過酸素状態になって,苦しさは増していきます。それがいわゆる「過呼吸」です。そういうときは,姿勢もおかしくなっています。肩で息を吸うものだから,肩や首や背中や後頭部の筋肉が異様に緊張・収縮して,上半身がガチガチになっているのです。そしてその分下半身は不安定になって,グラグラしています。パニック障害の方が,発作のときに「体がグラグラする」と言うのは錯覚ではなく,本当に下半身が不安定になって,グラグラしていることが多いのです。

 ではどうすればいいか。上記と反対のことをすればいいのです。つまり,下半身に重心を置き,息を吐いて吐いて吐きまくるのです。吐ききれば必要な分だけ自然と息を吸うように,私たちの身体は作られています。そうすれば過剰に吸いすぎることもなく,体がグラグラすることもなく,落ち着いてどっしりとした姿勢を保ち,静かに良い呼吸を繰り返すことができるのです。

  以上の手順をちょっとまとめてみます。

① 下半身(特に足の裏と下腹部)に意識を置いて,安定させる。(相対的に上半身の力が抜けます。)

② 一度,ふぅっと溜め息をつくようにして,口から息を吐きます。

③ 鼻から少しだけ息を吸います。・・・鼻水をすするように,啜り上げるのがコツです。このように息を吸うと,胃のあたりがふわっと膨らみます。

④ ③のようにして少しだけ吸った息を,口から細く長く少しずつ吐いていきます。最初は4秒ぐらいかけて吐ききれば上々です。慣れてきたら,8秒,16秒というふうに,吐く時間を長くしていきましょう。(慣れてくると少しだけ吸った息を,16秒ぐらいかけて楽に吐けるようになります。つまり少しだけ吸った息を,時間をかけてチビチビと大事に吐いていくのです。すごくケチな呼吸ですね)

⑤ 以上の呼吸を何度か繰り返します。結果的に心身の緊張が抜けてきますが,慣れるまでは,むしろどこかに痛みを感じたり,ちょっと苦しくなったりすることもあります。その場合は「嫌な感じがしたら,とりあえず息を吐く」という原則に立ち戻って,息を吐いてください。そして吐ききったらふだんの自然な呼吸に戻してください。そのうち嫌な感じは消えるはずです。

  呼吸コントロールは,最初は以上の手順に意識をしっかりと向けて,この手順を繰り替えすことだけに集中して行うといいでしょう。結果的にリラクセーション反応が得られればラッキーですし,特にリラクセ―ションを実感しなくても,やっていて具合が悪くならなければまずOKと受け止め,とりあえず上のような手順を繰り返しやってみるということを続けてください。そのうち「あれ,なんか力が抜けて,なんだか楽な感じがする」とか「ふうん。リラクセーションってこんな感じなんだ」と,何となく気づくときが来ると思います。そうしたらそのような感覚を大事に味わって,また日々続けていけば良いのです。重要なのは,リラクセーションが大事であることを知っておき,そのための手順を,リラクセーションが得られるかどうかは別として,日々ちょこちょこと実践することです。そのような日常的な実践が,結果的に深いリラクセーションをいつの日かあなたにもたらしてくだれるのです。

●今日のまとめの一言: 心身の過剰な緊張による諸症状は,リラクセーション法の実践により緩和することができる。代表的な方法としては呼吸コントロール法があるが,これははじめからリラクセーションを目的にするのではなく,とりあえず手順をしっかりと意識して,ちょこちょこと実施しつづけることがよい。リラクセーションは結果として得られる体験にすぎない。

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2005年8月 5日 (金)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その8:イメージ技法 技法③

 最近諸事情により脱線気味の当ブログでしたが,本線に戻そうと思います。一人で認知行動療法(CBT)にトライする人に少しでもヒントになれば,という【一人でできるCBT】シリーズに話を戻します。といっても,かなり不十分な記述が続くことと思います。いずれもうちょっと系統立てて,ストレスコーピングの視点から,【ひとりCBT】については書きたいと考えておりますので,どうぞお許しを。何かあればコメントください。

●【イメージ技法】

  認知というと,“言語的な思考”ばかりが注目されがちですが,もう一つの認知である“イメージ”のことを忘れてはなりません。上記の認知再構成法や問題解決法の中にイメージを組み込むということもできますが,これらの技法はどうしても言葉を使って進めていくので,なかなか難しかったりもします。

  イメージの力は強力です。たとえば夢はイメージ的側面が大きいですよね。明け方見た夢によって,寝起きの気分が大きく左右されたりするのは,よくあることです。いわゆるフラッシュバックという現象も,イメージのもつ影響力の大きさを物語っています。逆にスポーツ選手が行う“イメージトレーニング”は,イメージのそのような影響力を意図的にプラス方向に活用しようというものです。

  ここでは私が実際に臨床場面でよく用いる,イメージ技法を二つ紹介してみます。

●イメージリハーサル:「こういうときは,こうしよう」「明日,これをやるときには,こんなふうにできたらいいな」という未来の自分の言動を,できるだけ具体的なイメージとしてリハーサルするというものです。何事も本番の前に,現場で実際の言動としてリハーサルできれば一番良いのですが,そうはいかないことも多々ありますよね。そういうときは,できるだけリアルなイメージをありありと思い描き,イメージの世界でリアルにリハーサルすれば良いのです。夢があれだけリアルなのですから,自分で作るイメージも練習すればするほどリアルに思い浮かべられるようになります。ポイントは,「現実的にできそうなレベルのことをリハーサルする」ということです。

  たとえば翌日,結婚式に呼ばれていてスピーチしなければならない,というときに,私はこのイメージリハーサルを行います。そのときイメージするのは,人々の前で全く緊張せず,よどみなく話している自分ではなく,緊張してマイクを持つ手も少し震えているのですが,なんとか最後まで話をするという自分です。できないことをイメージしても,やっぱりそれはできないので,「とりあえずこの程度できればいいや」というレベルでのリハーサルに留めておくのです。それでも一度リハーサルしておくと,脳はそれを「一度体験したこと」として記憶に留めてくれるので,本番がかなり楽になります。

  明日,苦手な人と話さなければならない,などというときにも,このイメージリハーサルは有効です。どんなふうに挨拶をして,嫌なことを言われたらどう切り替えして・・・といったことを予め決めておいて,リハーサルしておくのです。すると,実際に嫌なことを言われても,リハーサルしたとおりに対応すればよいので,その場でオタオタしなくて済みます。(こういうときって,オタオタしてしまった自分を,後になってクヨクヨと悔やむ羽目に陥りがちなのですが,リハーサルしておくとそれを防げます。)

●壺イメージ法:田嶌誠一先生という方が考案したイメージ法です。一時期私はこの技法の虜になり,壺イメージ法のワークショップやシンポジウムにしょっちゅう参加していました。壺イメージ法は,自分の好きな壺をイメージして,嫌なこと,考えたくないこと,今はそっとしておきたいことなどを,その壺にしまっていく,というイメージワークです。「捨てる」のではなく,「壺にしまっておく」というのがポイントです。詳しくは,田嶌先生の本などを参照していただきたいのですが,入手の難しい本が多いようです。お勧めは『イメージ体験の心理学』(講談社現代新書)なのですが,これも品切れで入手不可能とのことで,興味のある方は図書館などで探してみてください。

  この技法のポイントは,先に自分の壺を決めておくということです。なかなかイメージできなければ,絵に描いてみてもいいですし,実際にどこかで見た壺をイメージすることにしても構いません。自分の思いをそっとしまっておく壺という器を先に決めておいて,嫌なことを考えたり,思い出したりして,そのグルグル思考からなかなか脱け出せない場合,まず先に壺をイメージし,次にそれらの考えや思い出をそこにしまっていくのです。この壺イメージ法は,やってみると意外に簡単で面白いものです。クライアントさんにもよくこの技法は紹介しますが,(いい意味で)はまる人ははまり,「今度嫌なことを思い出したら,こんな壺にしようかな,それともあんな壺にしてみようかな」と,壺の考案そのものを楽しむ人もいらっしゃいます。すると面白いことに,嫌なことがあっても「今日はあの壺に入れちゃえ」と,嫌なことよりも壺に気が向くようになり,それだけでもストレス反応が緩和されることがあるのです。

●今日のまとめの一言: 「認知」とは言語的思考だけではない。もうひとつの認知である「イメージ」は,良い意味でも悪い意味でも強力な影響力をもち,CBTではイメージを活用する技法もよく使われる。

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2005年8月 2日 (火)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その2:認知心理学とCBTのインタラクション

  とりあえず一言書いておきたいことがあり,一方で「まともな文章を書かねば」と思うと面倒だというときには,「ひとりごと」としてちょちょっと書き残すことにしました。(自分がずぼらになっていくプロセスを晒しているようで,恥ずかしい)

  7月にブログの更新が滞り気味だったのは,日常業務が立て込んでいた他に,外に出かける仕事が多かったのと,仲間と出版する本の原稿作成にとりかかっていたからです。そしてやっと今日,原稿が書き終わりました。その本のテーマのひとつは【基礎心理学と臨床心理学のインタラクション】でして,私は認知心理学の章を担当しました。具体的には,【認知心理学とCBTのインタラクション】(インタフェースと言ってもいいかもしれない)についてです。

  実は私の修論および博論のテーマが,まさに【認知心理学とCBTのインタラクション】でした。しかし私が博士論文の研究計画を立て,先行研究をレビューしたりしていたのは,10数年以上も前のことです。そしてその後,臨床どっぷり生活を続けていた私は,認知心理学の勉強を怠っていたのでした。

  それが数年前から仲間と【基礎と臨床のインタラクション】について語り合うようになり,出版の企画などをしているうちに,他からも原稿や学会での発言を求められることが何度かあり,ひさびさに認知心理学および認知科学の勉強を再開したのでした。

  いやあ,1990年代のとくに後半ぐらいから,認知心理学自体がかなり変化していたんですね。以前このブログでベックの認知療法は「古典的認知療法」で,今現在は「第二世代CBT」が主流であると書きましたが,認知心理学というより認知科学自体も新しい時代に突入していたのです(「コンピュータ・アナロジーによる情報処理アプローチが行き詰っている,これからは日常認知研究だ! でも日常認知研究ってどうやってやるの? たとえばこんなやり方があるよ」というところまでしか,私は把握していませんでした)。その流れを追うのをすっかり怠っていたことに今になって気づき,しかし原稿は書かねばならず,いろいろと調べ始めたら面白くなってきてしまって(とくに「協同学習」や「創造的問題解決」に関する研究が面白い。なにしろCBTの過程は協同的な問題解決過程そのものだから),「あと1年勉強したいから,〆切を来年にして!」などと懇願したかったのですが,そんなことをお願いできるはずもなく,中途半端なレビューに基づき,【認知心理学とCBTのインタラクション】について書かざるを得ない羽目に陥ってしまったのでした。

  というわけで,今回の原稿作成は自分にとっては本当にきつかったです。あまりにもレビューが不十分であることを自覚しながら書いているのですから。しかしまた次のチャンスがあると思うので,今抱えている手間のかかる仕事といくつかの学会が終わったら,しばらくは認知心理学および認知科学の文献購読に何とか時間を割いて,遅れを取り戻したいと思います。

  以上,とりとめのない「ひとりごと」でした。

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