« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »

2005年7月28日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その1:心理の国家資格の法案→上程断念について

  ときどきこのブログでも「ひとりごと」をブツブツ言ってみることにしました。

  さて,心理職の人は皆ご存知だと思いますが,何とか法案が出来上がるところまでは来ていた「臨床心理士及び医療心理師法案要綱骨子(案)」が結局,今国会に上程されずに終わってしまうことになりました。このような結果に至るまでのゴタゴタはここには書きませんが(と言っても,私が知っていることなんてほんの一部ですが),私が一番残念に思っていることは,「これで認知療法・認知行動療法(CBT)が,よりよい形で日本において広まるチャンスを,一つ逸したな~」ということです。それに尽きると言ってもいいかもしれません。

  私自身は臨床心理士の民間資格でこれまで仕事をしてきていますし,今後もしていく所存ですが,実は今回の騒動では,「医療心理師」派でした。なぜなら医療心理師が国家資格化されることで,医療心理師を養成するための大学学部のカリキュラムが編成され,そこには必ず基礎系の心理学とCBTが必修科目として入るだろうと考えていたからです。それに比べて臨床心理士会,臨床心理士資格認定協会,日本心理臨床学会は,CBTがお嫌いなようで(これ以上はここには書きませんが,このように推定する根拠はいろいろとあります),大学院教育でまともにCBTをトレーニングしているところは,ほんの少ししかありません。

多くの人に役に立つであろうということが,エビデンスとして示されているCBTを世に広めるには,専門家養成が不可欠ですが,CBTをきちんと行える臨床心理士を養成しようという姿勢が,臨床心理士会等の団体には見られません。しかし医療現場の心理職に求められるのは,「効果のある方法で早く治してほしい」というユーザー(患者さん)の切実なニーズに応えることです。そして現時点の諸データから,CBTはユーザーのニーズに応える理論と方法論を持っていると考えられます。だとしたらCBT,およびその基盤となる基礎心理学の知識を心理職が習得するというのは,「ベター」ではなくて「マスト」なのではないでしょうか。

以上のことから,私は医療心理師の資格化を望んでいました。私は現在開業しておりますが,医療心理師が国家資格化されて,いずれは医療機関にて認知行動療法が保険適用されるようになれば,私自身は廃業せざるをえないだろうとも思っていました。しかしそれが,CBTがよりよく日本に広まった結果であれば,それでも良いと考えていましたし,今でもそう考えています。きれいごとのようですが,職業倫理とはそういうものだと思いますし,人間としてはともかく,サイコロジストとしては倫理的でありたいと考えています。

というわけで,ここ数日,この資格問題をめぐってかなりがっかりしております。CBTを受けたい人が,安価で良質なCBTを受けられるようになるまでに,日本ではあと何百年かかるのでしょうか?・・・かなり否定的な自動思考ですが,妥当性は高いぞ(笑)。まあ嘆いていてもしょうがないので,私は自分のできることを毎日地道にやっていきたいと思います。・・・立ち直りも早いぞ(笑)。

以上,今回の資格化問題を,「CBTの普及問題」として考えていた者のひとりごとでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年7月26日 (火)

【認知療法・認知行動療法】コラムその8:当事者に教えてもらうことが不可欠

  私はずっと思春期や大人を対象とした臨床をやってきており,また精神科や企業に勤めていたせいで,子どもや発達障害の臨床には詳しくありませんし,ほとんど経験もありません。が,最近,CBTが子どもや発達障害の臨床にも活用可能で,しかも効果的であるということが,ちらほら言われるようになってきており,また,アスペルガー症候群と思しき大人を対象としたCBTのケースに関与することが最近何度かあり,発達障害についてきちんと勉強しなくては,と思い始めました。そこで専門家が書いた教科書をいくつか読んでみました。どれもそれなりに勉強になったのですが,最近,『自閉症だったわたしへ』(ドナ・ウィリアムズ著,河野万里子訳,新潮文庫)を読み,大変勉強になると同時に,深く感動しました(「もっと早く読んでおけばよかった」と後悔&反省)。そして改めて,CBTにおいて当事者から教えてもらうことがいかに重要か」ということについて考えましたので,今日はその辺をちょっと書いてみます。

●ドナ・ウィリアムズ著 『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)より

 本書はそのタイトルの通り,自閉症の当事者が大人になってから,自分の生活歴を振り返って手記としてまとめたものです。著者は自閉症のなかでも,知能に欠損がなく,しかも言語能力にも欠損がないというタイプの人で,だからこそ自分の体験を,手記という形で自力で表現することができたのだと思われます。

 私も日々の面接を行うなかでクライアントさんの話を聞きながら,「当事者だからこそ,これほどまでにビビッドに自分の体験を表現できるのだなあ」と感動することがときどきありますが,まさにこの本の著者は,当事者しか語りえない自閉症の世界を,ビビッドに伝えてくれています。そういう意味では,どのページを開いても,「当事者性」に満ち満ちており,自閉症についてにわか勉強を始めた私にとっては全てが非常に新鮮で,わくわくするような気持ちで本書を読み終えました。

 昔,精神科デイケアで,統合失調症の患者さんとおしゃべりをし始めたときの,あのワクワク感を思い出しました。「ワクワク感」などと書くと,失礼だと怒られるかもしれませんが,自分とは違う枠組みで世界や他者を捉えることのできる人のリアルな話を聞くのは,やはり「ワクワクする」としか言いようがありません。病気か病気でないかとか,障害者か健常者かということではなく,自分とは違う世界観があるということを教えてもらうことは,何か目の前の風景がパーッと開けるような,非常に新鮮な気がするのです。

●当事者に教えてもらうことから始まる

CBT

 といった話はひとまず置いておき,臨床的な話に戻りますが,先日の「べてるの家」の記事にも書いたとおり,「当事者が自分について語るのをよりよく聴く」というのが,臨床の基本であることは間違いないと思います。そして真に効果的であることを目指すCBT(認知行動療法)は,まず最初に,当事者のものの見方,考え方,感じ方,振る舞い方,世界との付き合い方について,当事者の視点から教えていただくことを重視するものだと思います。それがCBTにおける,いわゆる“アセスメント”,“ケース・フォーミュレーション”の真髄だと思うのです。

 したがってCBTの実践家は,特にケースの初期段階では,まず当事者(クライアントさん)が自分の体験を,まさに自分の体験として上手に語れるよう,援助しなければなりません。そのようなコミュニケーションの場を提供しなければなりません。それなくしては,どんな強力な技法であれ,大した効果はないでしょう。

 といったCBTの原則は,「べてるの家」を知ることで統合失調症の人との対話においても適用できることを知り,さらに今回本書を読むことで,自閉症の人との対話においても適用できることを知り,とても嬉しくなってしまいました。そして著者は本書を通じて,自分の自閉症体験を,この上なくリアルに私たちに教えてくれているのです。こんなにありがたいことはありません。

 引用したい箇所は多々ありますが,控えめにしておくとして,特に私は本書の最後に,著者が「まとめ」として書いてくれた箇所に感銘を受けました。自閉症としての自分の言動の意味や目的について書いてある箇所です。

 たとえば・・・

著者の「笑い」は緊張や恐怖,不安などを解法するための手段で,感情表出ではないとのことです。社会に受け入れやすい形での恐怖の表現だという。むしろ「手をたたくこと」が喜びの表現であることが多かったとのこと。

 そう教えてもらわなければ,私のような単純な人間は,「笑い」にそのような意味があるだなんて,一生わからなかったかもしれません。

 たとえば・・・

  「わたしに物を受け取らせるには,ありがとうなどの返事や反応をいっさい期待せずに,ただその物を,わたしの近くに置いてくださればいい。何らかの反応を期待されているとわかると,その義務と責任ばかりに気を取られて,品物の方には気持ちがいかなくなってしまうからだ。」(p.472

  「またわたしに話を聞かせるには,わたしのことか,わたしに似た人のことを,大きな声でひとりごとを言うように話してくださればいい。するとわたしは,そのようなことなら自分にも話せることがある,という気持ちになってくる。この時接触は間接的な方がいいわけで,たとえば話しながら窓の外などを眺めていてくだされば,申し分ない。」(p.472

  「何より特徴的なのは,わたしは愛されることをそれほど必要としていたわけではなかった,ということだろう。(略)わたし自身の場合も,愛や親切や,親愛の情や共感は,いつも最大の恐怖の源だった。それらを感じ,自分にはふさわしくないと思いながらもなんとか人の努力に添おうと頑張っていると,フラストレーションはやがて自分など不適当だという思いに変わり,ついには絶望となってしまう。同情も,何にもなりはしない。おとぎ話とは違い,愛は必ずつき返されると思っておいていただきたい。それも,唾を吐きかけられて。しかし愛ではなく,いつも心に留めて気づかうことならば大丈夫なのだ。」(p.475476

 心理臨床の世界で当たり前のように言われている「共感的理解」,「無条件の積極的関心」,「クライアントに寄り添うこと」などといったことについて,それのどこがどこまで当たり前なのか,突きつけてくるような当事者による発言だと思います。そしてそのような当事者の声に耳を傾けなければ,専門家は援助どころか,ひとりよがりな間違いを繰り返し,むしろ当事者に迷惑をかけてしまう存在になってしまうのだと思います(自戒をこめて,あえてこんなふうに書いておきます)。本書にも,専門家に対する著者なりの「抗議」が多々見受けられました。そしてどれも私にとって耳の痛いものでした。

 さらに引用・・・

  「長々と書いてきたが,とにかくわたしは,わたしと同じような人たちを助けるために奮闘している人々に向かい,皆さんの努力は絶対にむだではない,と言いたかったのだ。間接的,客観的な方法で応えることと,無関心であることとは,まったく別のことなのである。」(p.477

 当事者の物の見方,考え方,感じ方,振る舞い方などをまとめてくれた上で,援助者に対してこんなふうにしめくくってくれている,この著者の柔軟性に感じ入るばかりです。それにしても「間接的,客観的な方法で応えること」というのは,CBTのエッセンスであると私は考えます。それが「CBTは冷たい。共感的でない」という批判を呼ぶのでしょうが,「直接的でないアプローチ,客観的なアプローチが,むしろこのように求められるのだ」,ということを当事者に教えていただけることで,日々の臨床で,CBTがたとえばボーダーラインのクライアントさんになぜか効果的に機能することの説明がつくようにも思えます。

 ・・・だんだんダラダラと長くなってきましたが,言いたいことはただ一つ,とにかく他者を援助しようという大それたことを目指すのであれば,当事者である他者に,自身についてとにかく教えていただくしかないのだ,ということです。その「語り」を引き出すための対話の場を構築するのが,臨床家の腕の見せ所であり,各療法の理論やモデルや技法の本質でもあるのだと思います。そして一見「冷たく,客観的」なCBTは,むしろそのための方法論をたくさん持っているのではないかと私は考えています。

●今日のまとめの一言: どんな症状,障害であれ,当事者に教えてもらうことから援助や治療は始まる。CBTは「当事者にいかに生き生きとした情報を教えてもらえばよいか」という視点から,クライアントさんの語りを引き出していくことから,アセスメントを進めていく。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年7月18日 (月)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その7:問題解決法 技法②

 「ひとりCBT」のための,とりあえずの技法紹介を再開します。

●【問題解決法】

 

認知を自分で修正できても,その認知を実生活で“実践”できなければ,「わかってはいるんだけれども・・・」というところで止まってしまいます。また認知よりも行動の面で,やりすぎてしまったり,回避的になってしまったりするなどして,何らかの問題が生じているようであれば,認知再構成法よりもむしろこの“問題解決法”が役に立つかもしれません。

  といってもこれは決して特別な技法ではなく,ふだん私たちが無意識的にせよ意識的にせよ行っている,実生活における問題解決の手順を,あえて“技法”として外在化し,意識的に実践することによって,再度適応的な問題解決法が,その人に内在化されることを目指したものです。

  簡単な手順は次のようなものです。

  問題を具体的に表現する。

  自分がよりよく問題解決できるように,自分に何か言ってみる。

     (例:「今の自分にできることは何だろう?」

  達成可能な現実的な目標イメージを,具体的に表現する。

  目標を達成するための方法を,ブレインストーミングする。

  ブレインストーミングによって案出した様々な方法を,“有効性”“実行可能性”と
いった視点から評価する。

  評価の高い方法を組み合わせて実行計画を立てる。

  計画に沿って“行動実験”し,計画の効果を検証する。

  この問題解決法のポイントは,「大きな問題はできるだけ小さく分解して,解決を試みる」ということです。人は参っているときに限って,「どうやって生きていこう?」などと,漠とした大問題を考えてしまうものです。そういうときこそ,「小さなことを考えよう」と自分に言い聞かせて,「明日からの週末を,どうやってすごそうか」と問いを小さく立て直すのです。できればもっと小さく,たとえば「明日の昼ご飯は,何を食べたら少しいい気分になれるだろうか」とさらに問いを細分化すると,より効果的でしょう。

  “認知再構成法”に比べると,この“問題解決法”はCBTの技法としての注目度が低いように思いますが,私自身は非常に重要でかつ効果的な技法だと考えています。頑張りすぎてうつ病になってしまった人などには,認知再構成法が効果的ですが,逆に自分に自信がなくて,「ああだこうだ」と考えすぎてしまい,その結果いろいろなことを避けてしまって抑うつ状態や不安状態に陥っている人には,むしろ問題解決法のほうが奏効する場合がよくあります。

「どう考えたらいいんだろう」というときには認知再構成法,「どうすればいいんだろう」というときは問題解決法,というふうに使い分ける,というやり方でもいいかもしれません。私は実際にそのように使い分けて自分で使っています。理想としては,両方習得できれば,併用したり,使い分けたりできるので,より対処力の向上を望めます。

●今日のまとめの一言:【認知再構成法】と【問題解決法】は,CBTの二大技法である。「やりすぎ」や「回避」といった行動的な問題がある場合は,問題解決法がより効果的かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月16日 (土)

今日のストレスコーピング(6):入浴剤と半身浴と読書と飲み物

  さて先日お書きしたとおり,ちょっとした出張に行ってきました。某企業でストレスマネジメントについて講演するためです。今回は十分にネットで事前調査したので,格安の値段なのにきれいでまあまあ広くて過ごしやすい部屋だったので,まずチェックインして一安心。そして私にとっては一番のポイントであるバスルームも清潔で広くて,とりあえずホッとしました。

  チェックインしたのは夜で,翌朝もほどほどに早起きして出かけなければなりませんから,ホテルの部屋で過ごせるのは,睡眠時間を除けばほんの数時間。でもせっかくのこの数時間が“ストレスコーピングのチャンス!”ということで,ご飯を食べたり仕事の準備をしたりした以外は,ほとんど以下のように過ごしました。(ホテルには,自宅と違って気が散るようなものがありませんので,自分のペースを守れるのです。これが最大のストレスコーピングだったりもしますが)

  バスタブにお湯を張り,お気に入りの入浴剤(ローズの香り)をたっぷりと混ぜ,冷たい飲み物(夜はビール!)と完全に楽しみのために読む本(ミステリ)を持って,長々と半身浴です。つまり複数のストレスコーピングの同時実施ということです。入浴剤の香りや肌触りの気持ちよさ,半身浴の気持ちよさ,楽しい本,美味しい飲み物,誰にも邪魔されない空間と時間,入浴後のリラックス,心地のよい眠り・・・といった要因が相乗効果となって,至福の時間を生み出すのです(大げさ・・・?)。翌朝も今度はシトラス系の入浴剤と飲み物(ミネラルウォーター)とミステリの続きで,またまた入浴。これで一日の始まりはとてもご機嫌です。

  と,書いていて思いましたが,どうってことのないコーピングをこんなふうに書き連ねて,ちょっと恥ずかしいです。

  でも,ストレスコーピングのコツってこんなもんだと思います。何かすごいコーピングがあって「それがあれば生きていける」といった大げさなものではなく,日常的にできる小さなコーピングをたくさん見つけておき,チャンスがあればそれをちょこちょこ実施して,「ああ,リフレッシュできた!」という時間を持つことのほうが,現実的であるように思います。(もちろん,状況に積極的に働きかけるようなコーピングも重要なのですが,その話はまた後日ということで)

  ところでコーピングについては,始終クライアントさんと話をするのですが,そのやりとりのなかで,上のような私自身のコーピングもクライアントさんに自己開示することはよくあります。「なんだ,専門家といえども,しょうもないことで気分転換しているんだな」とホッとしてもらえることもあり,このようなやりとりがクライアントさんのコーピングレパートリーの増加につながることもあります。そのような意味でも,セラピスト自身が,誰もがトライできるようなちょっとしたコーピングを日々実践するということは大事なのではないかと思います。(「CBTにおけるセラピストの自己開示」というのも,実は興味深いテーマですが,これもチャンスがあれば後日ということで・・・)

●今日のまとめの一言: ちょっとしたコーピングの組み合せによる相乗効果を活用すると効果的!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年7月13日 (水)

今日のストレスコーピング(5):出張の準備

 例によってつなぎ記事です(笑)。

 ときどき泊まりの出張に出かけるときがあるのですが,私は出張,嫌いではありません。かなり好きかも。大きな理由は2つです。1つは乗り物が好きだということ。もう1つはホテル泊まりが好きだということです。※ホテルにもよりますが・・・。先日出張で泊まったとあるビジネスホテルは悲しいぐらい狭くて汚くて,おかげで「ひとりCBT」をしまくっていました(笑)。

 せっかく出張で知らない土地に行くなら・・・と,事前に準備するのがストレスコーピングとして私は大好きです。実は明後日にもわりと近場で出張&お泊まりがあります。というわけで,先日から今日にかけて私が行っている準備とは・・・

●少しでも快適で安いホテル探し・・・予約サイトの宿泊感想欄を舐めるようにして熟読するのがポイントです。私が重視するのはバスルームです。できるだけ広くて清潔なところがいいです

●ホテル近辺のコンビニ情報収集・・・明後日の出張は,夜に移動して翌日の仕事に備えるというそっけないものです。こういうとき,私は外食しません。コンビニで夕食を仕入れ,部屋でダラダラと仕事しながら,御飯を食べます。というわけで,近くにどういうコンビニがあるかという情報は必須で,それによって心積もりが変わってくるのです。

●入浴剤を仕入れる・・・浴槽が気に入れば,出張で一泊する際,大体3回は入浴します。その入浴タイムを最大限に楽しむために,普段家の風呂ではあまり使わないような香りや素材の入浴剤を持参します。入浴剤をショップであれこれ物色するのが楽しいのです。

●移動中とホテル滞在時に読む本の選択・・・私の本棚には「出張用」の棚があり,とっておきの面白そうなミステリなどが出番を待っています。自宅なら,読み始めた本がつまらなければ取り替えることができますが,出張時にはそうもいきません。なので,「絶対に間違いない!」と思われる文庫本は,出張用に取ってあるんですね。その本棚を「今回はどれを持っていこうか」と物色するのが,またまた楽しいのです。

 というわけで,現時点で入浴剤の入手までは終わっています。あとは本選び。これは明晩の楽しみに取っておくつもりです。わくわく・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年7月 7日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその7:“浦河べてるの家”について ③

  今日で「べてる」ネタをいったんお終いにします。しつこいようですが,詳細は 『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家   医学書院)を参照してください。

●「ネガティブな自動思考」は「お客さん」として付き合う

 先日私は,自動思考に「歪み」というレッテルを貼ることへの違和感について書きましたが,それは自動思考が「自分の(なかに生じる)思考」という前提があっての話でした。べてるの外在化能力は,そういう私の違和感など笑い飛ばすようなものでした。べてるでは,ネガティブな自動思考を「お客さん」と呼ぶのだそうです。

「お客さん」!!! 自分に生じる思考ではなく,外からやってくる「客」なのです。お客さんはお客さんだからこそ「ごめんください」と勝手にやって来るけれども,そのお客さんにどう対応するかは,「この私」が決められるのです。そしてどう対応するか決めるためには,そのお客さんがどういう客か,見極めなければなりません。見極めたうえで,そのお客さんとどう付き合うか,すなわち今後も来てほしいから丁重にもてなすのか,たとえお客といえどもお付き合いはまっぴらだから丁重にお引取り願うのか,むかつくお客だから喧嘩を売るのか,面倒くさいお客だから何を言われても無視するのか・・・etcについて,検討するのです。そして実際にそのお客さんとの付き合い方をあれこれ試しながら,自分にとって苦痛にならない付き合い方を見つけ,身につけていくのです。このようなプロセスは,CBTにおける強力な技法である“認知再構成法”に他なりません。

  以前私はこのブログのコラムで,中村うさぎさんの「ツッコミ小人」を自動思考に対するナイスなネーミングであると絶賛しました。中村さんの文章によれば,ツッコミ小人はあくまで自分の脳内に発生する小人らしいです。中村さんほどのパワーの持ち主なら小人のツッコミにいろいろと対応できるかもしれませんが,気の弱い,または気の小さな,あるいは気の優しい凡人は,さらに外在化を極めた「お客さん」として自動思考をとらえると,より対応しやすくなるような気がします。自動思考を「お客さん」と名づけるという営為に,まさに病気と共に生きるべてるの人たちの知恵が凝縮されているように思います。

  ちなみにべてるの人たちは,幻聴も呼び捨てにはしません。「幻聴さん」と呼び,丁重にもてなしたり,お引取り願ったりしています。そしてお客さんと同様に,幻聴さんとの付き合い方も,べてるの当事者研究の一大テーマなのです。

●病名も自分でつけるべてるの人たち

  当事者研究(自己研究)を通じて,べてるの人は,自分の病気や症状や問題や悩みをセルフアセスメントします。その結果,自分に合った病名を自分でつけるようになります。たとえば同じ統合失調症でも,「依存系爆発型統合失調症」,「統合失調症・体感幻覚暴走型」,「統合“質”調症・難治性月末金欠型」(“質”とは“質屋”の“質”です),「逃亡失調症」・・・などなどです。ちなみに最後の「逃亡失調症」はべてるの施設長の荻野さんの自己病名です。さまざまな理由により,気がつくと職場を放棄して「逃亡」しちゃうからです(逃亡先が自宅だったりするところが,お茶目です)。私が見学に行ったときは,幸いにも逃亡中ではなく,施設長としてべてるの説明や案内をしてくれました。

●山本賀代さんの自己研究

『べてるの家の「当事者研究」』(医学書院)から,お客さん(すなわち自動思考)についての考察を紹介します。当事者の一人である山本賀代さんの「研究論文」からの引用です。ちなみに山本さんの自己病名は「依存系自分のコントロール障害」だそうです。

別居後,身体上は平和を手に入れたわたしには,悪い<お客さん>との本格的なつきあいが待っていた。下野(注:元同棲相手)と同居していたときの<お客さん>は,すべて彼を悪者にしてわたしにケンカを売らせ,生活を破綻に導いていた。下野という爆発対象を失った<お客さん>は,以前そうだったようにわたしに矛先を向けてきたのだ。

わたしの<お客さん>のメインテーマは,あらゆる手段を使ってわたしを“死”へ導こうとすることだ。わたしの<お客さん>は過去の傷ついた経験から来ていて,その傷ついた経験に非現実的な恐怖感や不安感を加えることによって,わたしを現実の地道な苦労から遠ざけ,わたしの行動を制限させる。しかし一方で,それによって,実際の人間関係でこれ以上深く傷つくことからわたしを守っているのかもしれないと考えてきた。

だからこそわたしは,悪い<お客さん>にお茶を出し,頭の中に長居させていたのだが,ソーシャルワーカーと数人の仲間と始めた「日本語会話教室」という試みが,<お客さん>とのつきあい方を勉強するのにけっこう有効だった。日本語会話教室で学ぶうちに<お客さん>を一方引いて見て,自分が取り入れたい<お客さん>なのかどうかなど考えることが多少はできるようになった。

「日本語会話教室」とはおもしろいネーミングをしたなぁと思う。これは,「自分の言葉を取り戻そう」という発想から生まれたもので,『自分を愛する十日間トレーニング』という本を参考にしている。具体的には,小グループで週に一度一時間半ほどの時間で,ソーシャルワーカーの助けを借りながら,この一週間の<お客さん>状況を話したり,本を参考に自分に当てはめてロールプレイをする。

(略)悪い<お客さん>にジャックされて自分を責めているときに,大事な友達を励ましてあげるように自分に言ってあげるロールプレイはよかった。みんな,自分に対してはうんと辛口なのだが,友達に対してなら優しくなれるものだ。

(略)<お客さん>とのつきあい方で肝心なのは,やはり誰かにその<お客さん>の話ができることだ。一人で抱え込むと<お客さん>に完全にジャックされる確率が高まる。そしてできるだけ多くの人とかかわりを持つことで,<お客さん>もバラエティ豊かになり,つきあいやすくなることがわかった。

(『べてるの家の「当事者研究」』 pp.174-177

  認知再構成法のグループ学習をべてるでは「日本語会話教室」と呼んでいるというのも,素敵です。たしかに認知再構成法は,自分の中で起きている会話を,自分にとって苦しくないものに置き換えていこうという技法ですから,この「日本語会話教室」といタイトルは妥当だと思います。それにしてもべてるの人たちによる様々なネーミングは,極めてユニークで楽しいものが多いです。「認知再構成法のグループ学習やろうよ」と言われるより,「ちょっと日本語会話教室行かない?」と言われるほうが,よほどそそられますよね。

  以上,3回に分けて,CBTの視点から“浦河べてるの家”について書いてきました。べてるには年間数千人もの見学者が訪れるそうです。また「自分もべてるで暮らしたい」とやって来る当事者の方も多数おられるそうです。が,当然べてる及び浦河町のキャパシティには限りがあり,べてるの方々は,「皆がべてるに来るのではなく,それぞれの地域で“べてる的”な活動を実践してほしい」とおっしゃっています。私もその通りだと思います。しかし,一体どうやって,皆がそれぞれ自分の住む場所で“べてる的な活動”を実践すればよいのでしょう? ここに私はCBTの視点が貢献できる可能性があるのではないかと考えています。CBTの視点を用いて,べてるの家の活動を,ある程度一般化されたモデルとして提示するのです。時間はかかると思いますが,“CBTの視点を用いたべてるの家の活動のモデル化“ということを,自分のテーマとして追求していこうと私は考えています。

●今日のまとめの一言: 扱いに困るようなネガティブな自動思考は,「お客さん」とみなし,付き合い方を見つけていくのがよい。・・・という視点から,べてるの家の人たちは「日本語会話教室」というグループ学習を続けている。そして,このようなべてるの活動を,CBTの視点から一般化・モデル化することが,役に立つかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年7月 4日 (月)

【認知療法・認知行動療法】コラムその6:“浦河べてるの家”について ②

 というわけで,“べてるの家”について,続きです。

●「べてる祭り」にも行ってみた

 2003年の夏,べてるの日常を垣間見させてもらった私は,さらにべてるの活動に興味が沸いてきました。その根底には,べてるの活動とCBTの豊かさを,何とか自分なりにもっと理解したい,自分のCBTの実践に役立てたい,ひいてはべてるを引き合いにCBTの豊かさを人に伝えたい,という私なりの(自分勝手な?)動機があるのですが。

 そこで2004年の6月には,べてるの総会(べてる祭り)にも行ってみました。この総会は年に1回開催され,全国から当事者や対人援助を専門とするボランティアや専門家が集まって,べてるの活動や全国の当事者活動について発表したり,懇親したりするものです。ちなみに昨年,べてるの総会に行こうと思い立って,そのかなり前に浦河のホテルを取ろうとしたら,どこも満室でびっくりした記憶があります。べてるの活動がその土地の商業活動にしっかり貢献しているということが,このことでよくわかりました。(結局あるビジネスホテルに「どんな部屋でもいいから」と泣きついて,1室提供してもらったので,なんとか宿泊場所は確保できました)

 べてる祭り・・・堪能しました! 当事者研究についての発表を聞くのが,私がべてる祭りに行った主目的でしたが,種々の発表や出し物全てがとても面白かったです。

 おそらくこの総会(べてる祭り)のメインイベントは,「幻覚&妄想大賞」でしょう。幻覚や妄想を体験する人は,それをひた隠しにすることが多いのですが,浦河では,それを外在化し,いかに自分の幻覚&妄想がすさまじいかということを語ることで表彰までされてしまうのです。これは究極の“リフレーミング”ではないでしょうか。(残念ながら私は帰りの飛行機の都合で,幻覚&妄想大賞の表彰式を見届けることなく,退出せざるを得なかったのですが)

●当事者研究の素晴らしさ

 さて,その「当事者研究」です。

 先日お書きした通り,私は林園子さんとべてるショップでおしゃべりした際,べてるの「自己研究」=「当事者研究」について教えてもらいました。そしてCBT的な視点から,この当事者研究にいたく興味を抱いたのです。

 べてるの家では,毎日のようにミーティングが開かれています。その一つに,同じような問題を抱えている人たちが,自分たちの問題を「自己研究」するというものがあり,そこでメンバーは自分や仲間の問題について「研究」するのです。

 その当事者研究のプロセスは,以前私が「新世代CBT」とか「第二世代CBT」とここで書いたCBTのアセスメント(ケース・フォーミュレーション)のプロセスと同様のものです。

 当事者研究は以下の手順で進められます。

自分や自分を取り巻く状況がうまくいかないのは,一体どういうことなのか?という問いを立てる

現実場面でどんなことが起きているかをモニターし,それを絵や図に描いていく。すなわち悪循環を外在化する

 モニターや外在化をするなかで,「うまくいかないとき」のパターンに気づく。悪循環を維持させているポイントに気づく

 さまざまな気づきから学んだことをさらに外在化し,それを今後に生かす

 たとえば林園子さんは,自分が幻聴に襲われたり,何かについて不安になって他人に何度も確認してしまったりすることについて自己研究しました。その結果,自分がどういうときにそうなってしまうのかに気づき,またどうすればそういう自分を自分で救い出せるかを知り,それらを循環図として外在化しました。またそのことを仲間と共有しました。その結果,問題が解消するわけではないのですが,問題が発生したとき,自分がどういう循環に巻き込まれているのか自覚することができますし,仲間も同じ循環図を頭に浮かべて林さんの問題を同じように理解することができます。すると林さん本人,あるいは周りの人が,何らかの対処法に気づき,何とか悪循環から脱け出すことができるのです。

たとえば林さんはお腹がすいているとき,自分が非常にくどくなってしまうことに気づき,それを仲間にも伝えました。その後林さんは,お気に入りのヨーグルトを冷蔵庫に予め用意し,くどくなってきたらヨーグルトを食べて自分を落ち着かせることもできるようになりました。しかしそうもできず,仲間に対してくどくなってしまったとき,誰かが「あ,林さん,きっとお腹がすいているんだ」と思って,お菓子をあげたり,カップラーメンを届けてあげたりすることで,やっぱり林さんは,くどさの悪循環から何とか脱け出すことができるようになったのです。

 林さんの当事者研究で圧巻なのは,自分のくどさを中心とした問題に「くどうくどき」と名前をつけ,キャラクター化したことでしょう。彼女は実際に「くどうくどき」君という人形を作り,それを身につけるようになりました。そして自分がくどくなった時にその人形を見て,「また,『くどうくどき』が悪さをしている」と気づき,対処法を考えることができるようになったのです。これって究極の外在化ではないでしょうか。(さらにすごいのは,「くどうくどき」人形や,林さんの「くどさの悪循環」と「くどさから脱け出す良循環」とすごろくにしたものを,販売するべてるですが・・・・私もすごろく買いました!)

  それにしても,やはり私は,“べてるの家”や“当事者研究”の魅力をここでうまく表現できません。できれば,『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家 著,医学書院)をお読みいただければ,と思います。読み物としても面白いですし,CBT的な視点から読むこともできますし,お勧めです。これまで私は当ブログで「ひとりCBT」を提唱してきましたが,べてるの当事者研究は,いわば「みんなCBT」なのだと,本書を読んで改めて思いました。

●「問題志向」への確信

 ところで私は,セラピー(とくにCBT)とは,“協同的な問題解決の過程”であると定義づけていますが,その際,「問題」を志向すると考えるべきか,「解決」を志向すると考えるべきか(「べき」と堅苦しく考える必要はないのでしょうが,理論や研究を考える際には,このような問いも必要だと思います),実は数年間,自問自答しつづけていました。

しかし,べてるの活動を知り,実際に見学に行くなどしてその実態を目の当たりにしたことで,私のこの自問自答には一応決着がつきました。やっぱり,まずは「問題」を志向するんです! ケースによっては戦略的に「解決」を志向するという見せ方もあるでしょうが,やはり基本は「問題」を志向し,志向しつづけるなかで,おのずと対処法や解決法が見えてくる,という流れが,セラピーとしては自然だし,むしろ効果的であるということを,改めて理屈として納得するに至りました。

つまり,「どうするんだ?」ではなく,「一体,どうなっちゃっているんだ?」という問いにこだわるのです。これがCBTでいうアセスメント(ケース・フォーミュレーション)ですし,べてるの家の当事者研究なのだと思います。

  と,ここまで書いていてふと思ったのですが,ダイエットも同じなあ,と。理論的には行動療法が根底にある「体重測るだけダイエット」というのがあります。闇雲に「○○ダイエット」(○○には,「りんご」とか「ゆで卵」とか「炭水化物抜き」とかが入る)をするんではなく,ただ毎日体重を測るだけの方法です。そしてやはりこれってそれなりに効果があるのです(あくまでも「それなりに」ですが)。つまり痩せたいがゆえに「○○ダイエット」を試みるのではなく,「いったいどうなってるの?」ということを,体重を毎日モニターすることで,むしろ体重が減らないメカニズム(すなわち悪循環)に自分で気づき,あえて「○○ダイエット」といった大それたことにチャレンジしなくても,日々,小さな工夫をすることによって,気づいたらそれなりに体重が減っていた!というやり方です。これがまさに「解決志向」ではなく,「問題志向」または「問題解決志向」なんだと思います。

 べてるの家の人たちも,「べてるは問題だらけ」だと言っています。そして「問題だらけでいいじゃないか」と。これは単なる開き直りではなく(開き直りでもいいのですが・・・開き直った時点で「問題」はすでに「問題ではない」とも言えるので),「問題だらけである現状を認めようよ」という出発点を示しているのだと思います。そしてやっぱり「問題だらけである現状を認めた」時点で,その現状に対する認知はすでに変化しているとも言えるのです。

 ・・・ぐだぐだ書いていますが,やはりべてるの活動を,私が端的に表現するのは難しいです。くどいようですが,『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家 著,医学書院)をお勧めします。(林園子さんの「くどうくどき」が乗り移ってきたか・・・???)

●今日のまとめの一言:“浦河べてるの家”の当事者研究は,究極の「ひとりCBT」ならぬ「みんなCBT」である。そしてべてるの家の当事者研究は,「問題志向」の重要性を示すものでもある。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »