2016年9月 5日 (月)

新著を出しました→ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法

こんにちは。

認知行動療法(CBT)を学び、実践を開始して、25年を超えますが、その間にCBTにもいろいろな変化がありました。その中でも私自身が最も影響を受けたのが、マインドフルネスとスキーマ療法です。これらを学び、取り入れることで、私自身のセルフケア(日々、CBTを自分のために使いまくっています)と臨床実践が非常に豊かになったという実感が強くあります。

そのような実感を書籍化しました。

『ケアする人も楽になるマインドフルネス&スキーマ療法』Book1,2です。マミコさんという一人の架空の当事者に対するセラピーを通して、読者の方々にマインドフルネスとスキーマ療法に触れていただく、という構成の本です。

2年かけて大事に大事に書いた本です。ぜひ多くの人にお読みいただきたく、そして多くの人にとってこの本が何らかの助けになれば嬉しいです。よろしくお願いいたします。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%82%82%E6%A5%BD%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9-%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%99%82%E6%B3%95-BOOK1-%E4%BC%8A%E8%97%A4/dp/4260028405/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1473038503&sr=8-4&keywords=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E7%B5%B5%E7%BE%8E

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2016年9月 1日 (木)

ご無沙汰しております

こんにちは。

自分がブログをやっていたこともすっかり忘れていました。

最近は、情報発信はもっぱらツイッターとFBを使っていますが、もうちょっと自由に本音を書きたいなと思うことがあります。あるいは大々的に宣伝をしたいな、というときがあります。

そのためブログを復活しようと思うに至りました。どうぞまたよろしくお願いいたします。

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2011年5月28日 (土)

本ブログ休止中のCBTの変化・・・スキーマ療法にめぐりあう

 本ブログの休止中(2005年末から2010年末までの約5年間)の大きな変化としては、スキーマ療法との出会いが挙げられます。スキーマ療法とは米国のジェフリー・ヤング先生が構築した統合的な心理療法ですが、2004年にヤング先生がかなりしっかりとしたテキストを出版され、ひょんなご縁から私たちが翻訳をすることになりました。

 約2年にわたる翻訳作業は、それは苦しいものでした(いろいろな意味で)。ですが、学びながら訳し、少しずつ自分たちの臨床にもスキーマ療法を取り入れるようになって、「スキーマ療法は認知行動療法の大きな到達点なのだな」と実感するようになりました。

 スキーマ療法にはかなりのパワーを要するので、クライアントさんもセラピストも大変ですが、得るものは非常に大きく、従来のCBTとは全く異なるイメージです。スキーマ療法は目の前の症状や困りごとを標準的なCBTで一通り扱った後に導入されます。ターゲットとするのは、その人の世界観、人生観、生き方そのものです。心理療法を「浅い」「深い」と描写するのを私はあまり好まないのですが、あえて言えば相当に深いところを対象とするセラピーがこのスキーマ療法です。

 スキーマ療法に出会うことによって、私たちの実践するCBTの幅がぐんと広がったように感じています。が、効果のあるものはそれだけ副作用もあるというもので、相当慎重に導入しなければならないということも実感しています。セラピストの方々にお願いしたいのは、スキーマ療法の前に標準的なCBTを実施する必要性があることを忘れてほしくないということと、できれば最初はセルフでスキーマ療法をやっていただきたい、ということです。私自身、翻訳して学びながら、まずは自分自身でスキーマ療法をセルフで試してみました。自分の人生を集中して棚卸しするような作業で、とてもしんどかったのですが、やりぬいた後の充実感も大きく、今後の自分を支えてくれる新たなスキーマが手元に残りました。

41gtnmtsml__sl500_aa300__2 そういうわけで、CBTを施行するセラピストの方には、まず標準的なCBTを学んでいただき、その後、スキーマ療法のテキストを読み、セルフのスキーマ療法をやっていただき(もしくは自分がクライアントになってスキーマ療法を受けて)、その大変さや効果を実感したうえで、クライアントさんとのCBTに慎重に導入していただければと思います。

 それにしてもこのようなセラピーを構築するというのは、本当にものすごいことだと思います。先達が作ってくれたものを現場でひいひい言いながら何とか活用している、創造力のない者(つまり私のことですが)のレベルでは、どうしたらこういうことができるのか、想像すらできません。

 今年の認知療法学会ではヤング先生が来日する予定で、今からご講演を聞くのが、とってもとっても楽しみです。

 次回は、私自身がセルフでスキーマ療法をどうやったか、少しだけ紹介したいと考えております。いつになるかわかりませんが・・・(汗)

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2011年3月 9日 (水)

本ブログ休止中のCBTの変化・・・ACTがブームに!

ACTが大ブームになったことも、ブログ休止中の大きな変化でした。

ACTとは「アクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー」のことですが、

この数年に出版されたACT本の多さには、おどろくべきものがあります。

というわけで、私自身も「これは知っておかねば」と思い、

ACTの本を何冊も買い込み、勉強すると同時に、

学会などのワークショップにも何度か参加させてもらいました。

ACTは応用行動分析の産物なので(この点については異論があるようですが)

厳密に考えるとCBTとACTは別物、ということになりますが、

我々のCBTに使える概念やエクササイズがたくさんあり、

セルフのCBTやクライアントとのCBTでも活用させてもらっています。

葉っぱのエクササイズなんかは、反すう思考への対処として

とても使いやすいです。

また特に重要だと思ったのが「価値」という概念です。

CBTではセラピーを通じてどうなりたいか、ということについて

中目標や小目標を設定するのは得意ですが

長期的な目標をどう定めるか、ということについて

これまであまり議論や研究がされていなかったように思います。

ですが、実際は中目標を設定するにあたっても、

その人が何に価値を置いて、どういう生き方をしたいか、

ということは非常に重要なことで、

セラピーで長期目標を一緒に目指すことはなくても、

そこに向かってクライアントが機能できるようになるために

手助けする、という意識を持つことは

とても大切なことなのではないかと、

ACTを学ぶことで、しっかりと認識できるようになりました。

ただ、応用行動分析の理論と「価値」という概念の関連性が

本を読んだだけではどうしてもわからなかった私は、

武藤崇先生のワークショップに出たときに

質問をさせてもらったところ、武藤先生は一言、

「価値って、めちゃめちゃ正の強化子でしょ」とおっしゃり、

私の疑問は氷解したのでした。

そうですよね、まさに正の強化子でした!

というわけで、CBTもいろいろと進化しており、

継続的に学んでいくことが必要なのだな、と

本ブログ休止中のほんの4年間を振り返るだけでも

実感されます。

でも継続的に勉強するべき何かがある、というのは

とても幸せなことだと思います。頑張ろうっと!

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2011年2月23日 (水)

本ブログ休止中のCBTの変化・・・なんと保険適用に

休止中のCBTをめぐる変化の中で、特に公的に大きいのが、CBTが健康保険の適用になったということでしょうか。

ただし30分以上、実施者は医師だけ、420点という設定なので、現実的には今のところあまり機能しているようには思われません。むしろ「保険適用になった」と多くの患者さんをぬか喜びさせたという意味では、罪作りな話かも。

ただしこれがいずれにせよCBTが普及していくための大きなきっかけとなることは間違いなく、いっぽう私たちは私たちで地道に、日々CBTを学び、実践すること、そしてCBTを実践する仲間を草の根レベル増やしていくことを続けていきたいと思います。

追記

ただし保険適用になってCBTに興味を持ってくださる医師がさらに増えたことは実感しています。それはとても喜ばしいことだと思います。

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2011年2月 5日 (土)

本ブログ休止中のCBTの変化・・・爆発的なCBTの知名度アップ

  私がこのブログを休止していた4年間に,認知行動療法(CBT)は,さらに広く世間に知れ渡ったように思います。やはりマスコミの力は大きいですね。うつ病や自殺の問題が取り沙汰され,それらに対する対処法としてCBTが紹介されることが増えたのが大きな要因ではないかと思います。私自身,何度か新聞や雑誌の取材を受けたことがありましたが(テレビは基本的にはお断りしています),その反響の大きさに驚くことしきりです。

  CBT専門のカウンセリング機関を運営し,CBTを広めたい私としては,この変化を喜ぶべきなのでしょうが,実際には手放しに喜ぶことができる状況ではありません。なぜならCBTの知名度がどんなに高まっても,CBTを安全に,かつ効果的に提供できる専門家(臨床心理士,医師,看護師,その他対人援助職)が非常に少ないという現状は,変わっていないからです。「CBTは効果が高い」「CBTで自分も助かるかも」という情報を得ても,実際にCBTを受けることができないという現状は,かえって当事者にとってむごいのではないでしょうか。

  ・・・といった危機感もあり,私たちもワークショップや著作等で,CBTを提供できる専門家養成に励んでいるのですが,このような個別のささやかな努力だけでは「焼け石に水」で,もっとシステマティックな大きな改革が必要なのだと思います。まあシステムの話になると,またもや心理士の国家資格化の問題などなんだの面倒な話になるので,ここでは置いておきますが,とにかくCBTを受けたい,CBTを学びたいというニーズに応えられるよう,あらゆる努力をしていかなければならないのだと思います。

  が,CBTは「セルフでもできる!」というのが売り(?)です。専門家養成も大事ですが,専門家がいなくても当事者(一人でも,グループでも)がセルフでCBTを学ぶことができればそれでよいわけで,そういう意味ではこの4年間,CBTをテーマとした書籍がたくさん出版されたのは非常に望ましいことだと思います。大きな書店に行けば認知行動療法のコーナーがあって,手にとって自分に合う本を選ぶことができますし,大きな書店が近くになくてもアマゾン等でいろいろ見比べて手に入れることができます。

  このごろ特にそう思うのですが,誰もが健康なうちにCBTの知識やスキルを身につけておけば,メンタルヘルスの悪化を予防できますし,QOLを上げることも可能ですので,それが最も望ましいのではないでしょうか。健康な状態だからこそCBTを学ぶのにもさほど時間やエネルギーがかかりません。治療的なCBTに時間がかかるのは,健康レベルが下がった状態(すなわちエネルギーレベルが非常に低い状態)で,新たな知識やスキルを身につけなければならないからです。CBTが広くストレスマネジメントに役立つならば(実際に役立つと私は確信しておりますが・・・現に私も日々CBTで自分が助けられています),学校や職場や地域やメディアなどにおいて,全ての人びとに啓蒙的に情報やトレーニングを提供し,具合が悪くなること自体を予防できればいいと考えるのです。このブログも少しはそういったことのために役に立てるといいのですが・・・

  とはいえ,運悪く病気になられた方にとってはセルフのCBTは非常に大変でしょうから,やはり一定数の専門家は必要で,その養成は喫緊の課題でしょう。最近もある雑誌にこのテーマについて論文を書きましたが,とにかくそのために自分にできることをしつつ,もっと大きな制度や養成システムについてもできることをしていきたいと考えています。

  セルフCBTの書籍については,以下のサイトが非常に参考になるかと思います。

http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-468.html

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2011年1月 6日 (木)

認知行動療法を使ってやっとこさ禁煙しました!

2006年12月にこのブログを休止し,再開したのが2010年12月。

なんと4年も経っていたのでした。(どうりで年をとるわけですね~!)

そこでしばらくはこの4年の間の変化(認知行動療法および私自身)

について書いてみようと思います。

まずなんといっても大きいのが,やっとこさ禁煙しました!ということです。

2007年6月某日の禁煙スタート日から今日に至るまで1本も吸っていません。

なぜ今回は成功したのか,ポイントは4つあるように思います。

1)モチベーション(あるいは危機感)が高まっていた

 喫煙者に対する社会的な雰囲気がさらに悪化したこともあり,

 またどこに行っても喫煙者は超少数派という体験が重なり,

 「本当にもうそろそろきっぱり禁煙しなきゃやばいよな」

 「どうせいつか禁煙するのなら,早いほうがいいよな」という

 気持ちがこれまでになく高まったのが,やはり大きいかなと思います。

 それにおいうちをかけたのが,高齢者のグループホームで火事があり

 火元が居住者のタバコの不始末だったというニュースです。

 自分が超高齢者になって,身よりも全て失い,グループホームに入り,

 認知症が始まり,喫煙している手元がふらついて,

 火を出してしまい,他の居住者の命を奪った!という恐ろしいイメージが

 見えてしまったのです。「このままタバコを吸い続けていたら,

 ぜったいそうなる!」という恐怖のイメージが,

 今回の禁煙の大きなモチベーション(危機感?)につながりました。

2)エクスポージャーを中心としたコーピングを準備した

 基本的に吸いたい欲求には,ことごとくエクスポージャー(曝露)で行くことに

 しました(あ,でもニコレットは使ったんですけどね)。

 吸いたいと思ったら,その感じをそのまま感じ,その欲求がどうなっていくか,

 ひたすら観察するというコーピングです。これは内的曝露ですね。

 それと同時に外的曝露も積極的に。

 飲み会にも行きましたし,喫煙者の夫にはそれまでどおり目の前で

 吸ってもらっていましたし,ときには夫のタバコの買い物までしていました。

 結果的には私にとっては曝露的なコーピングが合っていたように思います。

 周りがどんなに吸っていても,自分の中にどんなに欲求が高まっても

 そのままにしておけばそのうちどうでもよくなる,ということを

 何百回も体験することによって,タバコを吸わないという体験への

 恐れが全くなくなったのです。 

3)さらに強力な認知的コーピングを加えた

 認知的コーピングとしては,「あ,そうか,もう私,タバコを吸わなくていいんだ!」と

 いちいち新鮮に驚く,というものを用意しました。

 これはこれで結構強力で,一瞬,タバコを吸いたくなったときに,

 この認知的コーピングを大げさなぐらい真剣に心の中で言ってみるのです。

 すると面白いことに,「タバコを吸いたい自分」ではなく

 「もうタバコを吸わなくていい自分」というふうに認知が転換され,

 これがエクスポージャーを後押ししてくれたのでした。

4)強化子を先に随伴させた(用語の使い方が変ですが)

 よく禁煙貯金をして,貯まったらご褒美に何かを買う,という作戦がありますが

 私は先にご褒美を買ってしまいました。

 具体的にはオメガの時計です。私にしてみればものすごい高い買い物です。

 で,もし1本でも吸ったらこのオメガは質屋に入れることを自分に約束したのです。

 そういう意味では,オメガを見るたびに,それが禁煙のシンボルとして機能して,

 「あ,そうか,もう私,タバコを吸わなくていいんだ!」とここで改めて思えますし,

 「吸っちゃったら,この子(オメガのこと)と別れなくてはならないんだわ」と

 禁煙へのモチベーションを新たにすることもできますし,

 これはこれで結構効果的なコーピングでした。

 おかげで今でもオメガは私の左手首で元気に時を刻んでいてくれます。

・・・こんな感じで,無事禁煙を開始し,今に至るまで続けられているのでした。

ところで驚いたことに,なんと,禁煙を始めたその直後から,

偶然にも「禁煙の認知行動療法」の原稿を執筆依頼があったり,

内科医などお医者さんが中心の禁煙関係の学会で講演を頼まれたり,

禁煙関係の仕事が増えました。

禁煙に関わる専門家の先生方との出会いも増えました。

禁煙していなかったら受けられなかった仕事であり,

出会えなかった先生方です。ありがたいことです。

またときどきクライアントさんの禁煙を

CBTを通してサポートすることがありますが,

自分が経験者だけに,いろいろと分かち合えることも多く,

そういう意味では,「喫煙者→禁煙者」という経験をしたことも

良かったかなと思います。

恐ろしいことに(有難いことに?),今でもたまにタバコを吸っている夢を見ます。

そして夢の中で,タバコはえらく美味しいんですよ。

目が覚めて一瞬,「あれ?自分,タバコ吸っちゃったんだっけ?」と

驚くのですが,夢だとわかってホッとします。と同時に

ちょっとだけ「タバコを吸えてよかった!」と思ってしまう自分がいるところが

情けなくもあり,面白くもあります。

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2010年12月27日 (月)

こっそりとちょっとだけ復活してみる

最近自分がブログをやっていたことさえ忘れていたのですが,

うれしいコメントをいただいたのをきっかけに

ちょっと復活してみようかな,という気持ちになってきました。

と言っても,リアルな場でCBTの実践と普及に努めたい,という

ブログを休止した当初の思いは全く変わらないので,

CBTやストレスコーピングについての備忘録のようなものに

なるかと思います。人のためではなく完全に自分のためのブログ。

日々CBTを学び,CBTを実践し,仲間と語り合う中で

いろいろと思うこと,感じることがあるので,

それを残しておきたいという軽い気持ちです。

ブログでつぶやくような感じでしょうか。

というわけで,今後どうなるかわかりませんが,

とりあえず「休止を止めた」宣言です。

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2006年12月29日 (金)

よいお年を&ブログ長期休止のお知らせ

ブログを休止状態にして,早数ヵ月が経ちます。

なぜ休止状態かというと,2つ理由があり,1つは単に時間がない,という単純な理由です。しかし「時間がない」というのは言い訳に過ぎず(本当に必要だと思ったら,時間なんて,何とかひねりだせるはずですもん),大きいのはもう1つの理由です。

それは,このままCBTおよびストレスコーピングに特化したブログを続けるとしたら,どうしても自分の実名を挙げないと書けないテーマが増えてきた,ということです。あるいはそういう状況になってきた,ということです。

ここ数ヵ月,この件についてどうしようか,自分の中であれこれ検討してきましたが結論が出ません。そもそも当ブログを始めた動機は,CBTについて好きなように自分の思うことを書いてみたい,好きなように書くことによって,認知行動療法家としての自分の考えや今後の方向性を検討したい,ということでありました。そしてそれを公表することによって,皆さんからフィードバックをいただき,さらに自分自身の検討を豊かにしたい,と思っていました。

今でもそれは変わりません。要は個人的なことを書くニーズは私にはなく,ブログを続けるなら,それはひたすらCBTについて考えてみたい,という動機しかないのです。しかし困ったことに,これ以上好きなように書くとしたら,どうしても実名を出して自分がやっていること(仕事というのは,もちろんそういうものですが)に言及せざるをえない感じになってきてしまいました。

そこで,だったらブログのタイトルも変え,思い切って自分の実名を出して,この際CBTについて言いたいことを言ってやれ,ということも考えてみました。しかしそんなことをするほどの「実名」でもありませんし,そもそも,そんなことをする暇があれば実名での活動(すなわち仕事ですが)で,遅れに遅れている数々の案件をなんとかせい!というお叱りの声が届くことは必須で,届かないにしても自分がうしろめたく思うことは間違いなく,そしてそれは当然のことであって,ブログを更新する10分があれば,その10分を,遅れている仕事(翻訳と原稿書きがほとんどなんですが・・・泣)をしなければならないだろうと,毎晩仕事から帰っても夜中までPCに向かう毎日を,この数ヵ月というか1年ほど続けております。

というわけで中途半端なまま,当ブログを放置しておりましたが,とりあえず当ブログはこのまま放置し続けることに決めました。これまでの記事が,いくらかでもお役に立つことがあるかもしれませんし,溜まっている仕事が片付いたあかつきには,また今の匿名状況でブログを再開する気になるかもしれませんし,あるいは実名を出してリニューアルすることに決めるかもしれませんし,要はどうなるかよくわからないのでそのままにしておく,ということです。

というわけで当面更新はいたしませんが,これまでの記事に対するコメントは大歓迎ですし,私自身はできる範囲で地道にCBTの実践や勉強や研究を続けていく所存ですので,今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

それでは皆様,どうぞ良いお年をお迎えください。

追記:禁煙をすることは止めました(とほほ)

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2006年9月 7日 (木)

目の前のことにひとつずつ取り組む

本ブログ,久しく更新していません。

学会であれこれと発表する機会があり,その準備に追われているのと(もちろん,すべてCBTに関連する発表です),某大学院での集中講義(もちろんCBT関連)や,その他企業などでのセミナー(CBT関連もあればメンタルヘルス関連もあり)の仕事でいっぱいいっぱいだからです。もちろん通常の面接業務などはいつもどおり行っております。

こんなときは,もう,「こういう状況なんだから仕方ない」と潔くあきらめて,目の前の仕事をひとつひとつ片付けるしかありません。できればそれぞれの仕事を自分の満足いくまできっちりと仕上げたいのですが,物理的にそれも無理な場合は「とにかく及第点まで仕上げて,それで良しとする」というラインで折り合いをつけるしかありません。

・・・と,ほとんど自分に言い聞かせるための認知的コーピング用ひとりごと記事でした。

CBTにご関心があり,今後開催されるいくつかの学会に参加される方には,お目にかかる機会があるかと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

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2006年8月14日 (月)

クライアント体験:3ヶ月ぶりのセッションの前

自分のキャパを超える量の仕事をずっと抱えており,本ブログの更新をずっとせずにおりました。秋に立て続けに学会で発表したり,ワークショップやセミナーの講師を担当したりするので(もちろんすべてCBT関連),それらの仕事が落ち着いたら,こまめに更新したいと考えております。それまでは,ごくたまーに,ポツリポツリと・・・。

で,所属機関の月1回の研修会でスタッフ同士で実施している「試行CBT」についてです。4月にインテーク面接,5月に初回面接を実施後,私と相方の都合が合わず,6月,7月にセッションが実現せず,今度の土曜日(8月19日)に,3ヶ月ぶりのセッションが実現する予定です。私の主訴は「禁煙」で,インテーク面接後,めっきりと煙草の本数を減らし,その後多少本数が漸増し,それを維持しているというのが現状です。「今はこのぐらいでいいかなあ」というのが本音で,100箱買った煙草もまだ70箱ぐらい残っているし,吸わなくてよい,あるいは吸ってはいけない時間や場所や状況では,あまり苦もなく吸わずに済ませられるようになったので,自宅や喫煙者の多い飲み会(いまどき珍しい!)では,ほどほどに吸ってもいいじゃない,と自分に言い訳しているのが現状です。

いずれにせよ3ヶ月ぶりのセッションであれば,「3ヶ月の報告」というアジェンダで,ほとんどの時間を使ってしまいそうです(1セッション30分)。3ヶ月を振り返って報告しつつ,現状をセラピストに共有してもらい,そのときどんな気持ちになるかを待って,今後の方針を立てたいと思います。

面白いのが,3ヶ月も間隔が空いても,自分がCBTを開始したというのを忘れる日は一日もない,ということでした。頭の片隅には常にそのことがあって,調子にのって羽目を外した後は,「ああ,そうだったそうだった。私は煙草についてCBTをやっているんだわ」と軌道修正のきっかけにするのです。CBTを受けているという意識が,たとえめざましい進歩ではなくても,ひどい後退(再発)を防ぎ,現状維持をもたらすというのを,身をもって体験しているような感じです。

  というわけで,土曜日のセッションが楽しみです。

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2006年7月17日 (月)

性犯罪被害者支援研修会に参加しました(2)

臨床心理士会主催,被害者支援研修会(とくに「性犯罪被害者支援」という分科会)に参加しての感想のつづきです。

●「なぜ人間性心理学の立場か」の説明をするべきではないだろうか

分科会後半は,B先生の事例発表でした。(つまらない冗談が頻発されないだけ,私の怒りは鎮まりました。)B先生の事例は,性犯罪被害者でPTSDに陥った方に対する,年単位にわたる面接過程を示したものでした(事例についてはこれ以上詳しくここでは紹介しません)。B先生は,前記A先生と同様に,「人間性心理学の立場」に立って,臨床を行っているのだそうです。私自身,人間性心理学の立場による臨床実践がどのようなものか,よくわかっておりませんので,事例そのものについてはとくに感想や意見はなく,しいて言えば,「どんなひどい体験をしても,そこから立ち直る人間の力ってすごいなあ」という,ごくシンプルな感想を,事例に対してではなく,事例に登場したクライアントさんに対して抱きました。

私が疑問に思ったのは,この事例の内容ではなく,「なぜA先生やB先生は,人間性心理学の立場で,性犯罪被害者でPTSDに罹った人の臨床を行っているのか」ということです。PTSDの治療といえば,特にエビデンスという視点から見れば,やはりCBT(特に長時間暴露(PE))や,EMDREMDRCBTに含まれるか否かは,別の議論として重要ですが,ここではちょっと保留)の話が欠かせないと思います。とすると,CBTEMDRを使わず,人間性心理学の立場でPTSDの臨床を行うのであれば,その根拠を教えてもらいたかったのです。

私自身,PTSDの臨床経験は豊富ではなく,PEを実際に実施したこともなく,治療効果のエビデンスとは別に,実際に自分がPTSDの方を担当するとなると,「今の自分が安全にできるアプローチはどのようなものだろうか」との問いを立て,計画を立てると思います。つまり「エビデンスがあるから,絶対にPEをやるべきだ」とか,「効果の発現のありようが明確になっていないけど,とにかく効くからEMDRを実施すべきだ」などとは毛頭思っておりません。だからこそ,B先生らがあえて人間性心理学の立場からPTSDにアプローチするその根拠や効果について,きちんと説明してほしかったのです。「だったら質問タイムに訊けばいいじゃないか」というツッコミもありましょう。が,私の偏見と思い込みですが,そういう質問をしてもそれに納得のいく回答が返ってくるとはとても思えませんでした。そういう質問に対し,十分に納得できる回答が返ってくるような吟味がなされているのであれば,事例発表時にそういう話があったはずだからです。

●「感動しました!」のコメントの嵐

お二人の先生のお話の後は,フロアからコメントが出され,質疑応答が行われました。上記の私の疑問をぶつければよかったのかもしれませんが,あまり回答に期待が持てなかったのと(もしかしたら「ネガティブな結果の先取り」という認知的歪曲?),そもそもそういう批判的なことを皆の前で発言する勇気がなかったので(これは単に「すみません,私が情けない人間なんです」として言いようがありません),私はひたすら黙って,他の方々の発言を聞いていました。

コメントの多くが,事例に対して「感動しました!」というものでした。また他には,「性犯罪の加害者は絶対許せない!」とか,「自分にも娘がいるが,性犯罪だけには遭わせたくない」といったコメントも聞かれました。それぞれのコメントにこめられた思いはわかりますが,「性犯罪被害者支援研修」というアジェンダはどこに行っちゃったのでしょう?他に,参考になるコメントや質問もあり,最後の質疑応答の時間はそれなりに勉強になったやりとりもありましたが,全体的には徒労に終わった研修会参加でした。ひどくもやもやしてしまいました。

この事例も,たとえば心理臨床学会の事例研究発表で発表されるのならいいのですよ。発表聞くのにお金払わないし,そもそも抄録を見て,事前に内容について検討できますから。しかし,今回は前にも書きましたが,臨床心理士会主催の,研修ポイントが発生する,いわば会としては「公的」な研修会です。心理士会主催の研修は,「こころの健康会議」や資格認定協会主催の研修会と並んで,資格更新の際には,必ずポイントを取得しておかなければならない研修の一つです。そういう研修会の質を誰がどうやって担保するのでしょう?

・・・というわけで,ごちゃごちゃ書きましたが,日本の心理臨床の現実に直面するような体験は久々だったので,ある意味,よい体験だったのかも・・・。早々にこの領域でのポイントを取得できたし・・・。と,貴重な休日とお金を費やした体験だったので,強引にポジティブな意味を付与して,本記事終わりにします。

あーあ(笑&ため息)。

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2006年7月14日 (金)

性犯罪被害者支援研修会に参加しました

日本臨床心理士会が主催する第8回被害者支援研修会に参加するため,先週末は福岡まで行ってきました。午前中は全体の講演会。午後が4時間かけて,分科会。私が参加したのは,性犯罪被害者支援の研修会です。わが国で今年からスタートした性犯罪加害者の矯正プログラムに,認知行動療法(CBT)が正式採用され,私もそのプロジェクトにほんのちょびっと関わりがあるので,だったら被害者支援についても,「最新の知見」を入手しておきたいと考え,自腹(航空券代,ホテル代)を切って福岡まで行くことにしたわけです。今思うと,臨床心理士会主催の研修会に「最新の知見」を期待した私が馬鹿でした。今回は,この研修会,とくに分科会に参加しての,批判的感想です。

●テキスト読んで入手できる話ばかりを聞かされた(しかもPTSDについて)

分科会のタイトルは,「性犯罪被害者支援」のはずなのに,分科会前半のA先生のレクチャーは,その4分の3が(もっとかも),外傷後ストレス障害(PTSD)についてでした。しかも,PTSDの三大症状についての話を延々とするなど,要はテキストに書いてあるような話ばっかり。私が聞きたかったのは,PTSDの症状についてではなく,性犯罪の被害やその支援についてなのに・・・。そもそもそういうタイトル(アジェンダ)だったからこそ,この研修会に参加したのに・・・。たとえば,性犯罪被害に遭った人でPTSDに罹る人の割合がどのぐらいで,その違いは何か,といった話を私は聞きたかったのです。また,性犯罪被害によるPTSDの治療は,他の原因によるPTSDに対する治療と同じように考えてよいか,それとも何か別の配慮が必要か,といった話があるものと期待していたのです。(CBTではアジェンダ設定と,アジェンダに沿った話の展開を重視します。そういう話の組み立て方に慣れている私としては,アジェンダ通りにやってもらいたく,とにかくイライラしっぱなしでした。しかも,頻発される冗談がつまらない。つまらない話を聞かされると,たいてい眠くなる私でしたが,怒りで眠気も発生しない状態でした。)

臨床心理士会が主催する,研修ポイントを授与する研修会ということは,会としては公的な意味合いをもつ研修会ということです。しかも私たち参加者は8000円という決して安くない受講料を支払い,しかも日曜日に福岡まで行っているのです。そういう研修会の質がこの程度でよいのだろうか,という疑問を激しく抱きながら,気を取り直して,分科会後半の事例発表を聞きました。(この話,つづく)

※ちなみに本記事は,読む人が読めば,あるいはその気になった人が調べれば,講師の先生方のお名前が明確にわかるはずです。それはまずいことなのでしょうか?という疑問がわきましたが,日本臨床心理士会主催の研修で,いつどこで,誰が講師を務めるのか,という情報は,守秘しなければならないものであるという教示を受けたことはありませんし,個人を誹謗中傷するつもりでこのような記事を書いているつもりもありませんので,思い切ってアップすることにしました。が,万が一このような提示の仕方がまずいという見解があり,その根拠を納得できれば,本記事は削除しますし,つづきの記事(すでに下書きは済んでおりますが)も掲載しませんこと,ここに明記しておきます。

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2006年7月 1日 (土)

お薦めの本:『認知行動アプローチと臨床心理学』(金剛出版)

CBTの実践と研究のインタフェースに関心のあるサイコロジストなら,誰でも尊敬しているであろう(と,私は思っている),丹野義彦先生の新著です。

『認知行動アプローチと臨床心理学』(2006年,金剛出版)

なかなかの大作で,読み応えがありました。

本書の面白さは,ひとことで伝えるのが難しいのですが,とにかく「さまざまな角度から,心理学について学べる,再考できる」と書くとよいでしょうか。認知行動療法の最近の知見のまとめ,イギリスの認知行動療法家の仕事ぶり,なぜイギリスでは認知行動療法がさかんなのか・・・などといった認知行動療法(CBT)に関わる記載だけでも,大変勉強になるのですが,それだけではないのです。

たとえば,心理学は大学教育においてどう扱われる必要があるか,心理学のプロフェッショナルを養成するためのシステムはイギリスの場合どうなっているのか,といったサイコロジストの養成や心理学研究のあり方について,イギリスの実情が詳しく紹介されており,それはそれで勉強になりますし,大いに参考にもなります。

またちょっとした心理学史のおさらいもできます。私は本書で,「連合主義」についてあらためて学べました。

さらにCBTだけではなく,他のアプローチについてもイギリスの現状が詳しく記載されています。対象関係論のちょっとしたお勉強にもなりました。

最後に,やはり本書の素晴らしさは,丹野先生の情熱が,ひしひしと伝わってくることでしょうか。日本の臨床心理領域をもっとエビデンス・ベーストなものにしていくために,CBTを日本において正しい形で普及させるために,イギリスをモデルにしつつ,自分たちで頑張ってやっていこうではないか! という先生の熱い思いが,どの頁を読んでいてもあふれ出てくるように思われました。

以上,とりとめなく書きましたが,とにかく本書の魅力をコンパクトに伝えるのは難しい。ぜひ手にとってお読みになることをお薦めいたします。

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2006年6月22日 (木)

クライアント体験:次のセッションまであと2ヶ月

  今,私が体験している「試行認知行動療法(試行CBT)」は,私が勤務する機関の月1回の内部研修会のときに実施しているものです。なのでセッションのペースは月に1回。かなりゆっくりしたペースですが,急性期ではなく,慢性化した問題を扱うのであれば,この月に1度というペースもなかなか悪くないと,実際にやってみて感じていました。

  が,6月の研修会は相方が研修会を欠席,7月の研修会は私が欠席するはめになり,残念ながら5月のセッションの次は8月,ということになってしまいました。今から数えてあと2ヶ月,この前の5月のセッションから数えて実に3ヶ月ということになります。

  そうとわかったときのクライアントとしての私の反応ですが,確かに残念な気持ちではあるのですが,「とにかく現状を3ヵ月後まで何とか維持して,セラピストに報告したいな」という気持ちが一番強くありました。「3ヶ月あくなら,もういいや,どうとでもなってしまえ」というモチベーション・ダウンでもなく,「3ヶ月あくなら,もっと自分で進めてしまえ」というモチベーション・アップでもなく,維持を望む気持ちです。

  というのも,以前毎日1箱,つまり1週間で7箱以上吸っていた煙草を,今現在週に2箱ペースに落としており,そのなかで「読書療法」をしたり,コーピングカードを使ったり,「吸おうかな,やめておこうかな」という状況でさまざまな自動思考が生じるのを体験したり,「CBTで“我慢”を目指すのは,やはりおかしなことだ」と改めて気づいたり・・・,要はさまざまなことを実感的に体験しており,それだけで今は「いっぱい状態」なのですね。そしてとにかくその「いっぱい状態」を一度セラピストに「報告したい」という気持ちが強くあるのです。報告して落ち着いてから,次のステップに進みたいのです。

  というわけで今回,次のセッションまでの間隔が長いことを知って思ったのは,CBTにおけるセラピストの機能の一つとして,「報告を受ける」「報告を共有する」というのがあるなあ,ということです。「どんなにささいで,つまらないことでも,このセラピストならちゃんと共有してくれるだろう」という信頼があればこそ,こう思えるということも重要だと改めて思いました。

  やっぱりCBTの要は技法ではなく,対話なのだ,ということでしょうか。

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2006年6月15日 (木)

クライアント体験:読書療法感想『禁煙の愉しみ』その1

「禁煙に対する認知行動療法」というタイトルが,実はまずかったと思っています。というのも,私が目指すのが「禁煙」かどうかが,非常にあやういからです。

ただ少なくとも,「遠い先に禁煙できたらいいなあ」という希望的観測のもと,CBTを受け,いろいろと試しているのは事実ですし,面倒くさいので,いちおう「禁煙のためのCBT」ということで,このシリーズ続けていきます。

読書療法の3冊目,『禁煙の愉しみ』(山村 修)について,少しだけ書いてみます。「少しだけ」というのは,本書については,今後いっぱい書きたいからです。また本書を通じて読書療法について改めて考えたことについても,できればちょっとずつ書いてみたいと思っています。

もともと本を読むのが好きな私としては,たとえ実用的な目的であっても,すなわち読書療法目的で読む本であっても,やはり本として読む価値のある,読んでいて楽しい,心に響くようなフレーズが書かれてある本を読みたいものだと思っていました。そういう意味では,読書療法1冊目の『禁煙ファシズムと戦う』は,私にとって実用価値はありませんでしたが,読み物としては,そこそこ楽しめました。逆に『女性のための禁煙セラピー』は,これもあくまでも「私にとっては」という注釈つきですが,読み物としては最低でした。本を読む楽しさ,文章を読む楽しさがまったく感じられなかったので。

  そして今回の『禁煙の愉しみ』です。これはとても素敵な本でした。文章や言葉の連なりとしても素敵。実用書としても素敵。これぐらい素敵であれば,読書療法のお供として,頼りにしたいと思うわけです。本書の何がどのように素敵か,ということについて,今後何回かにわけて書いてみたいと思います。

今日はここまでで失礼します。

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2006年6月 7日 (水)

お薦めの本:『医療現場におけるパーソナリティ障害』(医学書院)

  今回のお薦めの本は,林直樹先生らの新著

医療現場におけるパーソナリティ障害 ― 患者と医療スタッフのよりよい関係をめざして』(2006年,医学書院)です。

  現場におけるリアルな事例が満載で,わが身をそれこそリアルに振り返りながら一気に読めました。そしてあらためて確認できたのは非常にシンプルなことで,「クライアントさん・患者さんを大事にしたいのであれば,現場のスタッフを大事にせよ」ということであり,逆に言えば「現場のスタッフを大事にしたいのであれば,クライアントさん・患者さんを大事にせよ」ということであります。

  しかしこのようなことは,口で言うのはいとも簡単ですが,実際には様々な難問がつきまとってくるわけで,そのギリギリのラインを,林先生のさまざまな文章から学ばせてもらっているような気がします。もっと正確に言えば,「ギリギリのライン」が何なのか,それがよくわからなくなってしまうことが現場では多々ありまして,その際の判断の助けになるような考え方ややり方を,林先生の著作からはいつも教えていただいているような気がします。

  そういう意味で,本書で特に私が助けられたのは,クライアントさん・患者さんから告げられた違法行為(その計画を含む)にかんする対処法についてです。といっても,本書に具体的な指針が事細かに記載されているわけではありません。臨床家自身が自分で判断するための準拠枠のようなものが,漠と説明されているだけにすぎません。しかしそのような準拠枠こそ,まさしく私が求めていたものであり,またこのような準拠枠についてこそ,本書に限らず,林先生の立ち位置にはブレがなく,書かれていることに全面的に同意するかどうかはともかく,読む者が自分の体験を振り返りながら,しっかりと具体的に検討できるように思われるのです。

  クライアントを守り,現場で一緒に仕事をするチームスタッフを守り,自分自身を守り,その中でクライアントの回復を,それを信じながら粘り強く探っていく,という林先生の姿勢は,あちこちで散見する先生の文章から一貫して読み取れ,そして非常に勉強になります。

  ちなみに,本書以外でお薦めの,林先生のご著書といえば,

『人格障害の臨床評価と治療』(金剛出版,2002年)です。これは本当にお薦めです。認知行動療法について詳述はされていませんが,私は本書を読んで,なぜCBTがパーソナリティ障害の治療において,他のアプローチに比べると格段に行動化を惹起せずにすむのか,なぜCBTが安全なおとしどころを見つけられるのか,なぜクライアントさんが混乱せずにケースを全うできるのか・・・といったことについて,かなり整理できたように思われます。

  以上まとまりがなくなってきたので,ここらで終わりにします。

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2006年6月 5日 (月)

クライアント体験:読書療法感想『女性のための禁煙セラピー』

  禁煙(節煙)に対する読書療法のご報告第2弾です。

  あの『禁煙セラピー』の著者,アレン・カー氏による『女性のための禁煙セラピー』(2003年,KKロングセラーズ)についてです。

  実は数年前に『禁煙セラピー』は読んだことがあったのです。が,特に何の感想も持たず,そのまま忘れていたのでした。今回あえて購入したのは,「女性のための・・・」という書名に惹かれたのと(美容関係の記述満載かも・・・という淡い期待),『禁煙セラピー』を読んで禁煙した,という人が身近に何人かいたので,読書療法の一環としてまじめに読んでみようと思ったからでした。

  が,結論から言うと,感想は「なんてムカつく本なんだ!」という一言です。今回は禁煙(節煙)を目指すCBTのクライアントとしての立場で,ひねくれた視点ではなく,真面目に読もうと決意していました。本書の冒頭でも,“本書を読むときのルール”として,「心を開いて読む」と書かれてありまして,ふだんなら,このフレーズだけで,「ふん! 心を開いて読めそうな本だったら,わざわざこんなルールを掲げられなくても,自ら心を開いて読むに決まっているじゃない!」と即座にひねくれてしまいそうなところを,「よし,当事者として,ここはあえて心を開いて読んでみよう」と自分に言い聞かせて読み始めたのです。

  この本の特徴は,とにかく読者に,「あなたは単に,自分がニコチンに取り込まれているという錯覚に陥っているだけだ。意志の強弱の問題じゃない。あなたが止めようと思ったその日からタバコをやめれば,それで大丈夫」という“親切で優しい”メッセージに満ち満ちていることです。

  ご丁寧にも,こんなことまで書かれてあるんです。

タバコを吸い続ける人のほとんどが意志の強い人です。タバコをやめられるかどうかではなく,それ以外の面で,スモーカーの精神力を測った場合,禁煙できない人は精神力の強い人がほとんどです。(p.150)

   なんだそりゃ。とにかく禁煙できない喫煙者に対して,否定的でないメッセージを送ろうとする意図が見え見えです。(ヘビースモーカーの言う,「これだけ体に悪いもんを長年吸い続けている自分は,実は意志が強いのだ」という冗談のほうが,よほどマシだと思います。)

  上記のフレーズも含め,読みながら,とにかくムカムカしてくるんです。そしてその“ムカムカ”の正体は,以下のフレーズを読んだときにはっきりとわかりました。

禁煙したあともほかのスモーカーを避けてはいけません。
反対に周りのスモーカーを反面教師にするのです。残りの人生,同じことをしないですむと喜びましょう。スモーカーは惨めな麻薬中毒者です。その本当の姿が見えれば,あなたが感じるのは哀れみだけです。(p.183)

  要はいたるところで二重のメッセージを読者に送っているわけですね。読者に対しては,“禁煙を検討中のあなたは,ちっとも悪くない。意志だって弱くない。大丈夫。ただタバコをやめればいいだけの話。それだってちっとも難しい話じゃない”というメッセージを送りながら,同時に,こういう間接的な表現で,“喫煙者であるあなたは,実は惨めな麻薬中毒者なんだよ。人から哀れまれるかわいそうな存在なんだよ”と伝え続けているのです。戦略なんだろうし,こういう戦略で本書は売れまくっているわけだし,事実,本書によって禁煙できたという人が存在するので,こういう戦略もありだと認めないといけないとは思いますが,こういうダブルスタンダード的表現ってフェアじゃないと思うなあ。少なくとも私自身は,「喫煙者であるお前は惨めな麻薬中毒者だ。それがお前の本当の姿だ。私(著者)はお前に対して哀れみだけを感じるよ」とストレートに書いてもらったほうが,さぞかしスッキリします。

  というわけで,後味の悪い本でした。が,読書療法的には,こういう本を読んだことは決してマイナスではなく,自分の喫煙スキーマ,節煙スキーマ,禁煙スキーマを再確認でき,それはそれで有益だったと思います。また,セラピストとして,こういうダブルスタンダード的メッセージを発することのないよう真に気をつけよう,と襟を正すことができたというのも収穫だったのではないかと思います。

 

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2006年6月 2日 (金)

クライアント体験:コーピングよりモニタリング

  「禁煙」ではなく,「節煙」は,数字的には今のところまあまあ順調に進んでいます。「数字的には」と書いたのは,心理的には結構葛藤する時間帯が多くあるからです。

  数々の禁煙サイトを見ましたが,そもそも「節煙」はダメで,「きっぱりと禁煙」なんだそうです。が,そこまで私はふんぎりがついていないので,吸わない時間を「小さな禁煙(プチ禁煙」と勝手に名づけて,とにかく1日の本数を減らし,少ない本数に慣れることを,当面の目的とすることにしました。

  そのために先日,コーピングシートを作って,それを本ブログでも紹介しました。それをカード状にして持ち歩き,吸いたくなったら常に参照するようにしていましたが,先日ふと思ったのは,「そもそも我慢しようという認知的対処や,我慢するための行動的対処そのものが,ストレスになるからいけないんだな」という,しごく当たり前のことでした。

  CBTではセラピストとクライアントさんで面接目標決める場合,そもそも「・・・しない」「・・・を我慢する」という表現は極力使わないようにします。「・・・しない」という否定的状態はイメージしづらいですし,「・・・を我慢する」なんて楽しくないですもん。「・・・しない」ということは,言い換えれば何をするということになるのか,「・・・を我慢する」というのは,我慢しながら,別の何をするということになるのか,それらは目標として目指したくなるような状態なのか,それを目標にしたら気持ちがウキウキしてくるのか,その目標を達成できる自分を嬉しいと思えるのか・・・という大事なことを,自分のコーピングカードに対して使っていないことに気づき,自分で呆れてしまったのでした。

  コーピングカードは引き続き持ち歩いていますが,そういうわけで,別の目標イメージが必要だなあと思い,それをぼんやりと探しているのが現状です。が,それでも多少の「我慢」を重ね,吸わない時間帯が生活のなかのそこここに発生しておりますので,今はそれをどうやってしのいでいるかというと,CBTの定石ですが,「セルフ・モニタリング(自己観察)」です。ほどよいコーピングが決まるまでは,とりあえずは自分をモニターすることを続け,ストレス下の自分の反応をつぶさに把握するというのが,必要ですし役に立ちます。というわけで,今は,プチ禁煙中と決めている時間帯に喫煙欲求が生じたときは,ひたすら「ああ,またこの欲求が出てきたぞ。こいつがどんな奴で,いったいどうなっていくか,ちょっと様子をみておこう」とモニターするようにしています。我慢を自分に強いるようなコーピングより,そのままのあり様をモニターするほうが,気持ちも楽ですし,むしろそれが吸わない時間帯のコーピングになるようです。

  「コーピングの前に,たっぷりとモニターすることが大事」などということは,上記のとおりCBTの定石で,普段の臨床で実施している(はず)のことなのに,なんと自分のCBTについては,モニタリングを飛び越してあせってコーピングを実施してしまった・・・という「ミイラ採りがミイラになる」(この使い方は合っているかな?)ようなことをしていたのでした。・・・お恥ずかしい話です。

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2006年5月26日 (金)

クライアント体験:読書療法感想『禁煙ファシズムと戦う』

読書療法の途中経過です。

『禁煙ファシズムと戦う』 小谷野 敦・斉藤貴男・栗原裕一郎(著)

これは反嫌煙運動本です。一気に読了しましたが,感想を一言でまとめると,小谷野氏のパート(これが大部分ですが)は,「下品!」に尽きます。

読み物としては面白いです。中島義道氏の『うるさい日本の私』を読んだときと同じ面白さを感じました。

が,「神経症の自分にはストレス解消のために,いつでもどこでもタバコが必要なんだ。タバコごときでうるさく言うでない。タバコなんかより,排気ガスを撒き散らしている車のほうが,よほどひどいじゃないか。タバコに文句言うより,車に文句言え!」という主張を,露悪的に吐露するやり方は,一読者としては面白がれますが,一喫煙者としては気分が悪くなりました。

ただ,共著者である斉藤貴男氏の,小谷野氏に比べればかなり冷静な議論は,それなりにもっともだと頷きながら読めました。(ちなみに斉藤氏は非喫煙者だそうです)

たとえば,こんなくだり。(旧厚生省の補助を受けた,喫煙者の生涯医療費が非喫煙者の医療費をいくらか上回る,という研究報告に対するコメント)。

  人間は何のために生きているのかと,否応なく考えさせられる。ならば肝機能障害に直結する飲酒はもちろん,ケガの原因となるスポーツ,目を悪くする読書,およそ人間のあらゆる営みに同じことが言え,“予防”の対象になり得る。

  長生きしすぎた老人や身体障害者,治る見込みのない重病人,働かない貧乏人,余計なことを言って社会全体の生産性を低下させるジャーナリストや評論家など,皆とっとと死んでくれることが,財政にとっては一番ありがたいことになる。(p.131)

あるいは,こんなくだり。

  このような思考経路を辿って作成された「健康日本21」試案は,その全体像も,ザミャーチンの『われら』を彷彿とさせる,馬鹿馬鹿しいほどの人間管理思想に貫かれたものになった。先に一部を紹介したが,もう少し列挙しておく。

「質・量ともに極端に偏った食事をする者の割合を減らす」(一日最低一食,きちんとした食事を,二人以上で楽しく,三十分以上かけてとる)」

「一ヵ月間にストレスを感じた人の割合を減少させる」

「六十歳における二十歯以上の自分の歯を有する者の割合を増やす」

「適正な身体活動をする者の増加(国民の10%が早歩き毎日30分実行)」

  誰も好きこのんで孤独な食事を摂っているわけでも,ストレスを溜めているわけでもない。早歩きの励行に至っては泣けてきた。私たちはなぜ,国ごときに自分の健康についてまで指図されなければならないのか。(pp.149-150)

公衆衛生的思想というのはそういうもんでしょ,とも思いますが,私自身も斉藤氏が表明している,国や世論の「清潔・浄化志向」に対する強烈な違和感はわかります。それが喫煙に向かえば,「禁煙ファシズム」と呼んでもよいような極端な主張や制度化につながりうることにも同意します。

斉藤氏は非喫煙者です。そして私は小谷野氏の露悪的態度より,非喫煙者ながら本書に寄稿した斉藤氏に与したいなあと思います。つまり,小谷野氏のように,人びとに抗議されながら,そしてあらゆるところでトラブルを起こしながらといった,つまりバカバカとタバコを吸い続けるといったやり方以外で,「禁煙ファシズム」的なこととは戦いたいなあと思うわけです。

試行CBTを通じて,自分の「タバコスキーマ」をメタ的に考えることの多い今日この頃,いろいろなヒントを与えてくれる本ではありました。

読み物として面白かった分,『女性のための禁煙セラピー』よりはずっとよい本かも。(『禁煙セラピー』については,近日中に書きます。本当に嫌な本でした)

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2006年5月20日 (土)

クライアント体験:読書療法

試行CBTの初回セッションを受けて,5月15日から100箱作戦(別名「超節煙作戦」)を開始して今日で6日目。

これまで1日1箱,場合によってはもっと(飲みにいくと急増)でしたが,コーピングシートを用いつつ,1日平均5本ペースで落ち着いております。これが第一の落としどころという感じがします。仕事中はほとんど吸いません。仕事前,仕事後,帰宅後,夕食後,就寝前という感じです。

が,今日これからお酒の入る食事に行きますので,これが鬼門だな(相手もスモーカー)。明日はタバコ大嫌いな人(母親なんですが)と食事に行きますので,これも別の意味で鬼門です。ただいずれにせよ,「エクスポージャー」と思って臨むことにします。

ところでCBTと言えば読書療法(bibliotherapy)。希望するクライアントさんには積極的に本を紹介し,セッションで検討することも多々あります。というわけで,私も読書療法してみようと思い,次の本を注文,すでに到着,①を読み始めております。

『禁煙ファシズムと戦う』  小谷野敦 他

『女性のための禁煙セラピー』  アレン・カー

『禁煙の愉しみ』  山村 修

①は,禁煙・節煙サポートのため,というより,自分のタバコに対する認知(というよりスキーマに近いもの)を再構成するための参考にするためです。結構笑えます。②は,あの『禁煙セラピー』の著者ということで,ちょっと引き気味なのですが(かなり前に読みましたが,しかけが見え透いており,ひねくれ者の私は素直になれなかった),やはり定番ということで,今度は素直に読む努力をしたいと思います。一番期待しているのは,③。タイトルからして,そそられます。

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2006年5月19日 (金)

クライアント体験:コーピングシートの内容

またまた禁煙(というか超節煙)に対する試行CBTのご報告です。

先日の記事にも書きましたが,初回セッションを受ける前に,初回セッション後すぐに100箱作戦を開始したいと考え,自分なりにコーピングシートを作成しておりました。今日はそのご紹介です。

コーピングシートとかコーピングカードは,認知行動療法ではよく使われる技法ですが,どうってことありません。予測される問題状況に対処したり,予測される望ましくない反応を予防したりするために,予め具体的なコーピングを決めておき,それをシートやカードに記入し,持ち歩いて,いつでも参照する,というものです。

以下に私の作ったコーピングシートの内容を,一部示します。

●予測される問題状況

・前回の喫煙から1時間ぐらい経ったのを確認したとき

・今後1~2時間,タバコを吸えないと認識したとき

・食事を終えたとき   ・ちょっと一息ついたり気分転換したいとき

(以下略)

●予測される自分の反応

・「タバコ吸いたいな」「吸っておこう」「吸っておかなきゃ」と考える

・タバコを吸う準備をする(例:場所や灰皿の確保)

・1本取り出して吸う → とりあえず満足する

●上記の状況・反応への認知的コーピング

・「その1本を,とりあえず次まで吸わずに取っておこう」

・「実は,吸わなくてもいいんじゃないの?」

・「タバコをやめると,どんないいことがあるのかな。5つ考え出してみよう」

(一部略)

●上記の状況・反応への行動的コーピング

・タバコを吸える場所,状況から離れる

・腹式呼吸をする。息を吐きながら煙を吐いた気になる

・「吸わないことにする」と声に出して言う

・ガムをかむ,あめをなめる,水を飲む

・タバコをやめることによって得られる「いいこと」を5つ書き出す。もしくは頭の中で考える

・「タバコを吸う」以外の行為に注意を向ける

・以上の対処でしのげなかったら二コレットを噛む

・それでも駄目なら1本吸う

(一部略)

・・・とあらためて書いてみると,まったくもってありきたりの内容で,さらに「駄目なら1本吸う」などと自分に甘いのが笑えます。

  が,コーピングシートやコーピングカードの目的は,何か特別な対処法を発見したり実施したりすることではなく,問題状況に身をおいている際に忘れてしまいがちなコーピングを外在化しておき,いつでもそれを見られるようにしておく,というしかけを作ることなので,まあこれでも良いのでしょう。あとはこれをちゃんと活用するかどうかですが,今のところ,まあまあかな。(なにしろ「駄目なら吸う」までコーピングに入っているので,失敗というのが起きようがないのです)

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2006年5月17日 (水)

お薦めの本:『自傷行為』(金剛出版)

試行CBTばかりでは何ですし,せっかく備忘録代わりにブログを使うのであれば,CBTに直接関係あるか否かはさておき,読んだ本のなかで,面白かったもの,今後に役立ちそうなものについては,とりあえず書きとめておこうと思います。

で,今回は『自傷行為:実証的研究と治療指針』(ウォルシュ,B.M. & ローゼン,P.M.著,松本俊彦・山口亜希子訳,金剛出版,2005年)です。

本書のよさは,いろいろとありますが,とりあえず思い出せる範囲で箇条書きにしてみると,以下のとおりです。

1.実証研究ベースで,自傷を検討していること。

2.自傷を,境界性パーソナリティ障害のリストカット等に限定せず,重篤な精神病患者や発達障害患者のそれにまで視野を広げ,定式化し,それぞれに対する対処法を実証的視点から論じていること。

3.自傷を自殺企図と概念的に区別し,実証的に検討していること。(自傷と自殺企図の両者を実施する患者さんの場合,それを分けて考えるべき必要性について,本書から明確に教わりました)

4.訳文がすばらしい。さらに訳者あとがきがすばらしい。一読の価値ありです。

自傷行為,特に青年期以上の自傷に対する治療法としては,患者さんのモチベーションや内省力によって精神分析的心理療法と認知行動療法のどちらかを適用することが推奨されていましたが,非常に納得いきました。弁証法的行動療法や問題解決療法についてほとんど触れられておらず,途中で怪訝に思って確認したら,原書は1988年に発行されていたのでした。

私が自殺企図を繰り返す患者さんに対する問題解決アプローチに関するイギリスの論文を読んで,問題解決療法に興味を抱いたのが1991年でした。その3年前に,このような充実した,エビデンスベーストな成書が出版されていたとは,恐れ入りました。(というか,単なる勉強不足?)

ともあれ,自傷や自殺に無関係に仕事をしている心理臨床系の方は,まずおられないと思います。結局はケースバイケースなのでしょうが,ひとつひとつの微妙な判断の際,少しでも判断に役立つ理論的根拠を得ておきたいという方にはお薦めです。

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2006年5月14日 (日)

クライアント体験:第1回セッション

最近この話題ばっかり。

昨日,試行CBTの第1回セッションがありました。時間は30分。内容と感想を簡単にまとめてみます。

●昨日のアジェンダ

1.ホームワークの確認

2.コーピングシートの共有

3.CBTモデルに基づく現状のアセスメント

4.まとめ(ホームワークの設定とフィードバック)

●アジェンダ1.ホームワークの確認

「人生最後のタバコ」を100箱揃えて,箱に番号をつける,というのがHWでした。これはきちんとやってあったので,得意気にセラピストに報告しました。携帯の写真という証拠も見ていただきました。

●アジェンダ2.コーピングシートの共有

このアジェンダは私から提案したものです。数回のセッションを使って,綿密にアセスメントをして,計画を立ててから,超節煙を始めるか,もう100箱揃えたので,早々に超節煙に取りかかるか,少々迷ったのですが,セッションが月に1回ですので,計画立てまできっちり実施するとなると,数ヶ月かかってしまいます。それはちょっともったいないと思ったので,自発的にコーピングシートを作って,タバコを吸いたい状況と,そのときどうやって吸わずにしのぐかという認知的コーピングと行動的コーピングについて,シートに記入して,セラピストと共有し,OKということであれば,開始しようと考えたのでした。

というわけで,シートをセラピストに見せ,これでOKということだったので,早速超節煙に取りかかることになりました。(明日から,と決めています)。コーピングシートの中身については,また後日。

●アジェンダ3.CBTモデルに基づく現状のアセスメント

これは前回合意していたアジェンダであり,セラピストから改めて提案されたアジェンダでもあります。セラピストは「タバコを吸いたい場面を切り取って,具体的にアセスメントしましょう」と提案してくれたのですが,この作業はすでにコーピングシートを作成するときに,自分のなかで完了した感があるため,私からは,「むしろ,現状を少しまとめた形でアセスメントしたい」と提案・依頼しました。それが受け入れられ,セラピストとやりとりしながら,まさに今,超節煙にとりかかろうとしている現状を,CBTのモデルに沿って同定し,それをセラピストがアセスメントツールに書き込んでいってくれました。現状が外在化され,整理されたことによるスッキリ感がありました。(アセスメントの内容や感想もまた後日。)

●まとめ(ホームワークの設定とフィードバック)

ホームワークは,①コーピングシートを用いて超節煙に取りかかること,②毎日の本数を手帳にメモすること,③1日3本以内なら300円貯金することにしたので,その合計値も手帳にメモすること,の3点になりました。最後に本日のセッションの感想を私がフィードバックしました。セッションを通じて,「いよいよだな」と強く思いましたので,シンプルにそれをセラピストに伝えました。

以上が,初回セッションの報告です。こうやってまとめてみると,認知行動療法がいかにセッションを構造化するか,ということが改めてよくわかります。また前回のインテークは15分,今回のセッションは30分で,私たちが通常実施しているセッション(45~50分)に比べると短いのですが,それでもかなりいろいろなことができるなあ,という感想を持ちました。これもCBTの構造化という特徴が寄与していると思われます。

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2006年5月12日 (金)

クライアント体験:初回セッション前夜の気持ち

早いもので,明日が試行CBT,初回セッションです。(前回はインテーク面接扱いでした)

「禁煙しようかな,どうしようかな」という,何とも曖昧な主訴を語ったインテークから早一ヶ月,いまだに心が定まりません。

一応,「人生最後の100箱」を買い揃え,1から100まで番号を振る,というホームワークは実施しました。それどころか,もし明日からその100箱に手をつけるということになったら,という予測のもとに,コーピングシート(問題となりそうな場面において実行可能な,認知的コーピングおよび行動的コーピングを具体的にリスト化するシート)まで自発的に作成してしまいました。明日はできれば現状をCBTのモデルでアセスメントしてもらい,さらにコーピングシートをセラピストに共有してもらったうえで,100箱作戦を開始する決意を固めたいと考えています。

セッションの前夜の今,半分気が重いのですが,半分は結構楽しみでウキウキしている感じです。「それはあくまで試行CBTだからでしょ?」という声も自分の中にあるのですが,反面,CBTを受けに来る本物(?)のクライアントさんたちが,「来るのが楽しい」「(セッションを終えて)今日も楽しかった」「今後どうなるか楽しみ」というように,結構「楽しい」という語を使ったフィードバックをしてくれることがあることを想起し,「そっかあ,クライアントさんたちは,こういう感じで『楽しい』って語っているのかなあ」と考えたりもしています。

ともあれ,明日のセッションを経て,私はとうとう禁煙,というか超節煙の道に踏み出すのかどうか,ちょっとドキドキしていますし,やっぱり楽しみです。

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2006年5月 1日 (月)

クライアント体験:ホームワークやりました!

試行CBTのネタばかりですみませんが,今回もこれです。

私の主訴は,禁煙ですが,とりあえず前回のインテーク面接時に設定されたホームワーク(といっても,私がセラピストさんに提案させてもらったのですが)は,「100箱作戦」のために,とりあえず100箱煙草を買って,箱に番号を振る,というものでした。

ということで,日々,せっせと煙草を買い続けていたのですが,先ほど溜まった煙草がどうやら100箱程度はあるように思われたので,数を数えてみたところ,106箱になっており,そのうちの100箱に「1」から「100」の数字を振り(箱の底に油性マジックで書き込みました),番号順に紙袋に並べました。

そこでふと思ったのが,「紙に書くスタイルのホームワークなら,それを次のセッションに持参すればよいが,このホームワークを実施したことを,セラピストにどう伝えたらよいのだろう?」ということでした。「ホームワークやりました! 自宅にナンバーの振られた煙草が100箱,待機してます!」と口頭で伝えるのでも良いのでしょうが,せっかくやったホームワークなので,もう少し「本当にやったんだよ!」ということをセラピストに伝えたいと思い,携帯で写真を数枚撮りました。次回の初回セッションでは,その写真をセラピストに見てもらおうと思います。やっぱりせっかく実施したホームワークは,できるだけセラピストに共有してもらいたい,と考えるわけです。

CBTは「協同的問題解決」である,と折に触れて私は言っているのですが,実際に「クライアント」としてホームワークをやってみて,やはりクライアントの視点からも,「確かに主役は自分だが,セラピストと共に問題解決していくんだ」と思えるのだ(もちろん全てのクライアントさんがそうだとは言いませんが),ということが実感できたような気がします。

ホームワークをやると,さらに次のセッションが楽しみになってくるのも面白いです。CBTのクライアントさんは,CBTについて,「楽しい」「面白い」という感想をおっしゃる方が多いのですが,「なるほど~」という気がします。

とにかくこの「クライアント体験」,何から何まで新鮮です。当面,この話題ばかりかもしれませんが,お付き合いいただけますと幸いです。

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2006年4月27日 (木)

クライアント体験:他者による問いの力(2)

  またまた試行CBTの報告です。(最近,こればっか・・・笑・・・しかし,貴重なクライアント体験については,できるだけ事細かに記録しておきたい)

  セラピストに主訴をおずおずと語った後,「どうしてあなたは禁煙したいのですか?」と改めて問われた際,ほんの数秒あるいは十数秒だったと思うのですが,ものすごく真剣に,かつ,めまぐるしく,自分のなかで改めて自分に問いました。「どうして私は禁煙したいなどと,この場で言っているんだろう?」と。

  で,出てきた答えは,「私は煙草を止めたいのではなく,今の,この世の中で,【煙草を吸う人】であることを止めたいんだ」ということでした。

  改めてまとめると,私は煙草を止めたいのではないのです。そうではなく,煙草を吸う人を「かわいそうな人」扱いする,今の世間の情勢において,そのような「かわいそうな人」扱いされるようなポジションにいることが嫌なんだ,ということです。

  そのように答えてみて,なんだか非常に,「あ,そうだったのか」とスッキリしてしまいました。このスッキリは,問われて初めて気づいたからではなく,これまでも間違いなく,うすうすそう思っていたのですが,問われて自ら改めて考え,その考えを口にすることによって,それをはっきりと目の前の他者(セラピスト)に対し,明確に言葉にできたからこそ得られた感覚だと思います。

  これがCBT的コミュニケーションにおける,ソクラテス式問答のもつ力なんだと,答えたあと,やけにしみじみと感じてしまいました。クライアントとしての私は,この問答を体験できただけで,インテークを受けてよかった,と満足しています。

  しかしひるがえって,普段セラピストとしてCBTを実践する者としては,「問いの力」の大きさについて気をつけなければならないと,改めて実感しました。ある問いを問われて,それに答えるだけで,これだけ満足できる場合があるということは,逆もあるということです。つまり,セラピストの問いに対して自問するだけで,これだけ満足できる場合があるということは,逆に,問われることによって大きく心が揺さぶられる場合がありうるということなのだと思います。

  この「問いのもつ力」については,私なりに注意して,用心深くひとつひとつの問いをクライアントさんに発してきたつもりではありますが,今回のこの体験によって,自分の発する問いに対して,さらに自覚的になろう,と決意した次第です。

   ・・・という具合に,たった15分間の試行CBTのインテーク面接を体験しただけでも,あれやこれやと様々な感想が生じること自体に,新鮮な驚きを感じています。(で,こうやってブログに垂れ流している・・・)

   ・・・などと書きつつ,次回のセッションまでのホームワーク(生涯最後の煙草を100箱用意して,各箱にナンバリングする)には,いまだ全く手をつけていなかったりするのでした。(それにしても「100箱」という数量に,未練がましさを感じるなあ)

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2006年4月25日 (火)

クライアント体験:他者による問いの力(1)

またまた試行CBTの話題です。

インテーク前に様々なことを考えているうちに,とうとう試行CBTのインテーク日当日となりました。当日ともなると,「とうとうこの日が来てしまった」「もう逃げられない」といった認知(自動思考)が生じ,気分的にも「開き直り」に近い感じになってきます。そして,「どうせ始めるんだから,つべこべ言っていないで,セラピストに助けてもらいながら,やれるだけやってみよう」と,なかばやけくそ気味な自動思考が浮かんできました。そしてとうとうセッションが始まりました。

時間の都合で,当日は1回15分の「インテーク面接」という設定でした。インテークなので,本題に入るのではなく,「何を主訴とするか」「その主訴に対して,どのようにしてCBTを進めていくか」といった話を中心に行われたのですが,この日一番の収穫は,私がおずおずと「一応,禁煙したいということを主訴に進めていってほしいのですが・・・」と言い出したことに対し(中途半端なモチベーションなので,どうしても「おずおず」「もじもじ」と言い出す感じになっちゃうんですね),セラピストの言った「どうして禁煙したいのですか?」という問いに対する自分の反応でした。

  セラピストの質問に答えようとして,しばらく考えているうちに,自分が「禁煙」を主訴とする理由,つまり「どうして?」に対する答えが,突然自分のなかでとてもクリアになり,自分自身で非常に納得してしまったのです。

  一応「禁煙」を主訴に,この試行CBTに臨もうと思っていたぐらいですから,「自分はなぜ今回,この試行CBTにて,禁煙しようとしているのか」などなど,さまざまな自問自答はすでに発生していました。しかし,そのような自己完結的な自問自答と,目の前のセラピストから,つまり他者から発せられる問いに対して行われるオープンな自問自答とは,全く違っていたのです。その違いを,このとき,まざまざと実感しました。

  自己完結的な自問自答の場合,結構アバウトな回答で満足して,終わってしまうのですね。禁煙で言えば,「やっぱり世間の目は厳しいし」「健康に悪いし」「お金ももったいないし」などなど,ありがちな回答で適当に満足して,「だからやっぱり禁煙したいよね」とへらへらと考えるに留まり,それで終わり!という感じです。が,目の前にいるCBTのセラピストから,「どうして禁煙したいの?」と聞かれたときには,自己完結的な自問自答とは全く異なる真剣さで,思わず自問してしまっていたのです。「本当にあなた(自分)は,なぜ禁煙したいのか。なぜ禁煙を主訴に,CBTを始めようとしているのか???」と。これがまさに「問いの力」なんだなあ,と実感しました。

  そして,セラピストを目の前にして,あれこれと考えた結果,「あ,そうか!」というぐらい,自分にとっては明確な,禁煙したい理由が浮かび上がってきたのです。まさに「浮かび上がってきた」という感じでした。浮かび上がってきたものをつかまえて,「あ~,なるほど,そうだったのか~」と,自分のことなのに,改めてびっくりする,という感じでした。

  とりとめがなくなってきましたし,長くなってきましたので,自問の結果気づいたことについては,次の記事に書きます(といっても,大したことに気づいたわけではありません。私としては,気づきの中身より,セラピストとの対話のなかで,今までとは違う「気づき方」をした,という体験ができたこと自体が,むしろ新鮮でした。・・・といちいち伏線をはること自体が,禁煙に対して覚悟が決まっていない証拠かも・・・笑)

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2006年4月20日 (木)

クライアント体験:インテーク前の心の揺れ

  クライアントとして,認知行動療法(内部研修会での試行CBT)を受けることが決まってから,昨日も書いたような認知的,行動的変化が自然に起きたのですが,その体験が自分にとっては非常に新鮮でした。そして全く同一とは言えないと思いますが,我々がやっているような民間機関にインテーク面接を申し込んでくださるクライアントさんの思いを,これまでよりほんの少し,より理解できたような気がしました。(あくまでも「そんな気がする」というレベルですが)

  特に私が「ああ,なるほど,そういうことなのか」と思ったのは,「あまり早急に進めないで欲しい」「ゆっくりと進めていってほしい」「主訴を解消したいのはもちろんだけど,でも,時間をかけて徐々に変わっていきたい」というクライアントさんの思いです。

  そのようなクライアントさんの思いと,私ごときの「禁煙してみるかな」という半端な思いを一緒にするのは,ある意味大層失礼なのかもしれませんが,それでも研修会の「試行CBT」といえども,一人のクライアントとして真剣にCBTを受けようとする者からすると,確かに主訴を何とかしたいという思いはあるのですが,でもそのような主訴を抱えている自分は,これまでも,今も,これからも自分として生きていく自分であって,主訴もそのような自分の一部なのです。とすると,たとえ主訴であっても(すなわち解決したい問題であっても),それらとある程度じっくりと向き合い,ちゃんと考え,納得して解決の道を探り,辿っていきいたいのです。

  ・・・といった体験を通して,CBTの進行について話し合う際,「ゆっくりと進めていってほしい」などといった希望を出されるクライアントさんの思いが,これまでよりもう少し実感をもって理解できるような気がしたのでした。

  (いきなり話が大きくなりますが)人は「変わりたい」と思うと同時に「変わりたくない」と思う存在なのだと思います。その人は,これまでも,今も,これからも,変わらず「その人」であり続ける限り,それは当然の思いだと思います。だからこそ,問題解決志向の認知行動療法を実施する者としては,あるいは,トライアルで認知行動療法をクライアントとして受ける者としては,何らかの問題を抱える自分自身は自分自身として大事にして,一方で,何とか解決したい問題は,協同作業を通じて,解決のための努力を続けたいものだ,と今回の体験を通じて,改めて実感した次第です。

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2006年4月19日 (水)

クライアント体験:インテーク前の認知と行動

  「禁煙」を主訴として,「クライアント」の私が試行CBTに臨むことにしたのは,昨日書いたとおりです。

  面白いことに,4月15日の「インテーク面接」に向けて,私はいろいろと考えたり行ったりしました。その例を挙げると・・・

1)自分が本当に禁煙したいのかどうか,自問自答が始まりました。本当に禁煙を主訴として試行CBTが始まってしまうと,それに向けて動かざるをえなくなることはわかっています。だからこそ,インテーク前に,「本当に禁煙を主訴にして,CBTを受けることにしちゃっていいの?」「それだけの覚悟はできている?」「もう少し達成しやすい別の問題を主訴としたほうがいいのでは?」「でもめったにないチャンスだから,やはりこれを機に頑張るべきなんではないか?」「もしうまくいかなかったら,『弱い人間』だと,セラピスト役の相方や仲間に思われてしまうのではないか?」・・・etc,とにかく試行CBTのことを思うだけで,さまざまな自動思考が頭を飛び交うのです。

2)禁煙に向けて,私の行動プランはすでに決まっていました。「生涯最後の100箱」を購入し,その100箱を吸い切ってもよいし,途中で吸わなくなっても良いのですが,とにかくきっぱりと辞める勇気も意志もない私としては,「残り100箱」から節煙をスタートして,その100箱が尽きる前に,今とは別の状態に落ち着きたいと考えておりました。というわけで,すでにインテーク前に,せっせと100箱を買い揃える行動を始めておりました(よくわからないのですが,カートン買いはしたくないのですね。自販機とかコンビニでふだんなら1つ2つ買うところを,3つ4つ購入して,せっせとためておりました)。思えばおそらく,インテーク時に主訴をセラピストに述べるとき,「すでにそれなりにやる気になっている。その証拠として,『100箱プラン』というのが自分にあり,そのための行動をすでに起こしているのですよ」と,セラピストにアピールしたかったのでしょう。

というわけで,認知的には自問自答,行動的には100箱の溜め込みをすでに開始した時点で,4月15日のインテーク面接の日を迎えたのでした。(つづく)

(書いていて馬鹿馬鹿しいような,「こんなことブログに書いちゃっていいのだろうか」と恥ずかしいような気持ちになってきましたが,これも一種の「エクスポージャー」と考え,とりあえず書き続けます。・・・ああ,恥ずかし)

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2006年4月18日 (火)

CBTのクライアントになることになりました!

  これまで当ブログの記事を書くにあたり,ワードで一度文書を作成し,それを貼り付けていたのですが,その作業自体が結構面倒くさくなり,更新を先延ばしにしていた側面がありました。(研究者(の端くれ)の性なのか,本来は強迫的な人間では全くないのですが,「文書やデータの管理だけは,出来る限りちゃんとしておかないと,後で面倒くさいことになる」というビリーフに基づき,そうしていました) が,しかし,「本ブログを自分用の備忘録に使うのであれば,そんな面倒なことをしなくてもよいのではないか」という,まことに自分に都合のよい「適応的思考」をでっちあげ,そういう文書管理いっさいなしに,今日から直接書き込むことにしました。というわけで,系統立てて記事をアップしていく,というこれまでの野望(?)はいっさいチャラにして,そのときどきの思いつきで,何とか当ブログの存続を図ろうと思います。(当ブログが存続しなくても,誰にとっても何の支障もないのですが,CBTについて好きなことを書き散らす場を,自分のためにとりあえず残しておきたいという気はします)

  というわけで,やっと本題なのですが,私自身がCBTを受ける立場,すなわちクライアントになるという,面白い企画が始まったので,これについては随時,当ブログで報告することにいたします。

私が運営する,とあるCBT専門機関では,月に1度,スタッフが勢揃いする内部研修会を実施しています。今年度の通年テーマとして,スタッフ同士でペアを作り,1年間かけて,セラピストとクライアントをお互いにやりあう「試行CBT]というのを実施することになりました。

  これはあるイベントの後の飲み会でアイディアが出たもので,コンセプトとしては,「精神分析には教育分析があるのなら,認知行動療法でもそれに該当する研修があってもよいのではないか」というものでした。しかし症状や問題に焦点をあてるCBTの場合,いわゆる「主訴」がないと始まりません。そこで「果たしてみんな,主訴はあるのかな?」という話になったところ,それが出してみれば,皆それぞれ,大なり小なり「主訴」と呼べるものが結構あったのです。というわけで,「だったらせっかくの機会だし,面白そうだから,研修会を使って試行CBTを皆でやってみよう!」という話になり,やっと実現までこぎつけたのでした。そしてあみだくじで,スタッフ同士ペアを組み,先日めでたく,「試行CBT」初回面接が実現したのでした。

  これまでCBTのトレーニングの一環として,小さなロールプレイは体験したことがありましたが,継続的にクライアントとしてCBTを受けるのは初めてです。このような貴重な体験をすることはめったにないことだと思いますので,今後,当ブログでは,私の「クライアントとしてのCBT体験」を,断続的に紹介していきたいと思います。

  で,先日,「初回面接」がありました。これは「インテーク面接」扱いのセッションです。たった15分間でしたが,得るところがしっかりありました。これについては後日,別記事を書くとして,とりあえず,今回の試行CBTにおける私の「主訴」だけ今日は紹介しておきたいと思います。(あ,いちおう,私とペアを組んだ相方さんからは,この件を当ブログに紹介する承諾は得ております。クライアントがセラピストに承諾を得る,というのもなかなか面白いものですね)

  私の主訴は 「禁煙」です。

  以上!(笑)

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2006年3月30日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその13:EBMの理念を現場の臨床家はどのように目指すか?

  EBM(エビデンスに基づく医療)が提唱されて久しいですが,臨床心理学の領域でも,その後を追うように,「エビデンスに基づく臨床心理学」が提唱され,エビデンス重視の議論が活発になされるようになってきています。

  そもそも私が認知行動療法(CBT)を志すことに決めたのも,CBTが当初から治療効果研究を積極的に行い,そのデータを公表しているという実証主義に共鳴したのが大きな要因の一つでした。現在もCBTは,各障害におけるモデルを構築する際にも,各技法の効果を検証する際にも,実証的研究によるデータを重視し,データとモデルとの相互作用を積極的に追求しています。私自身,臨床実践と基礎的実証研究のインタフェースは最も興味のある領域であり,いつになったらまとめられるかわかりませんが,現場での臨床活動と並行して,実証データも少しずつ蓄積しております。(もうちょっと言えば,CBTそのものが,「実証的協同主義」と呼ばれるプロセスをたどるわけで,そういう意味ではCBTの一つ一つのケースそのものが,エビデンス・ベーストの実現を目指すものなのですが,この件はまた後日)。

  が,現場で臨床を実践している者からすると,鬼の首でも取ったかのように,「EBM!」「エビデンス!」とあまりにも連呼されるような場に遭遇すると(そんな場面は,特に日本の臨床心理学領域では,かなり例外的なのかもしれませんが),少々違和感を覚えます。RCT(無作為割付比較試験)が実施できる対象疾患や現象はごく限られたものであり,そのような研究から報告されるデータは,エビデンスとしては強いかもしれませんが,実際に目の前でお会いするクライアントさんは,それぞれ非常に個別的な存在であり,まずは目の前に生身で存在するクライアントさんを,CBT的な視点から全体的に理解し(すなわち,全体像をしっかりとアセスメントする),そのアセスメント結果に基づいてどのような技法を適用するか,当のクライアントさんと相談しながら計画を立てていくことのほうが,確率論的な手法によって報告されているエビデンスを適用することより重要だと思うからです。

  とはいえ,今はクライアントさん自身が,エビデンスを求めます。もうちょっと正確に書くと,「エビデンスに基づく心理臨床サービスを求めるクライアントさんが増えている」ということになりましょうか。そしてそのようなニーズはもっともなことだと思います。仮に私が何らかの病気にかかって治療を受けるとするならば,やはりエビデンスを知って参考にしたいと思うに違いありませんから。が,逆に今自分が臨床家として,世界中で量産されている文献,およびその文献を検索するシステムを駆使する力が自分にあるかと問われたら,「ありません。すみません」と謝るしかありません。現場の臨床活動によって日々の糧を得ている人が,そのような時間とエネルギーとシステムを持つことは,相当に困難だと思います(ちょっと,言い訳っぽい?)。

  ではどうすればよいのかといえば,第一の代替案としては,やはり第一線で活躍するエキスパートがいるところに出かけていくことだと思います(CBTの場合,エキスパートはエビデンス情報を豊富に持っていたり,エキスパート自身がエビデンスをつくる側におられることが普通ですので,エビデンスとエキスパートは対立概念になりません)。具体的には学会や研究会やワークショップということになりましょうか。私ができるだけ時間を割いて専門分野の学会や研究会に出かけていくのは,その時々のテーマに興味があるというのもありますが,やはりエキスパートが入手している生の情報や,それに対するエキスパート個人の率直な考えを直接聞きたい,という動機が大きいです。エキスパートによる有益な情報や考えをひとつでも聞くことができれば,それは明日からの臨床に,それこそエビデンスとして活かすことができます。昨年12月の日本認知療法学会に参加した際も,本当の意味でのエキスパートが多数参加する学会の役割と効用について,しみじみと実感することができました。

  というわけで,エビデンス・ベーストを目指す臨床家の皆さんは,データベースから入手するエビデンスも大事ですが,そのような機会がなかなか持てない場合,学会や研究会やワークショップのなかでも,特にその道のエキスパートと直接対話できそうな機会をみつけて,研鑽を積んでいきましょう。

またCBTを求めるクライアントさんには,そのような努力をたゆまず継続しているセラピストを見つけていただきたいと思います。どうやって見つけるかといえば,上記のような研鑽を積んでいるか否かを,直接セラピストに尋ねればよいのだと思います。そのような質問はユーザー側が当然してよい質問ですから,遠慮なく尋ねればよいのです。なぜこのように書くのかといいますと,「認知行動療法が出来ます!」と自己申告しているセラピストが最近急増しているようで,このような現状を少々危惧しているからです。きちんとCBTを実施できる人とできない人との差は,上記のような努力をしている人としていない人との差でもあるのではないかと思いますので(それだけじゃないとは思いますが),そのことが,ユーザー側のセラピスト選択のひとつの「エビデンス」になるのではないかと私は考えています。

●今日のまとめの一言: EBMならぬエビデンスに基づく臨床心理学を現場の臨床家が実践するには,現場や研究において第一線で活躍するエキスパートと継続的に顔を合わせる機会をもつことである。

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2006年3月22日 (水)

今日のストレスコーピング(8):たわいないおしゃべりを楽しむ

今日は休日にもかかわらず,どうしてもまとまった時間を確保して取り組みたい仕事があり,日中職場に出かけました(WBC日本対キューバ戦に後ろ髪をひかれつつ・・・)。

せっかくこのように休日の時間を使って,あるケースについてこれまでの記録を引っ張り出して,今までのデータをまとめる作業を始めたのですが,これがあんまり進まず(さらに途中でワードが暴走しはじめ,タイムロス),「あーあ。今日は何だったんだろう? せっかくの休みだったのに無駄にしてしまった。いつどのようにこの作業をすれば何とかなるんだろうか・・・その時間をいったいどこからひねり出せばいいんだろう?・・・」といった,低調気味の自動思考連発で,暗い気分で帰宅しました。自宅に帰ると夫が会社の人たちを呼んでのホームパーティをしていて,私もそれに参加することになりました(当たり前か)。

それが面白かったんですよ! 何が面白かったって,ただひたすらおしゃべりすることが。アジェンダ(内容)は,すべて他愛もない話ばかりです。が,そんな他愛もない話を,アルコールを入れつつ,美味しいものを食べつつ,延々と話しているうちに,さきほどの暗い気分などはふっとび,「まあ,結構大変だけど,明日からまた気を取り直して頑張ればいいじゃん!」と自然に認知が変わっていました。

これまでの自分のたいしたことのない経験からも,ある空間,ある構造のなかで,他愛ないことについておしゃべりすることは,その直前まで「もうだめ」と思いつめていた心理状態を吹き飛ばしてくれるような気がします。

今日はたまたまのパーティでしたが,そのような場を定期的に持っている人は,安定したストレスコーピングを有しているわけで,さぞかしそれが有効に機能しているだろうと推察されます。そしてそれは,11の認知行動療法(CBT)による援助を受けることよりも,よほど生活文脈に沿った形で,むしろCBT的な援助を無意識的に得られていることが多いと思うのです。(浦河べてるの家の素晴らしさは,日常生活的にそのような場を濃密に,かつ構造的に提供していることだと思います)

というわけで,自分自身,楽しいおしゃべりの機会を増やしたいと改めて思いましたし,「CBT的機能を有するおしゃべりとは,どんなおしゃべりか」というテーマについて,自分も人とおしゃべりしつつ,ちょっとずつ考えていきたいと思います。

●今日のまとめの一言: ある構造,空間のなかで,気の置けない人たちとお気楽に交わすおしゃべりほど,ストレスコーピングとして効果的なものはない。そんなおしゃべりのできる場を一つでも二つでも確保することのほうが,有能なCBTセラピストを見つけるより,よほどCBT的な手助けを受けられる可能性が高い場合もある。

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2006年3月12日 (日)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その12:注意の転換 技法⑥

●自己注目することによるデメリット

  よく「自分をよく見つめましょう」とか「自分探しをしよう」などと,それがあたかも素晴らしいことように言われることがありますが,本当にそうなんでしょうか? ここでは自分に注意を向けることを「自己注目」と呼びますが(社会心理学の用語です),場合によっては自己注目は役に立つどころか,むしろその人の適応を妨げることが,諸研究によって明らかにされています。

  パターン①:その一つの例が,自分についての「反すう」です。「なぜあのとき自分はあんなことを言ってしまったんだろう」「どうして自分はいつもこうなんだろう」「私はダメな人間だ」「どうせ私は何をやってもだめなんだ」「どうして私は皆から好かれないんだろう」「自分はこれからどうやって生きていけばいいんだろう」・・・のように,自分のことについてネガティブなことばかりを考え続けていると,気分がますます悪くなることは,容易に想像がつきますね。自分のネガティブな面に注目し,それを考え続けるといった自己注目のあり方は,抑うつ的な人によく見られる思考パターンです。心理療法を受けに来られる方には,このような思考パターンを有する人が多くいらっしゃいます。

  パターン②:もう一つの例が,他者とのコミュニケーションの場で,「自分は相手からどう思われているのか」「自分が緊張していることが,相手にばれてしまったのではないか」「自分は相手に嫌な思いを与えているのではないか」「(自分が)相手に嫌われたらどうしよう」「(自分は)相手から嫌われてしまったのではないか」・・・のように,“相手にとって自分はどうであるか”という形で,自分にばかり注目してしまう思考パターンです。こんなふうに自己注目しながら,相手と話したり,人間関係を保ったりするのは,とてもしんどいことでしょう。心理療法を受けに来られる方には,このような自己注目のパターンをお持ちの人も多くいらっしゃいます。

  パターン①にせよパターン②にせよ,注意を自分に向け続けることで,さらに自分自身が苦しむ結果となっていることが,おわかりいただけるかと思います。そこで必要になってくるのが,そのような自己注目のパターンを変えること,すなわち自分以外のことに注目するように意図的に心がけることです。これが“注意の転換”です。

●【注意の転換】

  注意の転換は,意図すれば誰にでもできます。転換する対象は何でもかまいません。具体例を挙げましょう。

小さな気晴らしを,念入りに行う。例:丁寧にお茶をいれて飲む。お風呂に入って入念にシャンプーする。ひとかけらのチョコレートを大事に味わう。目をつぶって好きな音楽を堪能する。ひいひい言いながら,辛いものを食べる。

単純作業に没頭する。例:靴を磨く。皿洗いをする。野菜を切る。洗濯物をたたむ。プチプチ(クッキーの缶などに入っているシート)を1個ずつつぶす。ハサミを使って,いらない紙をできるだけ細かく切る。アイロンをかける。洗ったハンカチをアイロンを使わずできるだけきれいに畳む。

少しだけ頭を使う作業をする。例:ひとりしりとり。計算(1007939378686779・・・というように,ある一定の規則に沿った計算を頭のなかで行う,あるいは紙に書いて行う)。「あ」で始まる単語をできるかぎり案出する。

視覚的作業を行う。例:周囲を見渡して「赤い」ものをできる限り見つけ出す。周囲を見渡して「四角い」ものをできる限り見つけ出す。

  他にもありますが,このぐらいにしておきます。要するに,目の前の,あるいは頭の中の,小さな作業に注意を向けて,その注意を維持するということが重要です。何かものすごいことをする必要はないのです。人が一度に使える注意の用量は決まっていますので,とりあえずそれを自分ではなく,別の小さなことに向け続ければ,ネガティブな自己注目の悪循環から脱け出すことができるのです。

●コミュニケーションしている間の【注意の転換】

  他人と話している最中に,ネガティブな自己注目が起きてしまった場合は,上述の対処法は使いづらいですね。その場合にできることを,これも簡単に紹介します。

相手の容姿を点検する

相手の声を点検する

相手の表情を点検する

話題に注意を向ける

場(状況)に注意を向ける

  要するに,「自分がどう見られているか」,「相手にとって自分はどうか」ということばかりに注目するのではなく,相手や話題や場(状況)に注意を分散させるということです。気分よく自然に対話しているときには,このような分散が努力しなくてもできているのです。が,他者と話しているときに自分に注目しすぎてしまうパターンが身についてしまった人は,多くの人が普通にできている注意の分散を,あえて意図的に行う必要があります。慣れてくれば,自己注目ばかりして肝心の話題にも集中できなかった自分が,ずっと楽な気持ちで他人と対話できることを発見できるでしょう。

●今日のまとめの一言:ネガティブな自己注目のパターンによって,つらい思いをすることが多い人は,自己注目に気づいたら,注目の方向を自分以外の対象に転換してみよう。注意の転換を意図的に繰り返しているうちに,結果的にネガティブな自己注目パターンも緩和されるだろう。

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2006年2月28日 (火)

【認知療法・認知行動療法】コラムその12:モラルハラスメントにCBTはどう役立つことができるか?

  先週の金曜日,東大で開催された「職場のハラスメントをなくすために」という国際シンポジウムを聴きに行きました。主催者の一人は,過労自殺裁判で有名な川人博弁護士であり,第1部の講演者は,『モラルハラスメントが人も会社もダメにする』(紀伊国屋書店,2003年)の著者であるマリー=フランス・イルゴイエンヌ氏(フランス人の精神科医)でした。イルゴイエンヌ氏は,ある種の嫌がらせ(ハラスメント)に「モラルハラスメント」と命名し,多角度的にこの問題について論じているパイオニアでもあります。

  私は認知行動療法(CBT)を専門としておりますが,それと関連して,組織におけるハラスメントとその予防や解決についても大変興味を持っており(ボチボチ研究も始めてます),このシンポジウムは前から非常に楽しみにしてました。雨の中,他の仕事をほっぽりだして駆けつけましたが,行ってよかったです。

  主な収穫は2つです。

①私がボチボチ仲間と研究を始めている「職場における自己愛性パーソナリティ傾向をもつ上司によって苦しめられる部下」という現象が,イルゴイエンヌ氏の定義するモラルハラスメントの一部と見なせることがわかったこと。

②特に欧米諸国で整備されつつあるモラルハラスメントに関する法律の成立過程がよく理解できたこと。

  ①については本記事では省略します。②については,こういうことでした。まずイルゴイエンヌ氏のような現場の臨床家が,被害者の診察を続けるうちにモラルハラスメントという現象に気づき,それに名前(まさに「モラルハラスメント」という名前をです)をつけ,世間に問いました。するとモラルハラスメントの被害者たちが,「自分が体験したことはまさにモラルハラスメントだったのだ」と気づき,被害者団体を作ったそうなのです。被害者団体は次第に力を持ち,モラルハラスメントを法制化して加害者を取り締まるよう,政治に働きかけました。その力がだんだん増大し,最終的には罰則つきの法律が制定されました。

  イルゴイエンヌ氏は,自分のしていることがモラルハラスメントであると気づけないような人は,結局法律で罰するしかない,とおっしゃっていました。それは事実だと思います(モラルハラスメントだと気づけるような人は,そういうことはそもそもしないでしょうから)。とすると,やはり法律を作っていくという現実的なパワーをどう形成するか,という非常に現実的な問いが必要になると思います。

CBTはこういう視点をともすれば忘れがちです。が,個人の認知や行動に焦点を当てると同時に,苦しんでいる人の環境的ストレッサーそのものに焦点を当てるという視点を,常に保つよう意識しつづける必要があるかと思います。「認知の歪み」を修正することも時には必要かもしれませんが(個人的には「認知の歪み」という言葉は好みませんし,使いません),その前に,その人はどのような環境で,どのような他者とのかかわりで,どのようにその認知が生じたのか,ということをまず検討するべきだと思うのです。

  最近とくに強くそのように感じます。そう思うと,古典的な行動科学の概念である「刺激-反応」理論が,やけに新鮮に思われてくるから不思議です。

●今日のまとめの一言: CBTの基本モデルの出発点は,あくまでも「環境(状況,社会的関係など)」である。苦しんでいる個人の認知や行動の変容に焦点を当てる前に,苦しんでいる個人を取り巻く環境的ストレッサーに,まず目を向ける必要がある。

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2006年2月 3日 (金)

【認知療法・認知行動療法】コラムその11:対話によって行われる認知の再構成

  新年に入り,「備忘録的に当ブログを使うということで,更新頑張ります」などと書きましたが,全然滞ってます(笑)。しかし私がブログを更新しないからといって,誰かに迷惑をかけるわけではないので,こういうときは「なかったことにする」というコーピングを用いて,ブログそのものの存在を「なかったことに」していたのでした。「やってもやらなくても誰にも迷惑をかけない」事象が滞っているとき,この「なかったことにする」というコーピングは強力です。類似のコーピングとして,部屋の片隅にたまっている埃の山を「見なかったことにする」というのがあります(笑)。

  さて,更新が滞っている理由の一つに,ある翻訳の仕事が進まずに,毎晩苦しんでいるというのがあります。こちらはさすがに「なかったことにする」わけにはいかないので,進まないながらも毎晩帰宅してから寝る直前まで頑張るのですが,おそろしいほど進まない。その「おそろしいほど翻訳の仕事が進まない」という状況に対して,さまざまなネガティブな自動思考が生じるのです。

  それを超シンプルな認知再構成法の図式に当てはめるとこうなります。

【状況】おそろしいほど,翻訳の仕事が進まない

【自動思考】「英語が得意なわけでもないのに,翻訳の仕事なんか引き受けた自分が馬鹿だった」「なんでこんなに遅々として進まないのだろう。よほど私はこの仕事が向いていないに違いない」

【気分】憂うつ,自己嫌悪

【行動】ぐずぐずしながらも,何とか作業を続ける。「もうやりたくない!」と駄々をこねる。

  というわけで,この数ヶ月間,苦しみながら亀の歩みよりももっとのろのろと仕事を続けてきていたのですが,先日,私が非常に尊敬しているCBTの大先生と,ある食事会で隣り合わせに座る機会がありました。その先生(仮にA先生としておきます)が,本来お好きなお酒をあまり召し上がらないので,「どうしたのですか?」とお聞きしたところ,「最近,翻訳の仕事に苦しんでおり,先日とうとう消化器の検査を受けた」とおっしゃるのです。その後,“翻訳の苦しみ”についてA先生と大いに盛り上がったのですが,A先生とこの話をした後,私の認知は劇的に変わりました。

【状況】おそろしいほど,翻訳の仕事が進まない

【新たな思考】「A先生だって胃に穴があくほどなんだから,翻訳仕事というのは大変なんだ」「A先生だってあんなに苦しむと言うのだから,私ごときがスイスイと翻訳を進められるわけではないのだ」「A先生だって何度もやり直しするというのだから,私ごときが何度もやり直しするといのは当然のことなんだ」

【気分】軽いあきらめ

【行動】ぐずぐずしながらも,何とか作業を続ける

  A先生と話をしたことで,翻訳に対する私の認知が自然発生的に再構成されたのです。「おそろしいほど仕事が進まない」という状況や,「ぐずぐずしながらも,何とか作業を続ける」という行動は,全く変わりありませんが,新たに再構成された認知のもとで,さほど憂うつ感や自己嫌悪を感じることなく,軽いあきらめ程度の気分で,毎晩作業ができるようになったのです。

  認知再構成法は,別名「コラム法」と呼ばれるぐらい,表などのツールを使って行うもの,と考えられておりますが,やはり基本は対話なのだと,今回の自分の体験を通して再確認しました。表を使ってシコシコと書き込んでいくのも,それはそれで効果的だったり,楽しかったりするときもありますが,やはり誰かと対話をするなかで,新たな認知が再構成されるという流れのほうが自然ですし,効果的だと思います。そもそもそれが多くの健康な方々が無意識的に実施している認知再構成法だと思うのです。

●今日のまとめの一言: ツールを使ってシコシコと作業するだけが認知再構成法ではない。人と対話する中で,おのずと認知が再構成されるような流れが自然だし,効果的である。

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2006年1月13日 (金)

【認知療法・認知行動療法】コラムその10:モデルとして機能するセラピストだといいんだけど・・・

  前回に引き続き,スポーツクラブのネタを。

  私はエアロビクスのレッスンに出るのが大好きなんですが,インストラクターにも様々な人がおられまして,いろいろと考えさせられることがあります。

  よく感じるのは,「『こうなりたい!』と思わせてくれるようなインストラクターがいいな」ということです。動き(踊り)の組み立て,キュー(手がかり/プロンプト)の出し方,1回のレッスンの構成といった技術的な上手い下手はもちろん重要ですが,インストラクター自身の魅力といいますか,インストラクターが発するエネルギーといいますが,うまく言えないのですが,とにかく,「素敵だな。この人のレッスンに出ていると,この人みたいになれるのかな」と思わせてくれるようなインストラクターは魅力的です。(「この人みたいになろう」と本気で追求するということではなく,「この人が体現しているようなあり方を,私も自分の領域で実現したい」と思わせてくれる,ということです。うまく表現できないけれど)

  逆の例を出せば,エアロビクスのインストラクターにも,インストラクターという仕事や我々参加者をなめてかかっているような人がたまにいますし,あるいは見るからに活力のない不健康そうな人がたまにいて,そういう人のレッスンって本当に説得力に欠けるのです。そういう人のレッスンに出ると,むしろ心身のエネルギーが奪われるというか,ダレてしまいそうな気がして,かえってストレスが溜まったりします。

  我々の仕事であるセラピーも似たようなものだと思います。セラピーをする張本人(セラピスト)が,見るからに不健康だったり不機嫌だったりストレスにやられているようであったりするのは,やはりクライアントさんに対して説得力に欠けると思うのです。まあそれはエアロビクスやサイコセラピーに関わらず,「計算ができなさそうな算盤の先生」「歩き方がおかしいウォーキングの先生」「電車が大嫌いなように思われる電車の運転士」「動物を憎んでいそうな動物園の職員」・・・というように,考え出せばいくらでも例が挙げられそうですが。

  ぐちゃぐちゃ書きましたが言いたいことは,サイコセラピストは,なかでも特に「セルフマネジメントを重視するCBTのセラピスト」は,やはりセルフマネジメントをしっかりやって,「ああ,CBTを実践すると,この程度には元気に生きられるんだなあ」とクライアントさんに思ってもらえるようなモデルであるべき,もとい,少なくとも私はそのようなモデルとして機能したいと思います。

  ただ,あまり完璧なモデルである必要はないと思います(どっちみち,私には無理ですが)。「誰だって生きていればいろいろあって大変だけど,自分でちょっと工夫すれば,何とか,そこそこ,ほどほどに,ぶっ倒れない程度には,自分の心身の状態を保てるんだな」ということを,ある程度の説得力をもって示せるようなモデルであるぐらいがちょうどいいのではないかと思います。また,CBTの考え方や技法を使って,その程度には自分のコンディションを保っていければいいなあ,とCBTのセラピストとしては考えています。

  以上の話は実は「セラピストの自己開示」にも関わってくることだと考えています。それについてはそれなりに書きたいことがありますので,また後日(例によっていつになるかは不明・・・笑),書いてみたいと考えております。

●今日のまとめの一言: CBTのセラピストは,ほどほどに心理的マネジメントが上手な“モデル”として機能するのが理想的!

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2006年1月 9日 (月)

【認知療法・認知行動療法】コラムその9:骨盤を立てる!肋骨を絞る!

  正月休みの間に,久々にスポーツクラブに行き,普段は参加したことのないプログラムにいくつか参加してみました。そのうちの一つに“マットコア”というレッスンがありまして,これは身体のコア(中心部,深遠部)を引き締めるためのレッスンで,具体的に言うと,マットに横になって,横隔膜を使った腹式呼吸に合わせて腹筋の深部をギリギリと締め上げるために,ゆったりとした動きを繰り返す,というものでした。

  初体験のレッスンはどれも新鮮で楽しいものですが,今回参加したレッスンは,インストラクターの教示が非常にわかりやすく,リラックスとはどういうことか,ということを改めて認識させてもらいました。

  もともと私は身体に興味があり,認知行動療法(CBT)でもリラクセーション法を多用することから,リラクセーションに関するトレーニングは,様々なワークショップに参加するなどして積んできてはいるつもりです。が,こうやって新たなレッスンに参加するたびに,また新たな気づきが得られ,とても嬉しいものです。今回のマットコアのレッスンで一番面白かったのは,「骨盤を立てる」「肋骨を絞る」というワークでした。寝そべっていても,マットに胡坐をかいていても,とにかく骨盤をまっすぐに立て,その上で肋骨を絞るように横隔膜近辺の筋肉を内側に収縮させることで,「身体が立っている」という感じをしっかりと得られます。すると特にリラクセーションを意識しなくても,身体の他の部分,特に肩や腕や背中のあたりが気持ちよく脱力するのです。

  リラクセーションを学び,臨床で実践し始めてしばらくして,私が一番疑問を抱いたのは,「“リラックス=脱力”といえども,身体そのものが“しっかり”していなくては,脱力できないのではないか」ということでした。さらにクライアントさんと腹式呼吸法や筋弛緩法を一緒に練習しているうちに,もともとの身体がしっかりしている人は脱力が上手ですが,そうでない人はなかなか上手に力を抜けないことに気づきました。それは自分自身の身体のことを振り返ってみてもそう思います。運動をさぼっていて,たるんだ身体をしているときは,リラクセーションもへたくそだったように思われます。体幹部のトレーニングを再開し,体をしっかりと縦に立てることが再び意識的にできるようになった後のほうが,上手にリラックスできるようになったように思います。

  というわけで,リラクセーション法をより効果的に練習するために,脱力の前に“体幹部をしっかりと立てる”ことに興味を抱くようになってから,すでに何年も経っているのですが,今回,マットコアのインストラクターに,実習と共に言葉で「骨盤を立てる」「肋骨を絞る」という表現を教わり,さらに一つ,何かをつかめたような気がしました。

  といっても「つかめたような気がする」という程度ですので,今後まずは自分の身体を使って,「骨盤を立てる」「肋骨を絞る」ということがどういうことなのか,どのようにすればそれがうまくできるのか,という点を,日々練習してみたいと思います。その練習によってさらに何かをつかみ,CBTにおいてクライアントさんとリラクセーション法を一緒に練習する際に,より効果的なものを還元できるといいなと思います。

  ちなみに「身体をしっかりと縦に立てる」というのは,臨床動作法における知見でもあると思います。が,いかんせん動作法については,私自身あまりきちんと勉強しておらず,できれば一度,みっちりとトレーニングを受けてみたいとも考えております。

●今日のまとめの一言: コアな部分をしっかりさせてこそ,人はリラックスすることができる(のではないか)。

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2006年1月 3日 (火)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その8:2006年 年明けのご挨拶

  新年あけましておめでごとうございます。

  昨年中盤にこのブログを開設しまして,当初はなかなかいいペースで新記事をアップしていたのですが,途中から完全に息切れ状態となり,今に至っております。年が変わって「よし,今年は気を取り直してどんどん新しい記事を掲載します」と宣言したいところですが,溜まりに溜まっている仕事のことを考えるとそうもいかず,スローペースでボチボチと更新していくというあたりを,現実的な目標としたいと思います。

  ただ,ちょっとここらで方針を転換することにします。

  ブログ開設時は,一つ一つの記事を,認知療法・認知行動療法(CBT)やストレスコーピングの読み物として,それなりに完成度の高いものを書き上げてからアップするというつもりでおりましたが,そういう高い目標を自分に課す限り,なかなか更新できないという状況になりましたので,もうちょっと気楽に,自分のためにCBTに関する備忘録を作るぐらいのつもりで更新していこうと思います。そのぐらいのつもりのほうが,むしろ本音をちゃちゃっと書けて良いのかもしれません。

  というわけで,今年は「CBTとストレスコーピングに関する備忘録」というテーマで適当に書いていくことにいたしますが,気軽にコメント等頂戴できますと嬉しいです。

当ブログを離れて考えると,自分自身の今年のテーマは,第1に,「溜まっている仕事を今年中にしっかりと終わらせる」です。特に翻訳関係が,ひどいことになっておりまして・・・。関係者の皆様,本当に申し訳ございません。全て,何とか2006年中にケリをつけたいと思います。もとい,ケリをつけます。つけますとも・・・!

  2に,いくつかの学会で今年も発表その他を企画しておりまして,それはそれで最善を尽くすとして,特に某学会で予定しております「べてるとCBTに関する企画」を成功させることです。

  3に,昨年はちょっと働きすぎましたので,今年はもう少しスケジュールをゆるやかなものにして,それを維持したいと思います。臨床や研究の仕事に限らず,仕事というのは,「達成する」ことも重要ですが,「維持する・継続する」ことも重要だと思います3年間死ぬ気で頑張って何かを達成するよりも,めりはりをつけながら,ときにはさぼりながら,30年間仕事を続けることのほうが,職業人としてはむしろ価値のあることなのではないかと思うのです。そもそも「価値」とか何とか言っている前に,生活するための収入を維持する必要がありますし・・・。というわけで,心身の健康を損ねては元も子もないので,とにかく今年は,できるだけ良い仕事を長く続けるための最適のペースを身につけたいと考えております。

  以上,年明け早々,だらだらとした文章になってしまいましたが,まあとにかく,今年もCBTやストレスコーピングについて大いに学び,研究し,仲間と語り合い,臨床現場で実践し,多くの方々と共有できるような活動を目指しますので,どうぞよろしくお願いいたします。

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2005年12月29日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その7:第5回日本認知療法学会印象記②

前回の印象記のつづきです。

 “第三世代”のCBTについての話がちらほらと・・・最近,“マインドフルネス”と“アクセプタンス”といった,いわゆる“第三世代CBT”の話を聞くことが多くなりましたが,当大会でもそういった発表がちらほらとありました。第三世代CBTそのものについて,私自身いろいろと考えるところがあり,これはまた別記事にてぜひ書きたいと思っておりますが,第三世代CBTに共通して見受けられるのは,Beckの認知療法が基礎心理学ともリンクしてその幅を広げていることを,あえて「なかったこと」にしているような感じがするということです。とはいえ,第三世代CBTのそれぞれの立場やアプローチで指摘していることは,どれもとても重要なことで,これまでのCBTが強調し損ねてきた側面でもあると思いますので,それを「新たなCBT」という見せ方をするか,「これまでのCBTの再統合」という形でまとめていくのか,そういう分岐点に来ているように思われました。

Beckの認知療法についての誤解もちらほらと・・・上記のとおり,CBTそのものの幅の広がりをきちっと認識し,研究や臨床に生かしている専門家と,Beckの認知療法,というよりBeckが構築した認知再構成法という技法のみを「認知療法」とみなしてしまっている専門家(あえて私はそれを「誤解」を呼びたい)と,やはり混在しているように見受けられました。専門学会においてすらこのような状況ですから,そうでないサイコロジストや医師の間に,このような誤解が根強くあるのは当然といえば当然かもしれません。私としては,まずこちらの誤解を正常化した上で,上記「第三世代」問題に手をつけたいと思っていますが,そうなるともう一度お父さんBeckの文献を読み返す必要があり,「そんな時間はない!」という強力な自動思考が即座に頭に浮かぶのでした(笑)。

このあたりの記事は,以下を参照していただけると幸いです。

http://cbt.cocolog-nifty.com/coping/2005/05/index.html

【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法①

【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法②】

(ナンバリングがちょっと変ですが・・・)

 復職支援のプログラムについてのセッションがあった!・・・EAPなどの復職支援プログラムにおいてCBTを活かそうという動きが盛んですが,そのような発表だけで5つもあり,1つのセッションが組まれていました。これは当学会では初めてのことで,CBTの広がりが医療だけでなく産業場面にも確実に広がっていることを参加者に印象付けたことだと思います。

 疾患毎のプログラム作成と,幅広い対象への一般プログラム作成の両面が必要・・・というわけで,今回の学会に限って考えたことではありませんが,この大会に参加して改めて感じたのは,①医療領域,とくに精神科領域において,CBTが高度に専門化していく傾向,②医療領域以外のたとえば産業領域,学校領域,開業領域などにおいて,CBTが幅広くそして柔軟に適用されていく傾向,の二方向に向かう傾向が,今後も伸びていくだろうということです。後者の傾向は,多くのユーザーにCBTを役立ててもらうためには非常に重要なことで,多領域においてCBTを実践できるサイコロジストが増えていくことを私は願っております。そのためにはトレーニングの機会が増えることがとにかく必要で,そこが現時点での大きな泣き所でもあるのですが・・・。ま,悲観的にならず,現状を見据えて,私自身,出来る範囲で来年も頑張っていこうかと考えております。

  ちなみに来年の認知療法学会は107月~9日に東大の駒場キャンパスで開催されます。上記のトレーニングの機会を幅広く提供するため,ワークショップのプログラムをこれまでよりも充実させるという計画が立てられているようです。ぜひ多くの対人援助職の方々に参加していただき,いろいろと議論ができるといいなあ,と思っています。

2006年の第6回日本認知療法学会につきましては,よろしければ下記ウェブサイトをご参照ください。

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tanno/

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2005年12月15日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その6:第5回日本認知療法学会印象記①

  このブログを始めた頃は,今年後半がここまで忙しくなるとは予想できず,たま~にしか更新できなくなってしまいました。最初は「更新しなくちゃな~」とストレスを感じていたのですが,徐々に自分がブログをやっていることを忘れるようになり,ほとんど「なかったことにしている」状態です。ちなみに,「なかったことにする」というのも,場合によっては効果的なストレスコーピングです(自己弁護)。

  さて名古屋で開催された日本認知療法学会の第5回大会に参加してきました。思いつくままに感想を述べます。

 ニューロイメージング研究の面白さに目覚めた!・・・私がこの方面の研究をすることはありえませんが(できない),ニューロイメージング(脳神経画像)から精神疾患における諸現象をとらえたり,CBTによる変化をとらえたりするといったシンポジウムを聴き,ワクワクしてしまいました。特にCBTの再発予防効果が,ニューロイメージング研究によって検討可能であることを知り,CBTに対して心理学的説明ではない別の説明がありうるんだということがわかって非常に興味深かったです。それにしても演者の先生方からポンポン出てくる脳の各部位の名称からして,私には「???」ということが多く,これではいかんと思いました。最先端の情報を入手するまではいかないにしろ,このような学会で講演を聴くときに,用語でつまずかずに済む程度には勉強しておかなければと思ったのでした。

 小規模学会の良さを改めて感じた・・・小規模と言っても,毎年会員も,学会参加者も増え,第12回頃に比べると「人が溢れている!」という感じではありますが,それでも各プログラムの最中や懇親会のときに,いろいろな人とフェイス・トゥ・フェイスで話せる雰囲気は今回も保たれていました。興味深い発表をした人にさらに発表について尋ねたい場合(そして興味深い発表が今年もいくつもありました),こういう雰囲気はとても貴重だと思います。今年も多くの方とあれやこれやと議論ができて,とてもうれしかったですし,刺激にもなりました。

(次回つづきを書きます)

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2005年11月17日 (木)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その10:曝露法(エクスポージャー) 技法⑤

  認知行動療法(CBT)についての記事を久しぶりに書きます。

●“心配思考”の問題点=安全確保のための回避

  俗に「心配性」とよく言われますが,心理療法やカウンセリングを受けに来る人には,自分自身の不安や心配に巻き込まれて,身動きが取れなくなってしまっている人が多くいらっしゃいます。過剰な不安や心配に陥っている人の思考の特徴は,「もし・・・だったらどうしよう」→「そうなったら,大変なことが起きるに違いない」というパターンがみられることです。

たとえば,混んだ電車内で少し息苦しくなったことに気づいたとします。普通なら,「あれ,ちょっと息苦しいな。嫌だな」と少し考えはするものの,自然に気がそれて,そのうちその息苦しさを忘れてしまうことが多いのですが,心配しすぎのAさんは,「もしこのまま息苦しさが続いたらどうしよう」→「そうなったら,息ができなくなって,呼吸困難で死んでしまうに違いない」と考えてしまうのです。

  または,人前で自己紹介をしなければならず,少し緊張したとします。普通なら,「ああ,自己紹介って緊張するから嫌だな」と少し考えはするものの,緊張しながらも何とか自己紹介を終えて,自己紹介時の緊張感については忘れてしまうことが多いのですが,心配しすぎのBさんは,「もし皆の前で自己紹介しているときに,緊張で声がうわずってしまったらどうしよう」→「そうなったら,自分が緊張していることが皆にバレて,皆から馬鹿にされてしまうに違いない」と考えてしまうのです。

  AさんもBさんも,「もし・・・だったらどうしよう」→「そうなったら,大変なことが起きるに違いない」という“心配思考”に巻き込まれています。この心配思考の問題点は,心配しすぎがその後の不適応(問題)を招く可能性が高いということです。たとえばAさんは,「息ができなくなって呼吸困難で死んでしまう」と,息苦しさについて心配しすぎたために,かえって不安緊張感が高まり,結果的に息苦しさがひどくなり,パニック発作を起こしてしまうかもしれません。その結果,今度はパニック発作を心配することによって,混んだ電車に乗れなくなってしまうかもしれません。またBさんは,「緊張して声がうわずったらどうしよう」と心配することでかえって不安緊張感が高まり,自分の声に気を取られながら自己紹介することになるでしょう。すると自分の声の小さな震えやうわずりに気づき,「ああやっぱり声がうわずった。皆に『気の小さい奴だ』と思われたに違いない」と確信し,皆とあまりしゃべったり目を合わせたりしないようにして,新しい人間関係を築くことを避けてしまうかもしれません。

つまりAさんは,自分の息苦しさを心配しすぎることによって,パニック発作を引き起こし,今度はパニック発作を心配しすぎることによって,電車に乗れないという問題に陥ってしまいましたし,Bさんは,自分の声のうわずりを心配しすぎることによって,新たな人間関係を築くチャンスをふいにしてしまったわけです。AさんとBさんに共通してみられる問題は,“安全を確保するための回避”です。Aさんは自分の身体の無事を確保するために電車を回避し,Bさんは皆から馬鹿されないという状況を確保するためにコミュニケーションを回避します。そしてこの“安全確保のための回避”によって,AさんもBさんも,かえって自分が不自由な思いをする羽目に陥ってしまうのです。

●【曝露法(エクスポージャー)】

  上で述べたように,AさんやBさんのような,過剰な“心配思考”に巻き込まれた結果,自分の安全を確保するために回避をしていて,その回避によって不自由な暮らしを余儀なくされている人は,どうしたらいいのでしょう? 素朴に考えると,選択肢は2つあるように思えます。1つ目は「心配をやめること」,2つ目は「回避をやめること」です。しかし実は1つ目の「心配をやめること」というのは落とし穴です。一見,心配さえしなければいいじゃないかという気がしますが,実はAさんもBさんも,心配をやめるために,安全確保を目指し,回避が起きているというのが真相なのです。認知行動モデルに関する基礎研究によって,「人は心配することをやめようとすればするほど,回避しつづけようとし,むしろそれがさらなる心配を生む」ということが明らかにされています。つまり上記の選択肢のうち,「心配をやめること」というのは,効果的でないどころか,もともとの心配をさらに強めてしまうという,おそろしい選択肢だったのです。

  ということは解決策はただ1つ,「心配することをやめようとせずに,回避をやめること」,すなわち「どんなに心配になっても,その心配を抱いたまま,これまで回避していた場所や場面に突入し,本来の目的を遂げること」です。これがCBTで言う曝露法(エクスポージャー)です。Aさんにとって必要な曝露法は,呼吸困難やパニック発作を心配しながら混んだ電車に乗ることであり,Bさんにとって必要な曝露法は,声がうわずったり馬鹿にされることを心配しながら皆と話をすることです。そして曝露法によるチャレンジを続けているうちに,結果的にAさんの心配もBさんの心配も軽減されていくことでしょう。言ってみれば曝露法とは,【あえて心配なままでいるうちに,気がついたら心配じゃなくなっていることを狙う逆説的な技法】であると言えましょう。「曝露」とは「さらす」という意味です。要は自分の心配を止めようとするのではなく,心配に自分のすべてを「さらしてしまえ!」という技法なのです。

●「心配→回避」の悪循環と,「曝露」のメカニズムを知ることが大事

  強迫性障害やパニック障害,社会不安障害といった,いわゆる「不安障害」に該当する障害には,この曝露法が非常に効果的であることが確かめられています。が,「言うは易し,行うは難し」で,実際に曝露法にチャレンジしてもらうためには,さまざまな臨床的工夫が必要になる場合が多くあります。しかしクライアントさんのなかには,こちらが「心配→回避」の悪循環と,「曝露」のメカニズムについて,丁寧にかつしっかりと説明するだけで(心理教育),すんなりと曝露法にチャレンジし,成果を上げることのできる人もけっこう多くいらっしゃいます。いずれにせよ曝露法を成功させるためには,自分の心配しすぎの悪循環をよく把握し,曝露のメカニズムを十分に理解するということが不可欠で,この記事が不安障害を抱えていらっしゃる人,およびそのような方を援助している人の参考になれば幸いです。(またいずれ機会があれば,もっと詳しく説明してみたいと考えています)

●今日のまとめの一言: 心配をやめるのではなく,心配な状態にあえて自分をさらし,今まで回避していた場所や場面にチャレンジするのが,CBTにおける【曝露法(エクスポージャー)】である。曝露法の効果を上げるためには,心配→回避による悪循環と曝露法のメカニズムについて,当事者が理解することが不可欠である。

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2005年10月31日 (月)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その5:とりあえず「発信」して,仲間を募る

  多くの方々がそうだと思いますが,私も自分の興味のある事柄については,自分自身でとことん調べ,エキスパートに教えを請い,その上で自分の乏しい脳味噌をふりしぼってとことん考え,自分なりのとりあえずの結論を出してみたいと切望しています。しかし興味のあることって,大抵常に複数ありますし,どれ一つとっても,ちょっと調べてみるだけでその背景に広大な研究や実践の歴史があることがわかってしまうわけで,根がしつこい私は,何もかもを徹底的に自ら調べ上げて,咀嚼したい衝動にかられるのですが,限りある人生,当然そうはいきませんよね。(「ね」って,誰に同意を求めているんだか・・・笑)。

  ここ数年,とくにこの23年の間,自分の中心的な専門分野でないテーマについて発言を求められることが増えており,最近あった学会でも,そのような機会がありまして,準備をしているときには,「どよーん」と重たい気分にとらわれることもあったのでした。「どうしてこんなに重たいんだろう」と自問してみたのですが,一番大きいのは,「まだまだ勉強や考察が足りてないのに,こんな中途半端なことを,人前でしゃべっちゃって(あるいは活字にしちゃって)いいんだろうか?」という“恐れを伴う認知”でした。「調べ足りていないことが,まだまだあるんじゃないか」,「もっと自分なりの論考を熟成させたい」,「あと1年あれば,もうちょっとマシな考察ができそうなのに」・・・etc,あれこれ考えては逃げたくなっていたのですが,一度引き受けてしまったことから逃げるほどの勇気はないので,出来る限りの準備をして原稿を書いたり,発表に臨んだりして,とりあえず一つ一つ終えていき,過去にこだわらない私としては,終わった瞬間から,「ああ,とりあえずやってよかった。面白かった!」と能天気に考え,反省すらすることなく,忘れてしまうのでした。

  で,このような体験を繰り返しながら思うのは,たとえ熟成していない考えでも,活字化や発言の機会を与えられることによって外在化することで,誰かから何らかのフィードバックをもらうことができるって,本当にありがたいことだなあ,ということです。フィードバックしてもらうと,それが肯定的であろうと否定的であろうと,結局はとても嬉しいんですよね。それにある程度調べても自分の見方が定まらない事象というのは,それだけ多様な考えを引き起こしやすいものであって,だからこそ他人のフィードバック,すなわち多様な視点からのコメントがとても興味深かったりするのでした。

 と,ここまで書いていて思いましたが,認知行動療法をやっている私は,「傾聴中心のセラピー」に満足しなかったクライアントさんと出会う機会が多くありますが,そのようなクライアントさんがおっしゃるのは,「(これまで受けたセラピーは)ただ話を聴いてくれるだけで,それ以上何もしてもらえなかった」という不満です。非常にもっともな不満だと思います。自分が体験したこと,感じたこと,思ったこと,望んでいることを,自分のお金と時間を使って専門家に話しているのに(非常に勇気の要ることだと思います),それに対してセラピストからフィードバックがない(セラピストがフィードバックしているつもりであったかどうか,ということはこの際無視します。少なくともクライアントさんは「フィードバックがない」と判断したのです)ということに不満を感じるのは,あまりにももっともなことだと思うのです。(傾聴されるだけで展開するセラピーがあることは認めます。私自身,そういうセラピーを実施することもあります。が,それは「傾聴中心のセラピーでやっていきましょう」という“メタコミュニケーション”が実施されたうえで行われるべきことだと思います。)

 見知らぬ他人であるセラピストに自分のことを話すクライアントさんにしろ,自信のないことを半ば公の場で話す私にしろ,それには多大な心細さが伴うわけで,話した後でもやはりその心細さが続くわけです。そんなときに,「あなたの話したことについて,こんなふうに思ったんだけど」と,フィードバックしていただけると,それがどんな内容であれ,「ちゃんと聞いてくれて,それに対してコメントしてくれている」ということ自体に,非常にホッとするのです。ということを,今回の一連の発表を終えて,改めて実感しました。そして,クライアントさんにとってより援助的に機能するように,自分のフィードバックスキルを磨いていきたいと思いました。

 ともあれ研究者としては,自分の取り組んでいきたいテーマについては,自分で納得のできるほどに論考が進んでいなくても,勇気を出して,それを公の場で提示するといった,より多様なフィードバックを受けるための機会を自ら作り出していくことが重要だということが,今回の学会を通じてよくわかりました。気が小さい私にとっては,そう気楽にできることではありませんが,このことを忘れないでいたいと思います。

●今日のまとめの一言: 興味のあることについては,できれば自分でとことん調べ,とことん考え,自分なりの「素晴らしい結論」を出してみたいものだが,そんな夢のようなことを待っていたのでは,人生が終わってしまうだろう。たとえ中途半端な論考でも,批判覚悟で思い切って発信し,フィードバックをもらう,そういう場を自ら作っていくことが重要である。

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2005年10月 9日 (日)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その4:自ら人に会いに出かける

  9月の最終週に,べてるの「当事者研究」の研究をスタートさせるために,北海道浦河まで久々に出かけてきました。詳しい報告は後日ということにして(その「後日」がいつになるかは,すみません,不明です),これが3度目の浦河訪問なのですが,毎回感じていることをここで書いてみたいと思います。

 それは,「会いたい人,興味のある人には,どんどん自分から出かけていって会いに行く」ということの大切さです。確かにべてるの人たちは今ひっぱりだこで,全国の講演会でお会いしたり,話を聞いたりすることができますが,やはりべてるの活動が実践されている「場」は,浦河にあるわけでして,本当に興味があれば,やはりその「場」をひっくるめて見てみたい,参加してみたい,と思いますし,実際にそうしてみると,そうしてみなければ決してわからなかったであろう「場」の持つ力が見えてくるのです。

 と書きつつ,ほんの数日間滞在しただけで何がわかる?という声も,聞こえてくるのは当然で(そう自分に突っ込んでいるのは,他ならぬこの私ですが),それは本当にその通りだと思います。だからと言って,「本当に全てを理解するために」という目的で,自分の「現場」を放って,興味ある他人やコミュニティの「現場」にいつまでも入り浸るというのも,また別の意味で問題があり,だったら限られた期間であれ,とりあえずその場に飛び込んでみる,ということが,今の自分にできる精一杯のことかな,と思います。

 ともあれ,真に会いたい人と出会う,というのは,その人が存在している「場」に飛び込んでいって,その「場」にいるその「人」に出会う,ということだと思いますので,べてるだけでなく,今後も興味をもった人やコミュニティには,自分からどんどん出かけていって「出会い」を作っていきたいと思います。

 そこでふと思うのは,では今私がやっているような「面接室内認知行動療法」は,いったいどうなんだろう?ということです。これは今に限らずときどき自問することです。クライアントさんは自分の生活の場の中で,いわゆる「主訴」を抱えているのであって,CBTの場合,その主訴を,その場を含めて極力リアルにアセスメント(ケース・フォーミュレーション)しようと努めますが,「百聞は一見に如かず」というように,セラピストが出かけていって,クライアントさんの主訴が成立している場を共有させてもらった方が話が早いんだろうな,と思うケースは多々あります。またこれまで精神科デイケアや企業における産業精神保険など,コミュニティワークを実施する場で仕事をしていたときには,私はもともと落ち着きがなく,フットワークが無駄に軽いほうなので,むしろどんどんケースに入っていって,調整するような仕事をするほうが,役に立っている気がしました(あくまで「気がした」というレベルの話です)。

ともあれ,現在,認知行動療法とコミュニティワークを統合するような理論的視点を私自身が持っていませんので(「経験的視点」なら,多少あるような気がしますが,それをきちんと理論化しないと専門家としてはNGでしょうから,今はとりあえず「持っていない」としておきます),また面接室で実施する認知行動療法に対してはかなりの手応えを感じていることも事実ですので,当面はこのままいくのだと思います。が,出かけていってCBTを実践するということが,どのようにして安全な形で可能なのか,ということも今後考えていきたいと思います。

べてるの家に出会ってから,これまでもうっすらと感じていた,「面接室内の構造を守ることが,なぜそんなに大切なの?」という声が,自分の中ではますます大きくなりつつある今日この頃なのでした。(と書いてはいますが,クライアントさんにわざわざ我が相談室まで来訪していただき,数十分という決められた時間内で,がっちりと構造を守って実施するCBTだからこその様々な利点は,十分にわかっているつもりです。クライアントさんたちの努力には,本当に頭が下がります。) あるいは面接室内の構造を守りながらよりよい援助を実践することと,面接室外に出かけていってよりよい援助を実践することは,さほど違わないのだという考え方ができるのかもしれません。

●今日のまとめの一言: 興味があれば,自分からどんどん出かけていって人に会うことが重要である。それは「礼儀」ということだけでなく,その人を取り巻く場を含めて,その人と出会うことができるから。その点,面接室で行うCBTはどうなんだろう?

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2005年10月 2日 (日)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その3:人と会って話す

  なぜかいろいろなイベントや仕事が重なり,9月はブログの更新ができませんでした。ちょっと落ち着いたので,また再開しますが,当面は「ひとりごと」と称して,9月のイベント(特に学会,べてるの家訪問)を振り返り,認知行動療法的に考察するという短い記事を掲載していこうと思います。

  今年は9月に,2つの大きな学会に出たのですが,例年に比べて出番が多く,準備をしているときは「こんなにいろんなことに顔を突っ込まなきゃ良かった」「安請け合いするから,こんなことになるのだ」と自責的認知で泣きそうになっていましたが,いざ終わってみると,非常に充実感があります。その充実感のなかでも,「いろんな人と会って,いろんなことを語り合えた」ということが大きいです。さらに直接語り合ったわけではなくとも,「著書や論文だけで知っている研究者の発表を,その人が自ら語っているのを直接聴くことができた」ということも大きいです。

 臨床や研究においては,文献を読んで勉強することが極めて大事なのはもちろんですが,さらに人と直接会って,「語る」,「語り合う」,「人が語っているのを聴く」という体験をすることで,文献で得た知識を,さまざまな角度から検討する,精緻化したり分厚くしたりする,といった,他では絶対に得られない効果がもたらされるのだと,今回も改めて実感しました。

  というわけで,学会に参加することにはいろいろな意義や目的があると思いますが,「人と直接会う」機会が爆発的に増える,という魅力がまず挙げられるでしょう。そしてそれは学会とか研究会とか,そういうレベルの話だけではなく,たとえば私が実施している認知行動療法(CBT)といったセラピーでも全く同じことなのでしょう。以前,仕事でメールを使ったカウンセリングを実験的に行ったことがありましたが,どうも私にはピンときませんでした。ネットやメールを使ったCBTについての研究もあるようですが(あまり詳しくありません),やはり直接人と人が会って語り合う,というのが不可欠のように思えます。CBTの基本も,前にも強調したとおり,ツールを使った諸技法ではなく(それだけならネットやメールで実施可能),クライアントとセラピストが直接会って,「CBT的語り合い」をすることにあるのではないかと,私は考えます。(この考えは,「べてるの家」に行くたびに,さらに強化されますが,それはまた後日)

●今日のまとめの一言: 人と直接会って話をする,すなわち「語る」「語り合う」「人の語りを聴く」体験は,買ってでもするべきである(「べき思考?」・・・笑)。認知行動療法の基本も,もちろんクライアントとセラピストが「認知行動療法」的に語り合う点にある。

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2005年9月 9日 (金)

更新ちょっと先になります!

いつもお読みいただきまして,ありがとうございます。

学会とか,地方出張とか,その他諸々立てこんでおりまして,

当ブログの更新がかなり先のことになってしまいそうです。

9月の最終週には,浦河のべてるの家に,仲間と一緒に

フィールドワークに出かける予定ですので,

更新はその後,10月に入ってからになりそうです。

ちょっと先になりますが,このブログを止めるわけではありませんので

10月に入ってから,またお越しいただけると幸いです。

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2005年8月24日 (水)

今日のストレスコーピング(7):時間を決めて悩む・心配する

  私はこの8月,諸々の理由で,悩み事や心配事が多い月でした。まあ生きていればいろいろとありますし,悪い出来事って重なるときは重なりますから,そういうときは悩んだり心配したりする時間が多くなってしまうのも仕方のないことでしょう。

  でも,悩み続けると,あるいは心配しつづけると,今度はそのことによって消耗してしまいます。で,「いつまでもこんなことに悩んでいる自分が嫌だ」とか「心配しても何も解決しないのに,心配しないではいられない」などといったネガティブな認知が生じて,さらに嫌な気分になる・・・といった悪循環に陥ってしまいがちです。

  かといって,悩んでいるときに,第三者から「そんなに悩んでもしょうがないよ」,「誰にでもあることだよ」,「そんなこと心配していないで頑張れ」,「いつまでも考えていたってしょうがないじゃないか」,「考えなければいい」・・・などと言われてしまうと,「それができないから悩んでしまうのだ! あんたに何がわかる?」と反発したくなります。

  ではどうすればいいのか,と言うと,自分で「悩みの時間」「心配する時間」を予め決めてしまい,その時間内に精一杯悩んだり心配したりする,ということです。これを私は自分自身のストレスコーピングに活用しています。

このやり方は不安障害のCBTでよく用いられるものですが,CBTで技法として使われる場合は,たとえば「毎日午後530分から6時までを“心配時間”として,めいいっぱい悩みましょう」というような教示がなされます。もちろんそのように毎日の心配時間を決めてそれに従うということも効果的ですが,一時的にストレスを強く感じて悩んでいる場合,そこまで定式化せずとも,臨時の「悩み時間」「心配時間」を決めて,その日,そのときだけ思い切り自分の悩みや心配に没頭するので事足ります。(少なくとも私は事足ります)

最近実施した「悩み&心配時間」は,次のようなものでした。ある日,とにかく悩んでもしょうがない悩みにとりつかれ,それを振り払えずに困っていました。そこでふと思い出したのが,「そうだ,明日プールに行くんだった」という,次の日の予定です。で,「明日のプールで歩いたり泳いだりしているときって,どうせ頭の中は暇だから,このことについては明日のプールで考えよう。それまで保留にしておこう」と決めて,その日,および翌日のプールに行く前の時間に,悩み事が頭をもたげても,それに付き合わず,「プールに行ったら悩もう!」と自分に言い聞かせて,やりすごしました。この「やりすごし」もそう簡単にはいきませんが,慣れてくると,まあまあできるようになるものです。

そしてプールに行き,「さあ,悩むぞ!」といった感じで気合いを入れて悩んだわけです(笑)。まあ,「悩んだ」というより,「あれこれ考えた」という感じですが,とにかくプールで身体を動かしている間,そのことについて考えつづけました。で,さんざん考えた結論は,「やっぱり自分が一人でこんなふうに考えてもしょうがない。やれるだけのことをやって,あとはなるようにしかならないもんな~」という,ごく普通のものでした。どうってことのない結論ですが,この場合重要なのは,結論の中身ではなく,このように時間を決めて悩んだことによって,「ケリをつけることができた」ということです。その後,この悩み事から私が解放されたわけではありませんが,一度ケリをつけているので,とりあえず時間を無駄にしてまで,ぐずぐずと悩むようなことはなくなりました。

以上,相変らずしょーもないコーピングを披露していますが,建設的な問題解決や認知の再構成が役に立つ悩みもあれば,むしろ悩んでもしょうがないとわかっていることについては,際限なくそれについて悩んで時間とエネルギーを無駄にするよりは,どこかで時間を決めて,その時間内に限ってめいいっぱい悩んでみるほうが,役に立つ場合もあるということを言いたかったのでした。(「そんなの当たり前じゃん!」と思われるかもしれませんが,そうなんです,当たり前なんです。当たり前に皆が実践しているコーピングを,わざわざ“技法”として定式化するのがCBTなんです。・・・・少なくとも私はそう解釈しています)

●今日のまとめの一言: 気にかかっていることを「悩むな!」「心配するな!」と言われても無理がある。でもずっと悩み続けるのもしんどい。だったら,時間を決めて,その間だけ思い切り悩んだり心配したりすることにしてみよう。それで気持ちにケリをつけられれば,儲けもの!

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2005年8月16日 (火)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その9:リラクセーション法 技法④

  ※久々の投稿です。理由はわからないのですが,原稿作成時には特に問題ないのですが,ブログ表示時にフォントがおかしくなってしまうようで,修復の仕方がわかりません。突然字が小さくなって表示されてしまいますが,特に意味はありませんのでご容赦ください。すみませんです。

●【リラクセーション法】

  CBTではリラクセーション法が多用されます。なぜなら役に立つし,安全だからです。実際のCBTのセッションでは,ストレス反応=症状は心身の過剰な緊張の持続によるものだということを,心理学的そして生理学的な説明(心理教育)によって理解してもらったうえで,リラクセーション法の練習に入りますが,ここではとりあえず,最も安全でコストのかからない【リラクセーションのための呼吸コントロール法】について,簡単に紹介します

 リラクセーションには,自分で実施するものと,他人や状況に依存するものの両方がありますが,そのどちらでも構いません。もしあなたが自分の自由になるお金と時間をたっぷり持っているのであれば,わざわざ自分でリラクセーション法を実施しなくても,たとえば温泉に行って,美しい風景を見ながら露天風呂でのんびりし,ついでにマッサージでもしてもらうことを毎日続ければ,まったりとリラックスしつづけられるかもしれません。が,私を含む多くの人は,そんな余裕はありませんよね。だとすると,時間とお金をかけずに,自分で自分をリラックスさせる方法を習得し,毎日実践するのが最も効果的でしょう。私自身,この仕事を選んで良かったなあと思う理由の一つは,数々のリラクセーションを習得し,日常的に実施することで(さらにラッキーなことに,クライアントさんとリラクセーション法を練習するチャンスが多々あることで),肩こりとか不眠とかいった慢性緊張症状から解放されたことです。

●呼吸コントロール法(腹式呼吸法)

 最初に最も重要なポイントを挙げておきます。「嫌な感じがしたら,とりあえず息を吐きましょう」ということです。心身が嫌な感じがするとき,私たちは,浅くて速い呼吸をしているか,息をぐっと詰めてしまっているかのどちらかです。そして嫌な感じがして「苦しいなあ」と思うと,なぜか「息を吸わなきゃ」と思って,さらに息を吸い込んで,自分を苦しくさせてしまうのです。そうやって吸えば吸うほど身体は過酸素状態になって,苦しさは増していきます。それがいわゆる「過呼吸」です。そういうときは,姿勢もおかしくなっています。肩で息を吸うものだから,肩や首や背中や後頭部の筋肉が異様に緊張・収縮して,上半身がガチガチになっているのです。そしてその分下半身は不安定になって,グラグラしています。パニック障害の方が,発作のときに「体がグラグラする」と言うのは錯覚ではなく,本当に下半身が不安定になって,グラグラしていることが多いのです。

 ではどうすればいいか。上記と反対のことをすればいいのです。つまり,下半身に重心を置き,息を吐いて吐いて吐きまくるのです。吐ききれば必要な分だけ自然と息を吸うように,私たちの身体は作られています。そうすれば過剰に吸いすぎることもなく,体がグラグラすることもなく,落ち着いてどっしりとした姿勢を保ち,静かに良い呼吸を繰り返すことができるのです。

  以上の手順をちょっとまとめてみます。

① 下半身(特に足の裏と下腹部)に意識を置いて,安定させる。(相対的に上半身の力が抜けます。)

② 一度,ふぅっと溜め息をつくようにして,口から息を吐きます。

③ 鼻から少しだけ息を吸います。・・・鼻水をすするように,啜り上げるのがコツです。このように息を吸うと,胃のあたりがふわっと膨らみます。

④ ③のようにして少しだけ吸った息を,口から細く長く少しずつ吐いていきます。最初は4秒ぐらいかけて吐ききれば上々です。慣れてきたら,8秒,16秒というふうに,吐く時間を長くしていきましょう。(慣れてくると少しだけ吸った息を,16秒ぐらいかけて楽に吐けるようになります。つまり少しだけ吸った息を,時間をかけてチビチビと大事に吐いていくのです。すごくケチな呼吸ですね)

⑤ 以上の呼吸を何度か繰り返します。結果的に心身の緊張が抜けてきますが,慣れるまでは,むしろどこかに痛みを感じたり,ちょっと苦しくなったりすることもあります。その場合は「嫌な感じがしたら,とりあえず息を吐く」という原則に立ち戻って,息を吐いてください。そして吐ききったらふだんの自然な呼吸に戻してください。そのうち嫌な感じは消えるはずです。

  呼吸コントロールは,最初は以上の手順に意識をしっかりと向けて,この手順を繰り替えすことだけに集中して行うといいでしょう。結果的にリラクセーション反応が得られればラッキーですし,特にリラクセ―ションを実感しなくても,やっていて具合が悪くならなければまずOKと受け止め,とりあえず上のような手順を繰り返しやってみるということを続けてください。そのうち「あれ,なんか力が抜けて,なんだか楽な感じがする」とか「ふうん。リラクセーションってこんな感じなんだ」と,何となく気づくときが来ると思います。そうしたらそのような感覚を大事に味わって,また日々続けていけば良いのです。重要なのは,リラクセーションが大事であることを知っておき,そのための手順を,リラクセーションが得られるかどうかは別として,日々ちょこちょこと実践することです。そのような日常的な実践が,結果的に深いリラクセーションをいつの日かあなたにもたらしてくだれるのです。

●今日のまとめの一言: 心身の過剰な緊張による諸症状は,リラクセーション法の実践により緩和することができる。代表的な方法としては呼吸コントロール法があるが,これははじめからリラクセーションを目的にするのではなく,とりあえず手順をしっかりと意識して,ちょこちょこと実施しつづけることがよい。リラクセーションは結果として得られる体験にすぎない。

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2005年8月 5日 (金)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その8:イメージ技法 技法③

 最近諸事情により脱線気味の当ブログでしたが,本線に戻そうと思います。一人で認知行動療法(CBT)にトライする人に少しでもヒントになれば,という【一人でできるCBT】シリーズに話を戻します。といっても,かなり不十分な記述が続くことと思います。いずれもうちょっと系統立てて,ストレスコーピングの視点から,【ひとりCBT】については書きたいと考えておりますので,どうぞお許しを。何かあればコメントください。

●【イメージ技法】

  認知というと,“言語的な思考”ばかりが注目されがちですが,もう一つの認知である“イメージ”のことを忘れてはなりません。上記の認知再構成法や問題解決法の中にイメージを組み込むということもできますが,これらの技法はどうしても言葉を使って進めていくので,なかなか難しかったりもします。

  イメージの力は強力です。たとえば夢はイメージ的側面が大きいですよね。明け方見た夢によって,寝起きの気分が大きく左右されたりするのは,よくあることです。いわゆるフラッシュバックという現象も,イメージのもつ影響力の大きさを物語っています。逆にスポーツ選手が行う“イメージトレーニング”は,イメージのそのような影響力を意図的にプラス方向に活用しようというものです。

  ここでは私が実際に臨床場面でよく用いる,イメージ技法を二つ紹介してみます。

●イメージリハーサル:「こういうときは,こうしよう」「明日,これをやるときには,こんなふうにできたらいいな」という未来の自分の言動を,できるだけ具体的なイメージとしてリハーサルするというものです。何事も本番の前に,現場で実際の言動としてリハーサルできれば一番良いのですが,そうはいかないことも多々ありますよね。そういうときは,できるだけリアルなイメージをありありと思い描き,イメージの世界でリアルにリハーサルすれば良いのです。夢があれだけリアルなのですから,自分で作るイメージも練習すればするほどリアルに思い浮かべられるようになります。ポイントは,「現実的にできそうなレベルのことをリハーサルする」ということです。

  たとえば翌日,結婚式に呼ばれていてスピーチしなければならない,というときに,私はこのイメージリハーサルを行います。そのときイメージするのは,人々の前で全く緊張せず,よどみなく話している自分ではなく,緊張してマイクを持つ手も少し震えているのですが,なんとか最後まで話をするという自分です。できないことをイメージしても,やっぱりそれはできないので,「とりあえずこの程度できればいいや」というレベルでのリハーサルに留めておくのです。それでも一度リハーサルしておくと,脳はそれを「一度体験したこと」として記憶に留めてくれるので,本番がかなり楽になります。

  明日,苦手な人と話さなければならない,などというときにも,このイメージリハーサルは有効です。どんなふうに挨拶をして,嫌なことを言われたらどう切り替えして・・・といったことを予め決めておいて,リハーサルしておくのです。すると,実際に嫌なことを言われても,リハーサルしたとおりに対応すればよいので,その場でオタオタしなくて済みます。(こういうときって,オタオタしてしまった自分を,後になってクヨクヨと悔やむ羽目に陥りがちなのですが,リハーサルしておくとそれを防げます。)

●壺イメージ法:田嶌誠一先生という方が考案したイメージ法です。一時期私はこの技法の虜になり,壺イメージ法のワークショップやシンポジウムにしょっちゅう参加していました。壺イメージ法は,自分の好きな壺をイメージして,嫌なこと,考えたくないこと,今はそっとしておきたいことなどを,その壺にしまっていく,というイメージワークです。「捨てる」のではなく,「壺にしまっておく」というのがポイントです。詳しくは,田嶌先生の本などを参照していただきたいのですが,入手の難しい本が多いようです。お勧めは『イメージ体験の心理学』(講談社現代新書)なのですが,これも品切れで入手不可能とのことで,興味のある方は図書館などで探してみてください。

  この技法のポイントは,先に自分の壺を決めておくということです。なかなかイメージできなければ,絵に描いてみてもいいですし,実際にどこかで見た壺をイメージすることにしても構いません。自分の思いをそっとしまっておく壺という器を先に決めておいて,嫌なことを考えたり,思い出したりして,そのグルグル思考からなかなか脱け出せない場合,まず先に壺をイメージし,次にそれらの考えや思い出をそこにしまっていくのです。この壺イメージ法は,やってみると意外に簡単で面白いものです。クライアントさんにもよくこの技法は紹介しますが,(いい意味で)はまる人ははまり,「今度嫌なことを思い出したら,こんな壺にしようかな,それともあんな壺にしてみようかな」と,壺の考案そのものを楽しむ人もいらっしゃいます。すると面白いことに,嫌なことがあっても「今日はあの壺に入れちゃえ」と,嫌なことよりも壺に気が向くようになり,それだけでもストレス反応が緩和されることがあるのです。

●今日のまとめの一言: 「認知」とは言語的思考だけではない。もうひとつの認知である「イメージ」は,良い意味でも悪い意味でも強力な影響力をもち,CBTではイメージを活用する技法もよく使われる。

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2005年8月 2日 (火)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その2:認知心理学とCBTのインタラクション

  とりあえず一言書いておきたいことがあり,一方で「まともな文章を書かねば」と思うと面倒だというときには,「ひとりごと」としてちょちょっと書き残すことにしました。(自分がずぼらになっていくプロセスを晒しているようで,恥ずかしい)

  7月にブログの更新が滞り気味だったのは,日常業務が立て込んでいた他に,外に出かける仕事が多かったのと,仲間と出版する本の原稿作成にとりかかっていたからです。そしてやっと今日,原稿が書き終わりました。その本のテーマのひとつは【基礎心理学と臨床心理学のインタラクション】でして,私は認知心理学の章を担当しました。具体的には,【認知心理学とCBTのインタラクション】(インタフェースと言ってもいいかもしれない)についてです。

  実は私の修論および博論のテーマが,まさに【認知心理学とCBTのインタラクション】でした。しかし私が博士論文の研究計画を立て,先行研究をレビューしたりしていたのは,10数年以上も前のことです。そしてその後,臨床どっぷり生活を続けていた私は,認知心理学の勉強を怠っていたのでした。

  それが数年前から仲間と【基礎と臨床のインタラクション】について語り合うようになり,出版の企画などをしているうちに,他からも原稿や学会での発言を求められることが何度かあり,ひさびさに認知心理学および認知科学の勉強を再開したのでした。

  いやあ,1990年代のとくに後半ぐらいから,認知心理学自体がかなり変化していたんですね。以前このブログでベックの認知療法は「古典的認知療法」で,今現在は「第二世代CBT」が主流であると書きましたが,認知心理学というより認知科学自体も新しい時代に突入していたのです(「コンピュータ・アナロジーによる情報処理アプローチが行き詰っている,これからは日常認知研究だ! でも日常認知研究ってどうやってやるの? たとえばこんなやり方があるよ」というところまでしか,私は把握していませんでした)。その流れを追うのをすっかり怠っていたことに今になって気づき,しかし原稿は書かねばならず,いろいろと調べ始めたら面白くなってきてしまって(とくに「協同学習」や「創造的問題解決」に関する研究が面白い。なにしろCBTの過程は協同的な問題解決過程そのものだから),「あと1年勉強したいから,〆切を来年にして!」などと懇願したかったのですが,そんなことをお願いできるはずもなく,中途半端なレビューに基づき,【認知心理学とCBTのインタラクション】について書かざるを得ない羽目に陥ってしまったのでした。

  というわけで,今回の原稿作成は自分にとっては本当にきつかったです。あまりにもレビューが不十分であることを自覚しながら書いているのですから。しかしまた次のチャンスがあると思うので,今抱えている手間のかかる仕事といくつかの学会が終わったら,しばらくは認知心理学および認知科学の文献購読に何とか時間を割いて,遅れを取り戻したいと思います。

  以上,とりとめのない「ひとりごと」でした。

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2005年7月28日 (木)

【認知療法・認知行動療法】ひとりごと その1:心理の国家資格の法案→上程断念について

  ときどきこのブログでも「ひとりごと」をブツブツ言ってみることにしました。

  さて,心理職の人は皆ご存知だと思いますが,何とか法案が出来上がるところまでは来ていた「臨床心理士及び医療心理師法案要綱骨子(案)」が結局,今国会に上程されずに終わってしまうことになりました。このような結果に至るまでのゴタゴタはここには書きませんが(と言っても,私が知っていることなんてほんの一部ですが),私が一番残念に思っていることは,「これで認知療法・認知行動療法(CBT)が,よりよい形で日本において広まるチャンスを,一つ逸したな~」ということです。それに尽きると言ってもいいかもしれません。

  私自身は臨床心理士の民間資格でこれまで仕事をしてきていますし,今後もしていく所存ですが,実は今回の騒動では,「医療心理師」派でした。なぜなら医療心理師が国家資格化されることで,医療心理師を養成するための大学学部のカリキュラムが編成され,そこには必ず基礎系の心理学とCBTが必修科目として入るだろうと考えていたからです。それに比べて臨床心理士会,臨床心理士資格認定協会,日本心理臨床学会は,CBTがお嫌いなようで(これ以上はここには書きませんが,このように推定する根拠はいろいろとあります),大学院教育でまともにCBTをトレーニングしているところは,ほんの少ししかありません。

多くの人に役に立つであろうということが,エビデンスとして示されているCBTを世に広めるには,専門家養成が不可欠ですが,CBTをきちんと行える臨床心理士を養成しようという姿勢が,臨床心理士会等の団体には見られません。しかし医療現場の心理職に求められるのは,「効果のある方法で早く治してほしい」というユーザー(患者さん)の切実なニーズに応えることです。そして現時点の諸データから,CBTはユーザーのニーズに応える理論と方法論を持っていると考えられます。だとしたらCBT,およびその基盤となる基礎心理学の知識を心理職が習得するというのは,「ベター」ではなくて「マスト」なのではないでしょうか。

以上のことから,私は医療心理師の資格化を望んでいました。私は現在開業しておりますが,医療心理師が国家資格化されて,いずれは医療機関にて認知行動療法が保険適用されるようになれば,私自身は廃業せざるをえないだろうとも思っていました。しかしそれが,CBTがよりよく日本に広まった結果であれば,それでも良いと考えていましたし,今でもそう考えています。きれいごとのようですが,職業倫理とはそういうものだと思いますし,人間としてはともかく,サイコロジストとしては倫理的でありたいと考えています。

というわけで,ここ数日,この資格問題をめぐってかなりがっかりしております。CBTを受けたい人が,安価で良質なCBTを受けられるようになるまでに,日本ではあと何百年かかるのでしょうか?・・・かなり否定的な自動思考ですが,妥当性は高いぞ(笑)。まあ嘆いていてもしょうがないので,私は自分のできることを毎日地道にやっていきたいと思います。・・・立ち直りも早いぞ(笑)。

以上,今回の資格化問題を,「CBTの普及問題」として考えていた者のひとりごとでした。

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2005年7月26日 (火)

【認知療法・認知行動療法】コラムその8:当事者に教えてもらうことが不可欠

  私はずっと思春期や大人を対象とした臨床をやってきており,また精神科や企業に勤めていたせいで,子どもや発達障害の臨床には詳しくありませんし,ほとんど経験もありません。が,最近,CBTが子どもや発達障害の臨床にも活用可能で,しかも効果的であるということが,ちらほら言われるようになってきており,また,アスペルガー症候群と思しき大人を対象としたCBTのケースに関与することが最近何度かあり,発達障害についてきちんと勉強しなくては,と思い始めました。そこで専門家が書いた教科書をいくつか読んでみました。どれもそれなりに勉強になったのですが,最近,『自閉症だったわたしへ』(ドナ・ウィリアムズ著,河野万里子訳,新潮文庫)を読み,大変勉強になると同時に,深く感動しました(「もっと早く読んでおけばよかった」と後悔&反省)。そして改めて,CBTにおいて当事者から教えてもらうことがいかに重要か」ということについて考えましたので,今日はその辺をちょっと書いてみます。

●ドナ・ウィリアムズ著 『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)より

 本書はそのタイトルの通り,自閉症の当事者が大人になってから,自分の生活歴を振り返って手記としてまとめたものです。著者は自閉症のなかでも,知能に欠損がなく,しかも言語能力にも欠損がないというタイプの人で,だからこそ自分の体験を,手記という形で自力で表現することができたのだと思われます。

 私も日々の面接を行うなかでクライアントさんの話を聞きながら,「当事者だからこそ,これほどまでにビビッドに自分の体験を表現できるのだなあ」と感動することがときどきありますが,まさにこの本の著者は,当事者しか語りえない自閉症の世界を,ビビッドに伝えてくれています。そういう意味では,どのページを開いても,「当事者性」に満ち満ちており,自閉症についてにわか勉強を始めた私にとっては全てが非常に新鮮で,わくわくするような気持ちで本書を読み終えました。

 昔,精神科デイケアで,統合失調症の患者さんとおしゃべりをし始めたときの,あのワクワク感を思い出しました。「ワクワク感」などと書くと,失礼だと怒られるかもしれませんが,自分とは違う枠組みで世界や他者を捉えることのできる人のリアルな話を聞くのは,やはり「ワクワクする」としか言いようがありません。病気か病気でないかとか,障害者か健常者かということではなく,自分とは違う世界観があるということを教えてもらうことは,何か目の前の風景がパーッと開けるような,非常に新鮮な気がするのです。

●当事者に教えてもらうことから始まる

CBT

 といった話はひとまず置いておき,臨床的な話に戻りますが,先日の「べてるの家」の記事にも書いたとおり,「当事者が自分について語るのをよりよく聴く」というのが,臨床の基本であることは間違いないと思います。そして真に効果的であることを目指すCBT(認知行動療法)は,まず最初に,当事者のものの見方,考え方,感じ方,振る舞い方,世界との付き合い方について,当事者の視点から教えていただくことを重視するものだと思います。それがCBTにおける,いわゆる“アセスメント”,“ケース・フォーミュレーション”の真髄だと思うのです。

 したがってCBTの実践家は,特にケースの初期段階では,まず当事者(クライアントさん)が自分の体験を,まさに自分の体験として上手に語れるよう,援助しなければなりません。そのようなコミュニケーションの場を提供しなければなりません。それなくしては,どんな強力な技法であれ,大した効果はないでしょう。

 といったCBTの原則は,「べてるの家」を知ることで統合失調症の人との対話においても適用できることを知り,さらに今回本書を読むことで,自閉症の人との対話においても適用できることを知り,とても嬉しくなってしまいました。そして著者は本書を通じて,自分の自閉症体験を,この上なくリアルに私たちに教えてくれているのです。こんなにありがたいことはありません。

 引用したい箇所は多々ありますが,控えめにしておくとして,特に私は本書の最後に,著者が「まとめ」として書いてくれた箇所に感銘を受けました。自閉症としての自分の言動の意味や目的について書いてある箇所です。

 たとえば・・・

著者の「笑い」は緊張や恐怖,不安などを解法するための手段で,感情表出ではないとのことです。社会に受け入れやすい形での恐怖の表現だという。むしろ「手をたたくこと」が喜びの表現であることが多かったとのこと。

 そう教えてもらわなければ,私のような単純な人間は,「笑い」にそのような意味があるだなんて,一生わからなかったかもしれません。

 たとえば・・・

  「わたしに物を受け取らせるには,ありがとうなどの返事や反応をいっさい期待せずに,ただその物を,わたしの近くに置いてくださればいい。何らかの反応を期待されているとわかると,その義務と責任ばかりに気を取られて,品物の方には気持ちがいかなくなってしまうからだ。」(p.472

  「またわたしに話を聞かせるには,わたしのことか,わたしに似た人のことを,大きな声でひとりごとを言うように話してくださればいい。するとわたしは,そのようなことなら自分にも話せることがある,という気持ちになってくる。この時接触は間接的な方がいいわけで,たとえば話しながら窓の外などを眺めていてくだされば,申し分ない。」(p.472

  「何より特徴的なのは,わたしは愛されることをそれほど必要としていたわけではなかった,ということだろう。(略)わたし自身の場合も,愛や親切や,親愛の情や共感は,いつも最大の恐怖の源だった。それらを感じ,自分にはふさわしくないと思いながらもなんとか人の努力に添おうと頑張っていると,フラストレーションはやがて自分など不適当だという思いに変わり,ついには絶望となってしまう。同情も,何にもなりはしない。おとぎ話とは違い,愛は必ずつき返されると思っておいていただきたい。それも,唾を吐きかけられて。しかし愛ではなく,いつも心に留めて気づかうことならば大丈夫なのだ。」(p.475476

 心理臨床の世界で当たり前のように言われている「共感的理解」,「無条件の積極的関心」,「クライアントに寄り添うこと」などといったことについて,それのどこがどこまで当たり前なのか,突きつけてくるような当事者による発言だと思います。そしてそのような当事者の声に耳を傾けなければ,専門家は援助どころか,ひとりよがりな間違いを繰り返し,むしろ当事者に迷惑をかけてしまう存在になってしまうのだと思います(自戒をこめて,あえてこんなふうに書いておきます)。本書にも,専門家に対する著者なりの「抗議」が多々見受けられました。そしてどれも私にとって耳の痛いものでした。

 さらに引用・・・

  「長々と書いてきたが,とにかくわたしは,わたしと同じような人たちを助けるために奮闘している人々に向かい,皆さんの努力は絶対にむだではない,と言いたかったのだ。間接的,客観的な方法で応えることと,無関心であることとは,まったく別のことなのである。」(p.477

 当事者の物の見方,考え方,感じ方,振る舞い方などをまとめてくれた上で,援助者に対してこんなふうにしめくくってくれている,この著者の柔軟性に感じ入るばかりです。それにしても「間接的,客観的な方法で応えること」というのは,CBTのエッセンスであると私は考えます。それが「CBTは冷たい。共感的でない」という批判を呼ぶのでしょうが,「直接的でないアプローチ,客観的なアプローチが,むしろこのように求められるのだ」,ということを当事者に教えていただけることで,日々の臨床で,CBTがたとえばボーダーラインのクライアントさんになぜか効果的に機能することの説明がつくようにも思えます。

 ・・・だんだんダラダラと長くなってきましたが,言いたいことはただ一つ,とにかく他者を援助しようという大それたことを目指すのであれば,当事者である他者に,自身についてとにかく教えていただくしかないのだ,ということです。その「語り」を引き出すための対話の場を構築するのが,臨床家の腕の見せ所であり,各療法の理論やモデルや技法の本質でもあるのだと思います。そして一見「冷たく,客観的」なCBTは,むしろそのための方法論をたくさん持っているのではないかと私は考えています。

●今日のまとめの一言: どんな症状,障害であれ,当事者に教えてもらうことから援助や治療は始まる。CBTは「当事者にいかに生き生きとした情報を教えてもらえばよいか」という視点から,クライアントさんの語りを引き出していくことから,アセスメントを進めていく。

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2005年7月18日 (月)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その7:問題解決法 技法②

 「ひとりCBT」のための,とりあえずの技法紹介を再開します。

●【問題解決法】

 

認知を自分で修正できても,その認知を実生活で“実践”できなければ,「わかってはいるんだけれども・・・」というところで止まってしまいます。また認知よりも行動の面で,やりすぎてしまったり,回避的になってしまったりするなどして,何らかの問題が生じているようであれば,認知再構成法よりもむしろこの“問題解決法”が役に立つかもしれません。

  といってもこれは決して特別な技法ではなく,ふだん私たちが無意識的にせよ意識的にせよ行っている,実生活における問題解決の手順を,あえて“技法”として外在化し,意識的に実践することによって,再度適応的な問題解決法が,その人に内在化されることを目指したものです。

  簡単な手順は次のようなものです。

  問題を具体的に表現する。

  自分がよりよく問題解決できるように,自分に何か言ってみる。

     (例:「今の自分にできることは何だろう?」

  達成可能な現実的な目標イメージを,具体的に表現する。

  目標を達成するための方法を,ブレインストーミングする。

  ブレインストーミングによって案出した様々な方法を,“有効性”“実行可能性”と
いった視点から評価する。

  評価の高い方法を組み合わせて実行計画を立てる。

  計画に沿って“行動実験”し,計画の効果を検証する。

  この問題解決法のポイントは,「大きな問題はできるだけ小さく分解して,解決を試みる」ということです。人は参っているときに限って,「どうやって生きていこう?」などと,漠とした大問題を考えてしまうものです。そういうときこそ,「小さなことを考えよう」と自分に言い聞かせて,「明日からの週末を,どうやってすごそうか」と問いを小さく立て直すのです。できればもっと小さく,たとえば「明日の昼ご飯は,何を食べたら少しいい気分になれるだろうか」とさらに問いを細分化すると,より効果的でしょう。

  “認知再構成法”に比べると,この“問題解決法”はCBTの技法としての注目度が低いように思いますが,私自身は非常に重要でかつ効果的な技法だと考えています。頑張りすぎてうつ病になってしまった人などには,認知再構成法が効果的ですが,逆に自分に自信がなくて,「ああだこうだ」と考えすぎてしまい,その結果いろいろなことを避けてしまって抑うつ状態や不安状態に陥っている人には,むしろ問題解決法のほうが奏効する場合がよくあります。

「どう考えたらいいんだろう」というときには認知再構成法,「どうすればいいんだろう」というときは問題解決法,というふうに使い分ける,というやり方でもいいかもしれません。私は実際にそのように使い分けて自分で使っています。理想としては,両方習得できれば,併用したり,使い分けたりできるので,より対処力の向上を望めます。

●今日のまとめの一言:【認知再構成法】と【問題解決法】は,CBTの二大技法である。「やりすぎ」や「回避」といった行動的な問題がある場合は,問題解決法がより効果的かもしれない。

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2005年7月16日 (土)

今日のストレスコーピング(6):入浴剤と半身浴と読書と飲み物

  さて先日お書きしたとおり,ちょっとした出張に行ってきました。某企業でストレスマネジメントについて講演するためです。今回は十分にネットで事前調査したので,格安の値段なのにきれいでまあまあ広くて過ごしやすい部屋だったので,まずチェックインして一安心。そして私にとっては一番のポイントであるバスルームも清潔で広くて,とりあえずホッとしました。

  チェックインしたのは夜で,翌朝もほどほどに早起きして出かけなければなりませんから,ホテルの部屋で過ごせるのは,睡眠時間を除けばほんの数時間。でもせっかくのこの数時間が“ストレスコーピングのチャンス!”ということで,ご飯を食べたり仕事の準備をしたりした以外は,ほとんど以下のように過ごしました。(ホテルには,自宅と違って気が散るようなものがありませんので,自分のペースを守れるのです。これが最大のストレスコーピングだったりもしますが)

  バスタブにお湯を張り,お気に入りの入浴剤(ローズの香り)をたっぷりと混ぜ,冷たい飲み物(夜はビール!)と完全に楽しみのために読む本(ミステリ)を持って,長々と半身浴です。つまり複数のストレスコーピングの同時実施ということです。入浴剤の香りや肌触りの気持ちよさ,半身浴の気持ちよさ,楽しい本,美味しい飲み物,誰にも邪魔されない空間と時間,入浴後のリラックス,心地のよい眠り・・・といった要因が相乗効果となって,至福の時間を生み出すのです(大げさ・・・?)。翌朝も今度はシトラス系の入浴剤と飲み物(ミネラルウォーター)とミステリの続きで,またまた入浴。これで一日の始まりはとてもご機嫌です。

  と,書いていて思いましたが,どうってことのないコーピングをこんなふうに書き連ねて,ちょっと恥ずかしいです。

  でも,ストレスコーピングのコツってこんなもんだと思います。何かすごいコーピングがあって「それがあれば生きていける」といった大げさなものではなく,日常的にできる小さなコーピングをたくさん見つけておき,チャンスがあればそれをちょこちょこ実施して,「ああ,リフレッシュできた!」という時間を持つことのほうが,現実的であるように思います。(もちろん,状況に積極的に働きかけるようなコーピングも重要なのですが,その話はまた後日ということで)

  ところでコーピングについては,始終クライアントさんと話をするのですが,そのやりとりのなかで,上のような私自身のコーピングもクライアントさんに自己開示することはよくあります。「なんだ,専門家といえども,しょうもないことで気分転換しているんだな」とホッとしてもらえることもあり,このようなやりとりがクライアントさんのコーピングレパートリーの増加につながることもあります。そのような意味でも,セラピスト自身が,誰もがトライできるようなちょっとしたコーピングを日々実践するということは大事なのではないかと思います。(「CBTにおけるセラピストの自己開示」というのも,実は興味深いテーマですが,これもチャンスがあれば後日ということで・・・)

●今日のまとめの一言: ちょっとしたコーピングの組み合せによる相乗効果を活用すると効果的!

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2005年7月13日 (水)

今日のストレスコーピング(5):出張の準備

 例によってつなぎ記事です(笑)。

 ときどき泊まりの出張に出かけるときがあるのですが,私は出張,嫌いではありません。かなり好きかも。大きな理由は2つです。1つは乗り物が好きだということ。もう1つはホテル泊まりが好きだということです。※ホテルにもよりますが・・・。先日出張で泊まったとあるビジネスホテルは悲しいぐらい狭くて汚くて,おかげで「ひとりCBT」をしまくっていました(笑)。

 せっかく出張で知らない土地に行くなら・・・と,事前に準備するのがストレスコーピングとして私は大好きです。実は明後日にもわりと近場で出張&お泊まりがあります。というわけで,先日から今日にかけて私が行っている準備とは・・・

●少しでも快適で安いホテル探し・・・予約サイトの宿泊感想欄を舐めるようにして熟読するのがポイントです。私が重視するのはバスルームです。できるだけ広くて清潔なところがいいです

●ホテル近辺のコンビニ情報収集・・・明後日の出張は,夜に移動して翌日の仕事に備えるというそっけないものです。こういうとき,私は外食しません。コンビニで夕食を仕入れ,部屋でダラダラと仕事しながら,御飯を食べます。というわけで,近くにどういうコンビニがあるかという情報は必須で,それによって心積もりが変わってくるのです。

●入浴剤を仕入れる・・・浴槽が気に入れば,出張で一泊する際,大体3回は入浴します。その入浴タイムを最大限に楽しむために,普段家の風呂ではあまり使わないような香りや素材の入浴剤を持参します。入浴剤をショップであれこれ物色するのが楽しいのです。

●移動中とホテル滞在時に読む本の選択・・・私の本棚には「出張用」の棚があり,とっておきの面白そうなミステリなどが出番を待っています。自宅なら,読み始めた本がつまらなければ取り替えることができますが,出張時にはそうもいきません。なので,「絶対に間違いない!」と思われる文庫本は,出張用に取ってあるんですね。その本棚を「今回はどれを持っていこうか」と物色するのが,またまた楽しいのです。

 というわけで,現時点で入浴剤の入手までは終わっています。あとは本選び。これは明晩の楽しみに取っておくつもりです。わくわく・・・

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2005年7月 7日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその7:“浦河べてるの家”について ③

  今日で「べてる」ネタをいったんお終いにします。しつこいようですが,詳細は 『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家   医学書院)を参照してください。

●「ネガティブな自動思考」は「お客さん」として付き合う

 先日私は,自動思考に「歪み」というレッテルを貼ることへの違和感について書きましたが,それは自動思考が「自分の(なかに生じる)思考」という前提があっての話でした。べてるの外在化能力は,そういう私の違和感など笑い飛ばすようなものでした。べてるでは,ネガティブな自動思考を「お客さん」と呼ぶのだそうです。

「お客さん」!!! 自分に生じる思考ではなく,外からやってくる「客」なのです。お客さんはお客さんだからこそ「ごめんください」と勝手にやって来るけれども,そのお客さんにどう対応するかは,「この私」が決められるのです。そしてどう対応するか決めるためには,そのお客さんがどういう客か,見極めなければなりません。見極めたうえで,そのお客さんとどう付き合うか,すなわち今後も来てほしいから丁重にもてなすのか,たとえお客といえどもお付き合いはまっぴらだから丁重にお引取り願うのか,むかつくお客だから喧嘩を売るのか,面倒くさいお客だから何を言われても無視するのか・・・etcについて,検討するのです。そして実際にそのお客さんとの付き合い方をあれこれ試しながら,自分にとって苦痛にならない付き合い方を見つけ,身につけていくのです。このようなプロセスは,CBTにおける強力な技法である“認知再構成法”に他なりません。

  以前私はこのブログのコラムで,中村うさぎさんの「ツッコミ小人」を自動思考に対するナイスなネーミングであると絶賛しました。中村さんの文章によれば,ツッコミ小人はあくまで自分の脳内に発生する小人らしいです。中村さんほどのパワーの持ち主なら小人のツッコミにいろいろと対応できるかもしれませんが,気の弱い,または気の小さな,あるいは気の優しい凡人は,さらに外在化を極めた「お客さん」として自動思考をとらえると,より対応しやすくなるような気がします。自動思考を「お客さん」と名づけるという営為に,まさに病気と共に生きるべてるの人たちの知恵が凝縮されているように思います。

  ちなみにべてるの人たちは,幻聴も呼び捨てにはしません。「幻聴さん」と呼び,丁重にもてなしたり,お引取り願ったりしています。そしてお客さんと同様に,幻聴さんとの付き合い方も,べてるの当事者研究の一大テーマなのです。

●病名も自分でつけるべてるの人たち

  当事者研究(自己研究)を通じて,べてるの人は,自分の病気や症状や問題や悩みをセルフアセスメントします。その結果,自分に合った病名を自分でつけるようになります。たとえば同じ統合失調症でも,「依存系爆発型統合失調症」,「統合失調症・体感幻覚暴走型」,「統合“質”調症・難治性月末金欠型」(“質”とは“質屋”の“質”です),「逃亡失調症」・・・などなどです。ちなみに最後の「逃亡失調症」はべてるの施設長の荻野さんの自己病名です。さまざまな理由により,気がつくと職場を放棄して「逃亡」しちゃうからです(逃亡先が自宅だったりするところが,お茶目です)。私が見学に行ったときは,幸いにも逃亡中ではなく,施設長としてべてるの説明や案内をしてくれました。

●山本賀代さんの自己研究

『べてるの家の「当事者研究」』(医学書院)から,お客さん(すなわち自動思考)についての考察を紹介します。当事者の一人である山本賀代さんの「研究論文」からの引用です。ちなみに山本さんの自己病名は「依存系自分のコントロール障害」だそうです。

別居後,身体上は平和を手に入れたわたしには,悪い<お客さん>との本格的なつきあいが待っていた。下野(注:元同棲相手)と同居していたときの<お客さん>は,すべて彼を悪者にしてわたしにケンカを売らせ,生活を破綻に導いていた。下野という爆発対象を失った<お客さん>は,以前そうだったようにわたしに矛先を向けてきたのだ。

わたしの<お客さん>のメインテーマは,あらゆる手段を使ってわたしを“死”へ導こうとすることだ。わたしの<お客さん>は過去の傷ついた経験から来ていて,その傷ついた経験に非現実的な恐怖感や不安感を加えることによって,わたしを現実の地道な苦労から遠ざけ,わたしの行動を制限させる。しかし一方で,それによって,実際の人間関係でこれ以上深く傷つくことからわたしを守っているのかもしれないと考えてきた。

だからこそわたしは,悪い<お客さん>にお茶を出し,頭の中に長居させていたのだが,ソーシャルワーカーと数人の仲間と始めた「日本語会話教室」という試みが,<お客さん>とのつきあい方を勉強するのにけっこう有効だった。日本語会話教室で学ぶうちに<お客さん>を一方引いて見て,自分が取り入れたい<お客さん>なのかどうかなど考えることが多少はできるようになった。

「日本語会話教室」とはおもしろいネーミングをしたなぁと思う。これは,「自分の言葉を取り戻そう」という発想から生まれたもので,『自分を愛する十日間トレーニング』という本を参考にしている。具体的には,小グループで週に一度一時間半ほどの時間で,ソーシャルワーカーの助けを借りながら,この一週間の<お客さん>状況を話したり,本を参考に自分に当てはめてロールプレイをする。

(略)悪い<お客さん>にジャックされて自分を責めているときに,大事な友達を励ましてあげるように自分に言ってあげるロールプレイはよかった。みんな,自分に対してはうんと辛口なのだが,友達に対してなら優しくなれるものだ。

(略)<お客さん>とのつきあい方で肝心なのは,やはり誰かにその<お客さん>の話ができることだ。一人で抱え込むと<お客さん>に完全にジャックされる確率が高まる。そしてできるだけ多くの人とかかわりを持つことで,<お客さん>もバラエティ豊かになり,つきあいやすくなることがわかった。

(『べてるの家の「当事者研究」』 pp.174-177

  認知再構成法のグループ学習をべてるでは「日本語会話教室」と呼んでいるというのも,素敵です。たしかに認知再構成法は,自分の中で起きている会話を,自分にとって苦しくないものに置き換えていこうという技法ですから,この「日本語会話教室」といタイトルは妥当だと思います。それにしてもべてるの人たちによる様々なネーミングは,極めてユニークで楽しいものが多いです。「認知再構成法のグループ学習やろうよ」と言われるより,「ちょっと日本語会話教室行かない?」と言われるほうが,よほどそそられますよね。

  以上,3回に分けて,CBTの視点から“浦河べてるの家”について書いてきました。べてるには年間数千人もの見学者が訪れるそうです。また「自分もべてるで暮らしたい」とやって来る当事者の方も多数おられるそうです。が,当然べてる及び浦河町のキャパシティには限りがあり,べてるの方々は,「皆がべてるに来るのではなく,それぞれの地域で“べてる的”な活動を実践してほしい」とおっしゃっています。私もその通りだと思います。しかし,一体どうやって,皆がそれぞれ自分の住む場所で“べてる的な活動”を実践すればよいのでしょう? ここに私はCBTの視点が貢献できる可能性があるのではないかと考えています。CBTの視点を用いて,べてるの家の活動を,ある程度一般化されたモデルとして提示するのです。時間はかかると思いますが,“CBTの視点を用いたべてるの家の活動のモデル化“ということを,自分のテーマとして追求していこうと私は考えています。

●今日のまとめの一言: 扱いに困るようなネガティブな自動思考は,「お客さん」とみなし,付き合い方を見つけていくのがよい。・・・という視点から,べてるの家の人たちは「日本語会話教室」というグループ学習を続けている。そして,このようなべてるの活動を,CBTの視点から一般化・モデル化することが,役に立つかもしれない。

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2005年7月 4日 (月)

【認知療法・認知行動療法】コラムその6:“浦河べてるの家”について ②

 というわけで,“べてるの家”について,続きです。

●「べてる祭り」にも行ってみた

 2003年の夏,べてるの日常を垣間見させてもらった私は,さらにべてるの活動に興味が沸いてきました。その根底には,べてるの活動とCBTの豊かさを,何とか自分なりにもっと理解したい,自分のCBTの実践に役立てたい,ひいてはべてるを引き合いにCBTの豊かさを人に伝えたい,という私なりの(自分勝手な?)動機があるのですが。

 そこで2004年の6月には,べてるの総会(べてる祭り)にも行ってみました。この総会は年に1回開催され,全国から当事者や対人援助を専門とするボランティアや専門家が集まって,べてるの活動や全国の当事者活動について発表したり,懇親したりするものです。ちなみに昨年,べてるの総会に行こうと思い立って,そのかなり前に浦河のホテルを取ろうとしたら,どこも満室でびっくりした記憶があります。べてるの活動がその土地の商業活動にしっかり貢献しているということが,このことでよくわかりました。(結局あるビジネスホテルに「どんな部屋でもいいから」と泣きついて,1室提供してもらったので,なんとか宿泊場所は確保できました)

 べてる祭り・・・堪能しました! 当事者研究についての発表を聞くのが,私がべてる祭りに行った主目的でしたが,種々の発表や出し物全てがとても面白かったです。

 おそらくこの総会(べてる祭り)のメインイベントは,「幻覚&妄想大賞」でしょう。幻覚や妄想を体験する人は,それをひた隠しにすることが多いのですが,浦河では,それを外在化し,いかに自分の幻覚&妄想がすさまじいかということを語ることで表彰までされてしまうのです。これは究極の“リフレーミング”ではないでしょうか。(残念ながら私は帰りの飛行機の都合で,幻覚&妄想大賞の表彰式を見届けることなく,退出せざるを得なかったのですが)

●当事者研究の素晴らしさ

 さて,その「当事者研究」です。

 先日お書きした通り,私は林園子さんとべてるショップでおしゃべりした際,べてるの「自己研究」=「当事者研究」について教えてもらいました。そしてCBT的な視点から,この当事者研究にいたく興味を抱いたのです。

 べてるの家では,毎日のようにミーティングが開かれています。その一つに,同じような問題を抱えている人たちが,自分たちの問題を「自己研究」するというものがあり,そこでメンバーは自分や仲間の問題について「研究」するのです。

 その当事者研究のプロセスは,以前私が「新世代CBT」とか「第二世代CBT」とここで書いたCBTのアセスメント(ケース・フォーミュレーション)のプロセスと同様のものです。

 当事者研究は以下の手順で進められます。

自分や自分を取り巻く状況がうまくいかないのは,一体どういうことなのか?という問いを立てる

現実場面でどんなことが起きているかをモニターし,それを絵や図に描いていく。すなわち悪循環を外在化する

 モニターや外在化をするなかで,「うまくいかないとき」のパターンに気づく。悪循環を維持させているポイントに気づく

 さまざまな気づきから学んだことをさらに外在化し,それを今後に生かす

 たとえば林園子さんは,自分が幻聴に襲われたり,何かについて不安になって他人に何度も確認してしまったりすることについて自己研究しました。その結果,自分がどういうときにそうなってしまうのかに気づき,またどうすればそういう自分を自分で救い出せるかを知り,それらを循環図として外在化しました。またそのことを仲間と共有しました。その結果,問題が解消するわけではないのですが,問題が発生したとき,自分がどういう循環に巻き込まれているのか自覚することができますし,仲間も同じ循環図を頭に浮かべて林さんの問題を同じように理解することができます。すると林さん本人,あるいは周りの人が,何らかの対処法に気づき,何とか悪循環から脱け出すことができるのです。

たとえば林さんはお腹がすいているとき,自分が非常にくどくなってしまうことに気づき,それを仲間にも伝えました。その後林さんは,お気に入りのヨーグルトを冷蔵庫に予め用意し,くどくなってきたらヨーグルトを食べて自分を落ち着かせることもできるようになりました。しかしそうもできず,仲間に対してくどくなってしまったとき,誰かが「あ,林さん,きっとお腹がすいているんだ」と思って,お菓子をあげたり,カップラーメンを届けてあげたりすることで,やっぱり林さんは,くどさの悪循環から何とか脱け出すことができるようになったのです。

 林さんの当事者研究で圧巻なのは,自分のくどさを中心とした問題に「くどうくどき」と名前をつけ,キャラクター化したことでしょう。彼女は実際に「くどうくどき」君という人形を作り,それを身につけるようになりました。そして自分がくどくなった時にその人形を見て,「また,『くどうくどき』が悪さをしている」と気づき,対処法を考えることができるようになったのです。これって究極の外在化ではないでしょうか。(さらにすごいのは,「くどうくどき」人形や,林さんの「くどさの悪循環」と「くどさから脱け出す良循環」とすごろくにしたものを,販売するべてるですが・・・・私もすごろく買いました!)

  それにしても,やはり私は,“べてるの家”や“当事者研究”の魅力をここでうまく表現できません。できれば,『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家 著,医学書院)をお読みいただければ,と思います。読み物としても面白いですし,CBT的な視点から読むこともできますし,お勧めです。これまで私は当ブログで「ひとりCBT」を提唱してきましたが,べてるの当事者研究は,いわば「みんなCBT」なのだと,本書を読んで改めて思いました。

●「問題志向」への確信

 ところで私は,セラピー(とくにCBT)とは,“協同的な問題解決の過程”であると定義づけていますが,その際,「問題」を志向すると考えるべきか,「解決」を志向すると考えるべきか(「べき」と堅苦しく考える必要はないのでしょうが,理論や研究を考える際には,このような問いも必要だと思います),実は数年間,自問自答しつづけていました。

しかし,べてるの活動を知り,実際に見学に行くなどしてその実態を目の当たりにしたことで,私のこの自問自答には一応決着がつきました。やっぱり,まずは「問題」を志向するんです! ケースによっては戦略的に「解決」を志向するという見せ方もあるでしょうが,やはり基本は「問題」を志向し,志向しつづけるなかで,おのずと対処法や解決法が見えてくる,という流れが,セラピーとしては自然だし,むしろ効果的であるということを,改めて理屈として納得するに至りました。

つまり,「どうするんだ?」ではなく,「一体,どうなっちゃっているんだ?」という問いにこだわるのです。これがCBTでいうアセスメント(ケース・フォーミュレーション)ですし,べてるの家の当事者研究なのだと思います。

  と,ここまで書いていてふと思ったのですが,ダイエットも同じなあ,と。理論的には行動療法が根底にある「体重測るだけダイエット」というのがあります。闇雲に「○○ダイエット」(○○には,「りんご」とか「ゆで卵」とか「炭水化物抜き」とかが入る)をするんではなく,ただ毎日体重を測るだけの方法です。そしてやはりこれってそれなりに効果があるのです(あくまでも「それなりに」ですが)。つまり痩せたいがゆえに「○○ダイエット」を試みるのではなく,「いったいどうなってるの?」ということを,体重を毎日モニターすることで,むしろ体重が減らないメカニズム(すなわち悪循環)に自分で気づき,あえて「○○ダイエット」といった大それたことにチャレンジしなくても,日々,小さな工夫をすることによって,気づいたらそれなりに体重が減っていた!というやり方です。これがまさに「解決志向」ではなく,「問題志向」または「問題解決志向」なんだと思います。

 べてるの家の人たちも,「べてるは問題だらけ」だと言っています。そして「問題だらけでいいじゃないか」と。これは単なる開き直りではなく(開き直りでもいいのですが・・・開き直った時点で「問題」はすでに「問題ではない」とも言えるので),「問題だらけである現状を認めようよ」という出発点を示しているのだと思います。そしてやっぱり「問題だらけである現状を認めた」時点で,その現状に対する認知はすでに変化しているとも言えるのです。

 ・・・ぐだぐだ書いていますが,やはりべてるの活動を,私が端的に表現するのは難しいです。くどいようですが,『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家 著,医学書院)をお勧めします。(林園子さんの「くどうくどき」が乗り移ってきたか・・・???)

●今日のまとめの一言:“浦河べてるの家”の当事者研究は,究極の「ひとりCBT」ならぬ「みんなCBT」である。そしてべてるの家の当事者研究は,「問題志向」の重要性を示すものでもある。

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2005年6月30日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその5:“浦河べてるの家”について ①

●「べてるの家」の活動には,CBT実践のヒントが詰まっている

  前回,「問題解決法」について掲載すると予告しましたが,ちょっと予定を変えて,“浦河べてるの家”について,書いてみたいと思います。というのも,たまたま今日電車で『べてるの家の「当事者研究」』(浦河べてるの家 著,医学書院)という本を読んでいたら,その「あとがき」で,べてるの家のメンバーの一人であった林園子さんが,昨年(2004115日)に亡くなっていたということを知ったからです(享年35)。

  私は“浦河べてるの家”という活動・コミュニティに,CBTの研究者・実践家として並々ならぬ関心を持っています。その経緯について今日は述べたいと思います。

  私が現場でCBTの実践を始めて,それなりの年月が経ちますが,CBTをやればやるほど実感されるのが,「テキストに書いてあるよりも,現場でのCBTはもっと豊かで役に立つ」ということです。テキストに書かれているCBTの理論やモデルやマニュアルはとてもスマートです。そしてその通りにCBTが進めば,なんて効率的かつ効果的なんだろう,というものでもあります。

  が,何でもそうですが,マニュアル通りに物事が進むなんてことは,現実にはあるはずもなく,また私がCBTを始めた当初はCBTのスーパーヴィジョンやワークショップなどを日本で受ける機会もほとんどなく,「どうすればいいんだろう」と壁にぶち当たるたびに,当事者であるクライアントさんと相談しながら,CBTを進めていくというやり方を取っていました。そしてそのようなやり方のおかげで,【クライアントさんとともに創り上げていくセラピー】というものを体得したように思います(と言っても,まだまだなんですが・・・泣)。また,CBTでの対話や実践を通じて,クライアントさんの自助力が回復したり向上したりすることを目の当たりにし,人間が本来的に持っている回復力や自助力に対する信頼感が,私自身のなかに育まれていったように思います。つまり決してスマートには進まない現場のCBTだからこそ,そこから得られる豊かな副効果のようなものが,多々あるのではないかと思うのです。

  しかしこういうことってCBTのテキストにはあんまり書かれていませんし,私も研究会や学会等でCBTについて発表することがそれなりにあるのですが,上記のような実感を伝えたいなと思いつつ,うまく伝えられないもどかしさをずっと抱えていました。

  また以前私は,精神科デイケアの運営に56年ほど携わっていたことがあり,CBTとは別に,“場”やコミュニティの持つ力というのを,デイケアで何度も目の当たりにしました。担当医師と担当カウンセラー(私)が何年も奮闘した事例が,クライアントさんがデイケアに通い始めるだけでいきなり展開することがよくあり,“人と人が関わる場”の持つ力のすごさを実感したのでした。(もちろん良いことばかりではなく,その力がネガティブな方向に働けば,むしろ大変なことになるわけですが,大変なことから皆で学ぶということも,それはそれで重要な体験だったように思います。)

と言っても,当時は「すごいな~」「へえ! こんなことが起きるんだ~」とひたすら感心していただけですが(笑)。さらに書いていて思いましたが,今でも大して変わりません。クライアントさんの起こす変化に対して,あるいはクライアントさんがいつまでも変化しないことに対して,「へぇぇぇぇ!」と感心しているだけのセラピストなのでした,私は・・・。

  ともあれ私は精神科での個人臨床(CBT)を通じて,CBTの豊かさ,人の自助力のすごさ,人と人が関わる場の持つ力,の3を学んだのですが,それをうまくまとめたり,伝えたりすることができずにいました。そんなとき新聞記事でたまたま,“べてるの家”について知ったのです。興味を持った私は,早速,べてるの家に関連する本を何冊か読んでみました。そして,私が学んだのに伝えられない上記の3点が,べてるの家の活動としてまさに集約されていることに,気づいたのでした。

●「べてるの家」のミーティングやSSTを見学してみた

  「これは絶対に浦河まで行って,実際の活動を見学しなければならない」と私は考え,念願かなって2003年の夏,23日で北海道の浦河町に滞在し,べてるの家の活動を見学することができました。授産施設でのこんぶの袋詰め作業,グループホームでの定例ミーティング,べてるの家が経営するショップ(「4丁目ぶらぶら座」というナイスな店名です),浦河赤十字病院でのデイケア活動,スタッフと当事者によるSST・・・などなどです。

  私の言語力では,到底そのときに受けた強い印象を説明しきれないのですが,「とにかくすごいことがこの浦河で起きている」ということは間違いない,と確信しました。と書くと,何か特別なことが行われているという印象を与えてしまいそうなのですが,そうではなく,上記CBTの豊かさ,人の自助力のすごさ,人と人が関わる場の持つ力,の3が,“べてるの家”の日常において,ごく当たり前のように実現されているという,それだけのことです。でも,そういう「それだけのこと」が逆に言うと,精神科医療やセラピーだけでなく,私たちの日常生活においても,実はなかなか実現されていない,ということなのだと思います。

  とくに当事者主体のSSTは素晴らしかったです。べてるの人たちは,SSTを「認知行動療法」であると認識して,実践しています。どこかで読んだのですが,SSTのパイオニアであるリバーマン博士も,一度浦河まで出向き,べてるのSSTを見学して大層感心したということですが,私は感心どころか,感動しまくっていました。これだけ生き生きとしたCBTの実践を見たことはありませんでしたし,また,そのような実践が,日々,なんでもないことのように行われている「べてる」という場を,ほんの少しの間でも体験させてもらったことで,やはり上記CBTの豊かさ,人の自助力のすごさ,人と人が関わる場の持つ力,の3に深く感じ入ったのでした。

  特に私は,自分が日々の臨床において小さく感動している“CBTの豊かさ”を,“べてるの家”が具現していると確信しました。そこでSSTだけでなく,べてるの家の様々な活動を,CBTの視点から何らかの形でまとめ,提示し,共有してみたい,と思うようになり,今でもそのように強く思っています。(残念ながら,未だに思っているだけで,行動に移していないんだが・・・)

  それにしても,べてるについて書こうとすると,どうしてもうまく書けない。何か書くと,何かがこぼれ落ちていく気がしてなりません。というわけで,興味を持たれた方は,べてるの家のホームページを参照してください。

http://www.tokeidai.co.jp/beterunoie/top.html

●林園子さんとのおしゃべり

  さて今回,いきなり“べてるの家”の記事を書くことにしたのは,冒頭に書いたとおり,メンバーであった林園子さんの訃報を知ったからです。2年前,私が「べてる」の見学に行き,べてるのショップをうろついていたときに,話し相手をしてくれたのが,ちょうどそのときに店番をしていた林さんでした。

  林さんは初対面の私に,ご自分がべてるの家のメンバーになるまでのいきさつを話してくれました。そして今,ご自分が取り組んでいるテーマ(当事者研究)について,お話ししてくれたのです。

  べてるの家の当事者研究については,次回書きますが,この話を聞いたときに,私が言語化できないままずっと感じ続けてきたCBTの豊かさの意味が,ようやくわかった気がしました。また自分に問い続けていた,“問題解決志向”と“解決志向”の違いは何か,ということについても,自分なりに答えを出すことができました。べてるの家を知って,私の実践するCBTも,前よりちょびっとは豊かになったように思いますし,クライアントさんのもつ力を理屈抜きでより信じることができるようになりました。

  さらに今では仲間と「べてるプロジェクト」なるものを勝手に立ち上げ,べてるの研究を始めようかという相談をしていたりもします。

  その発端は,やはりあの日,あのショップでの,林さんとのおしゃべりだったのだと思います。昨年,WCBCT(世界行動療法認知療法会議)という国際学会で,私は偶然林さんにお会いしました。(※べてるの人たちは,今や国際学会で講演をよくなさっているのです!) 林さんは私のことなど忘れていましたが,私は見学したときに自己研究について教えていただいたことのお礼を述べ,機会があったらまた浦河に出かけて林さんや他のメンバーさんに自己研究についてインタビューしたいと申し出ました。

  しかしそのような機会を作らないまま,林さんが亡くなっていたことを,今日私は知り,「悲しい」とかそういう感じではなく,とにかく「ああ!」と思いました(これがその時の唯一の自動思考です)。そして今これを書いていて感じるのは,2002年に浦河にたどり着き,2004年に急逝された林さんと,たまたまおしゃべりする機会を与えられたことに対する感謝の念です。林さんやべてるから得たことを,私が「べてる!」「べてる!」と大騒ぎするのではなく,自分の日常,すなわち自分が毎日実践している臨床において,静かに生かしていくのが,まず私がするべきことなのだと思います。

  が,せっかくここで「べてるの家」について書いたので,もう少しだけ,次回と次々回に書き足してみたいと思います。

●今日のまとめの一言:CBTの豊かさ,人の自助力のすごさ,人と人が関わる場の持つ力,の3点が「べてるの家」に集約されている。とも言えるが,その3点はごく当たり前のことだとも言える。(まとめになっていない,「まとめの一言」でした)

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2005年6月27日 (月)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その6:認知再構成法 技法①

CBTを通じてさまざまな技法(スキル)を身につけることができる

  いったんここで(といっても何回かに分けて記事にする予定)で,「ひとりCBT」についてのシリーズを終えたいと思います。いずれこのブログで,「ひとりCBT」で身につけていただくと良い技法について,具体的に詳しく紹介したいと思っていますが,ひとまず先日挙げたテキストなどを活用し,進めていただくことができるでしょう。今回から,CBTにおける代表的な技法についてごく簡単に紹介し,どのような使い方ができるのかということについて少しだけ説明を加えたいと思います。

ただし,これから紹介する技法を全て身につけていただきたいということではありません。もちろん興味のある方は全部習得することも可能ですが,ご自分に必要な技法をチョイスして,練習し,少しずつ日常のセルフヘルプに役立てていただけたらと思います。

  今日と次回はCBTの二大技法ともいえる,“認知再構成法”と“問題解決法”について紹介します。

●【認知再構成法】

 

いわゆる“コラム法”です。ストレスを感じたときに生じた自動思考をキャッチし,別の考えを見つけ出し,ストレスを和らげようというのが,この技法の目的です。

  本によっては,「自動思考における認知の歪みを同定し,合理的に考えられるようにしましょう」といったニュアンスのことが書かれてありますが,別に自分の自動思考を「歪んでいる」などと考える必要はありません。(嫌じゃないですか? 自動的に浮かぶ自分の考えを「歪み」などと決めつけるのは・・・。少なくとも私は自分の思考が「歪んでいる」などと他人に指摘されたくありませんし,他人にも指摘したくありません)

  「歪んだ自動思考を矯正する」ということではなく,「自動思考は自動思考として置いておき,少し冷静になって自分の自動思考を検討し,別の見方をあれこれ考え出して,結果的に考えの幅が広がればよい」という程度に受け止めて,認知再構成法の練習をしていただけたらと思います。

  この技法は,はじめはツールを使って,丁寧にやる必要があります。通り一遍に大雑把にやってもあまり効果はみられません。したがって少し面倒でも,最初はツールに書き込むとか,PCに入力するなどしてご自分の体験を外在化して,進めていってください。最初は少々面倒かもしれませんが,とにかく丁寧にツールを使って進めることが上達の早道です。慣れてくれば,ツールを使わなくても,頭の中でササッとできるようになりますが,「最初はとにかく丁寧に!」というモットーでやってみてください。

●今日のまとめの一言:認知再構成法(コラム法)は,「認知の歪みを矯正する」のではなく,「認知の幅を広げる」ものだと考えよう。面倒でもツールを使って丁寧に実施することが不可欠である。

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2005年6月20日 (月)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その5:事前にサポート資源を確保しよう

CBTの副作用(?): 専門家が実施する場合の注意点

  「認知療法・認知行動療法(CBT)の副作用は?」という質問をときどき受けることがあります。CBT全体としてどのような副作用があるか,ということについては,実ははっきりとはわかっていません。私見としては,CBTが特に重篤な問題を引き起こすことはないと思いますが,個別のケースにおいては,安全にCBTを進めていくべく注意を払う必要があるとは思います。たとえばクライアントさんが,ホームワークを強迫的にやりすぎてしまう場合には,ホームワークの設定の仕方に注意するといったことです。

  セラピストがクライアントさんと行うCBTがうまくいかない事例をときどき見聞きしますが,それはCBTの問題ではなく,CBTの適用の仕方の問題であることが多いと思います。とくに初心者は,アセスメント(事例定式化)や目標設定を丁寧に行わずに,いきなり技法を提示してしまい,ケースが行き詰ってしまうことが多いようです。かくいう私も,いまだにうまくいかないことがあり,検討してみると,やはりCBTの問題ではなく,私自身のCBTの運用の仕方が良くなかったと反省することがあります。私を含め専門家は,とにかく日々の訓練を怠らず,クライアントさんに役立つようにCBTを実践できる力をつけるしかありません。

  しかし今日ここでお伝えしたいのは,CBTの適用・運用についてではなく,CBTの背景にある思想に関わるようなことについての注意点です。CBTを学び,実践し,世に広めたい私ではありますが,だからこそ常に心に留めておきたいと自戒していることでもあります。

CBTの弊害(?): 「考え方さえ変えればよい」という考えの危険性

  それは「考え方(と行動の仕方)さえ変えればよい」という考え方です。CBTはその名のとおり,個人の認知と行動に働きかけるセラピーです。もちろん,その人が自分のストレスを維持させている認知と行動を,よりよい方向に修正するためのスキルを身につけることはとても役に立ちます。が,ちょっと間違えばCBTの発想は,「とにかくその人が自分の認知と行動を変えればよい」という発想に結びついてしまいがちです。これはとても危険なことだと思います。

  当然のことですが,私たちは一人きりで生きているわけではありません。ストレスは,必ずある状況におけるさまざまな外的要因と複雑に関連しています。特にその人が属する社会や組織のあり方や,その人をとりまく人間関係と,その人のストレスは密接に関わっています。したがって,そのような関わりにおいてストレスを感じてつらい思いをしている当事者だけに,対処のための努力を求めるというのは,場合によってはむしろ逆効果になることがあります。

  当事者をとりまく状況や人間関係があまりにもストレスフルな場合は,むしろその状況や人間関係の調整を先にするべきですし,そうしなければ,本人がいくら頑張っても状態が良くならず,いつかその頑張りに疲れ果ててしまう,ということが起こりかねません。

  私は現場でCBTを日々実施しておりますが,その方をとりまく状況や人間関係が,その方の回復のためにうまく機能していない場合は,先にそちらを調整するようにしています。そしてその方が安心してCBTに取り組める環境がある程度整ったら,当事者との本格的なCBTを開始します(広義のCBTとしては,このような環境調整も含まれると思いますが)。

たとえばうつ病のクライアントさんと一緒に暮らすご家族の方々に,もう少し病気やその治療について知っていただくことで,家族のサポートが向上しそうだということであれば,ご家族と心理教育的な面接をして,クライアントさんに対するサポートを依頼します。これもケースによりますが,1度でもそのような環境調整のためのセッションを設けることで,サポート環境が改善し,クライアントさんの状態が少し良くなったり,安心してCBTに取り組めるようになることは,よくあることです。「家族なんか助けにならない」というクライアントさんの認知を直接扱うよりも,実際にご家族のサポート力が上がることで,クライアントさんが「少しは自分の家族も助けになるんだ」と結果的に思えるようになるほうが,むしろ望ましいことだと私は思います。

  ※余談ですが,以前私は数年間,企業のメンタルヘルス活動に直接携わったことがあります。たとえば異動や配転がらみで抑うつ症状などが発生し,当事者が再異動を希望する場合には,人事と相談して,当事者の望みをかなえる方向で,再度調整をするといったケースがかなりありました。そのようなケースの予後は,おおむね極めて良好でした。合わない環境で本人につらい努力を要請するよりも,関係者の協力を得て環境調整するほうが,結果的にはコストもかからないし,皆がハッピーになるというケースが多くあることを改めて実感しました。そういう意味では,個人のストレス対処能力にばかり責任を持たせるような風潮が,最近見られなくもないですが,あまり望ましいこととは思えません。CBTがその片棒をかつがせられないよう,注意しなければなりません。

●一人で頑張る前に,サポート体制をととのえよう

  そこで「ひとりCBT」を行う人にお願いがあります。一人で頑張ってCBTを身につけることは大変素晴らしいことだと思いますが,その前に,できるだけご自分をサポートしてくれる人(サポート資源)をみつけ,自分をとりまくサポート体制(サポート環境)を整えておきましょう。100%自分を理解してサポートしてくれる人でなくても構いません。「このことについては,この人に相談できる」,「この件については,この人が話を聞いてくれる」,「このことについて困ったら,この人にアドバイスしてもらおう」というように,少しでも自分を手助けしてくれそうな人を見つけておき,できれば紙に書き出しておくと良いでしょう。その際,ネットにおける匿名の関わりもうまく使うと良いでしょう。私たち専門家も,そんなふうにサポート体制の一部として,うまく使っていただけたらと思います。

  こんなふうにできるだけサポート体制を整えてから,「ひとりCBT」を開始してみていただきたいのです。専門家と一緒に行うCBTであれ,「ひとりCBT」であれ,そんなにスイスイとスムースに進むことはなく,ときには行き詰まりを感じることもあるでしょう。そんなとき,「やっぱり自分は駄目なんだ」と一人で嘆くのではなく,その行き詰まりについて誰かに話せたり,アドバイスをもらえたりすれば,また気を取り直して「ひとりCBT」にチャレンジする気になれるかもしれません。たとえ直接的なアドバイスをもらえなくても,「ひとりCBTに挑戦しているんだけど,なかなか進まない」といった愚痴を,誰かに聞いてもらえるだけで,ちょっとした助けにはなるはずです。

  そしてこのブログも,「ひとりCBT」のささやかなサポートになれば,さらに嬉しく思います。

●今日のまとめの一言:誰かと話をしたり,誰かが自分を理解しようとしてくれたり手助けしてくれたり・・・といった人との関わりのなかで,私たちは暮らしている。CBTはセルフヘルプ促進を手助けするものだが,「ひとりCBT」を一人で頑張ってやる前に,できるだけ周囲の人たちにサポートしてもらうことを考えよう。

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2005年6月18日 (土)

今日のストレスコーピング(4):マニキュアを塗る

 これは男性の方にはなかなかわかりにくいコーピングかもしれません。

 私は以前は楽器をやっていたこともあって,マニキュアはほとんど塗ったことがなかったのですが,あるクライアントさんと出会ってからマニキュアに興味を抱き,今ではこれも大事なストレスコーピングのひとつになりました。

 マニキュアを塗るときって無心になれるんですよね。というのも,間違えると台無しになってしまい,やり直しをするのが大変ですから,塗るときはその行為に集中せざるを得ないのです。そういうわけで別のことに気を取られてそれからなかなか脱け出せないときも,一度マニキュアを塗り始めると,それに100%集中するので,その間だけでも嫌なことから気をそらすことができるのです。

 マニキュアの効用はそれだけではありません。自分の爪がきれいに光っているというのはなかなか気分のいいもので,うまく塗れたときは,その後何日か,自分の爪を見ては,「まあ,綺麗!」とちょっとした自己満足に浸れます。人間ってきれいに光っているものが本能的に好きなのではないかと思います。自分の手先はしょっちゅう目線に入りますから,そのたびにほんの少しでもいい気分になれるというのは,ささやかながらも役に立つコーピングだと思います。

 もう一つマニキュアの効果としては,「育てる気持ち」を持てることだと思います。マニキュアを綺麗に塗りたければ,自分の爪を大事に育てなければなりません。爪は必ず伸びますから,どうせ伸ばすなら大事にきれいに育てようという気持ちになります。何かの世話をすることがストレスコーピングとして有効であることはよく知られていますが,植物や動物だけでなく,爪の世話もそれに入ると思います。

 さらにもうひとつ。爪って1週間も経てばかなり伸びることは皆知っていることだと思いますが,マニキュアを塗っていると,確実に爪が伸びているのを実感することができるのです。何だかよくわかりませんが,伸びた爪を見ると,「とにかく自分は生きているんだなあ」としみじみと思うことがあります。髪の毛も伸びますが,それよりも爪の伸びのほうが,「生きているから伸びているんだ」と実感しやすいのです。

 他にも,色彩を楽しむ,マニキュアが乾くまでの匂いや除光液の匂いを楽しむ,マニキュアを塗ったつるつるの爪の感触を楽しむといった,五感を使う楽しみもマニキュアにはあると思います。

 もうひとつ言ってしまえば,「安い」「お金があまりかからない」というのも重要かと思います。コストがあまりかからないストレスコーピングは,それだけでとても魅力的です。

 このように徒然に書いていて改めて実感しましたが,マニキュアって,人間のもつ多様なモダリティ(感覚機能)に関わる効用を持っているのですね。

 ま,唯一の難点は,昼間外にいて自分のマニキュアが剥げてしまったのを見つけてしまうと,そのことが気になってむしろストレスに感じることがある,ということでしょうか?

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2005年6月16日 (木)

今日のストレスコーピング(3):気分のよいお店に寄る

  私は通勤時にその日の昼御飯をコンビニに寄って買っていきます。その是非はともかく(笑),選択肢となるコンビニは自宅近くに数件,職場付近にも数件あり,その日の気分で立ち寄るコンビニを使い分けています。

 各コンビニには一長一短があり,一番品揃えがよく,美味しいお弁当を購入できるコンビニAは,店員さんの対応があまりよくありません。しかも品揃えがいいがゆえにいつも混んでいて,長い時間並んで待つこともよくあります。その近くにある別のコンビニBは,品揃えは今ひとつですが,そこでパートで働いている●●さんというおばちゃん(と言って失礼ならば,お姉さん)が最高に感じがよく,時々立ち寄るにすぎない私のような客のことを良く覚えてくれていて,レジで支払いをする時に,とにかくいつもとても気分が良いのです。

 今日は朝から雨ということもあって(雨,大嫌い!),また,一日の予定がびっしりで,出勤時から私はちょっと気が重かったんです。こういうときはどうするかと言うと,コンビニAの前を通り越して,お気に入りのパートの店員さんがいるコンビニBを偵察に行きます。そしてその●●さんがレジにいることが確認できたらコンビニBで買い物し,●●さんがいないとわかったら,コンビニAまで戻って昼御飯を買いに行きます。●●さんの晴れやかな挨拶と客さばきに接すると,とてもすがすがしい気分になり,ほんの一瞬でも「ああよかった! 今日も一日頑張ろう」という気持ちになるからです。そしてラッキーなことに,今朝はコンビニBをのぞくと,●●さんの姿が見えたのです。

 というわけで私はB店に入り,品揃えの薄いお弁当類から何とか昼食に適した商品を選び,レジに行きました。●●さんはいつもの晴れやかな挨拶と対応ぶりでてきぱきと接客してくれました。私はお弁当は箸ではなくフォークで食べたいのですが,今日も「フォークでしたよね?」と言ってフォークを袋に入れてくれました。

 それだけのことなんです。が,とにかくいつも何かちょっと得したようないい気分になります。それには2つの理由があると思います。ひとつは彼女の挨拶がとても気持ちの良いものであること。もうひとつは,彼女が私のことをちょっとだけでも知ってくれており,私の好みに応じてちょっとした配慮をしてくれるということ。

 たとえ個人的なつながりはなくても,コンビニBに行けばそういう人がいて,気持ちよく挨拶でき,気持ちの良い対応をしてくれるということを知っている,ということはとても大事なことだと思います。ストレス理論でいう「ソーシャルサポート」というのは,本来,心理的にあるいは立場的に近しい人だけでなく,この●●さんのような,身近にいるちょっとした人を含めて考えると良いと思います。このようなか細い関係性でも,それが生活のなかでたくさんあれば,仕事がうまくいかないときでも,家族や恋人や友人とうまくいかないときでも,ちょっとだけ元気づけてもらえるような気がするのです。そしてたった少しでも他者との関わりのなかで元気づけてもらえるような体験ができれば,そしてそういう体験ができることを知っていれば,それ自体が有効なストレスコーピングになるのではないかと思います

 おそらくひと昔前であれば,そのような役割を「商店街」が担っていたのかもしれません。しかし少なくとも私の身近では「商店街」は「商店街」として機能しておらず,いつもは大きなスーパーマーケットで買い物はまとめて済ませています。だからこそ日頃立ち寄るコンビニとか,薬局とか,キオスクとか,コーヒーショップとか,要は何でもいいのですが,気分よくちょっとした買い物ができるお店をいくつか知っておくというのは,ストレスコーピングとしてはお手軽で効果的である思うのです。

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2005年6月15日 (水)

今日のストレスコーピング(2):終わりの時間を決めてしまう

 昨日に引き続き,つなぎネタです。

 最悪でも来週前半までにどうしても仕上げたい原稿仕事があって(もちろんCBTに関する原稿です!),ひぃひぃ言っています。原稿書きでエネルギーを使うと,同じく「文章を書く」というブログ活動とバッティングしてしまって,両方を頑張るというのは,どうやら私には無理なようです。

 というわけで,今日も業務の合間や通常の業務終了後に原稿を書いていたのですが,こういう仕事はきりがないので,その気になれば夜中までやってしまうことになります。しかし,そのうちお腹が空いてきました。それに明日はクライアントさんとの予約がぎっしりで,それなりに睡眠を取っておかないと明日,最後のセッションまで自分がもたない,ということにふと気づきました。

(他の臨床家はどうか知りませんが,私は睡眠不足でクライアントさんと面接しつづけると,かなりしんどいです。結局それってセッションの質の低下につながりますので,職業倫理的にも睡眠確保というのは重要だと考えています。・・・が,「それって単なる自分の思い込みかも」とか,「単に歳をとって,弱ってんじゃないの?」とか,私のツッコミ小人がささやいてきたりもしていますが,無視!・・・笑)。

 で,夜10時をまわったときに決めました。「どんなに原稿書きがノッていても,どんなに中途半端な状態でも,とにかく10時半にはオフィスを出る!」と。言ってみればCBTの「活動スケジュール法」という技法のアバウトな適用ということになりますが,ここで重要なのは,自分で決めた「終わりの時間」を自分で守るためのしかけ作りです。別に私が10時半にオフィスを出なくても,誰も私を罰しはしないのです。もしその時間の原稿書きにノッていたら,むしろ自分のなかでは「もっとやっちゃえ!」と,自分で自分をあおってしまうかもしれません。したがって自分で決めた終わりの時間を,何とか自分で守るために,何らかの手を事前に打っておく必要があります。

 今日私が作ったしかけは,よくやることなんですが,でかでかと「10時半に帰る!!!」と書いたポストイットを何枚も用意し,パソコンのモニターの上の部分,デスクでもマウスを使うあたりの部分,オフィスのトイレの壁(トイレに入ったとき真っ先に目に付く場所),今日の仕事で何度も見返す資料などにベタベタと貼るということでした。さらに携帯のスケジュール機能を使って,10時25分に携帯の音楽が鳴り,「死んでも10時半に帰る!」という文言が携帯の画面に表示される,というようにもしました。

 これだけしつこくされると(自分で自分にしつこくしているに過ぎないのですが・・・笑),さすがにどんなにノッていても,「もう止めにして帰らないとな」という気になってきます。気が削がれると言えばそうなんですが,しかし上にも書いた通り,時間など物理的な都合でどこかでケリをつけなければならないとき,自分の意思の力だけに頼るのはなく,むしろ自分でケリをつけられるように,予めしかけておくというのが有効なのではないかと思います。よく「自分を信じて」などと言いますが,こういったことについては自分を信じているとろくなことにならないので,むしろ「未来の自分は何を考えてどうするのか,今の自分には信用できない」ぐらいの軽い不信感で,対策を立てておくほうが,結果的には後でつらい思いをしないで済むこともあるのではないかと思います。

 以上,2日続けてささやかな私のコーピング話でした。原稿仕事が終わらぬ間はもしかしたら,こんなネタが続くかもしれません。ごめんなさい(誰に対して謝っているんだか・・・苦笑)。

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2005年6月14日 (火)

今日のストレスコーピング(1):辛いものを食べる

 このところ出張続きで,またいろいろと仕事に追われまくっていて,更新ができていません。何の義理も義務もないブログなのですが,自分自身で「また今日も更新しなかった」と考え,ちょっと暗い気分になったりするのです。

 これがかの“ブログ・ストレス”かと実感しました。

 そこでストレスを有効活用するはずの認知行動療法家としては,このチャンスをふいにするのはあまりにももったいないので,ブログを更新できないような日々に自分がどんなストレスコーピングを行なっているのか,モニターし報告することにしました。

 ふだんはUPする前に,下書きを作り,何度か推敲するのですが,この【今日のストレスコーピング】に限っては,あえてそのような作業をしないことにしました。ぶっつけ本番で書いてすぐ公開してしまいます。といっても,別に大したストレスコーピングを実践しているわけでは決してありませんで,むしろ「くだらん!」とバカにしていただくぐらいが私としては本望のような気がします。

 というわけで,今日のストレスコーピング。 「辛いものを食べる」です。時間のないときに私が手っ取り早く選択するコーピングです。

 別に辛い料理を作るとか,買って帰るとか,どこかに食べに行くのではないのです。家に一味唐辛子とか七味唐辛子とかチリペッパーとかタバスコとかハバネロエキスとか鷹の爪とか,辛味系スパイスをストックしておくのです。で,その日の夕食のメニューとか味付けに合わせて選択し,後はそれを死ぬほどトッピングするだけです。

 私の周りにも辛いもの好きな友人が結構います。なぜか女性が多いけど,男性もいる。死ぬほど辛いものを食べながら,「ひ~ 死ぬかも~」と叫ぶのに快感を感じるようです。私もそうです。特に仕事なんかであれこれあって,いつまでもそれをグルグル考えつづけて,自分でそれをストップできないときに,この「辛い食べ物コーピング」は役に立ちます。あまりの辛さに,ものを考えられなくなるのです。そして数分後に立ち直ったときには,そのグルグル思考から気づいたら逃れていた,というわけです。

 何が解決されているわけでもないのですが,物理的な要因によってグルグル思考が一時的に中断されただけで,もう私自身の嫌な感じも中断されてしまうんですよね。その分ちょっとだけ自分が楽になったのに気づくと,「たかが食べ物,されど食べ物」だと実感します。

 というわけで,今回の週末の出張ではホテルで一人で食事することが予測されましたので,一味唐辛子の瓶も持参しました。結局近くのコンビニで夕食を調達し,ホテルで食べながら仕事するという味気ないものでしたが,それでもコンビニで買ったおかずに一味をバカバカふりかけて,辛い分満足して食事を終えました。

 長々と書いたわりには,無内容な記事になってしまいましたが,今後も更新できないときはこんな感じで苦し紛れに続けてみようと思います 。

 失礼しました!

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2005年6月 7日 (火)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その4:“ひとりCBT”に適した本(応用編・抑うつ以外の問題への対応)

  入門と抑うつ対象以外の,「ひとりCBT」(一人でやる認知療法・認知行動療法)の参考書について簡単にご紹介します。どれもさほど高い本ではないので,興味を持った方は実物を入手していただければと思います。

デニス・グリーンバーガー&クリスティーン・パデスキー 『うつと不安の認知療法練習帳』 (創元社,2001年,1890円)

  うつ病だけでなく,不安障害(とくにパニック障害)についても十分に記載されてあるCBTの自習用テキスト。非常にわかりやすく,ワークシート等も充実しています。CBTを受けにくるクライアントさんのなかでも,「この本を読んだ」という方は多くいらっしゃいます。

  ただし本書を読んだ方が,その後CBTを受けにいらっしゃるケースがわりと多いというのはどういうことか,とふと考えてしまいます。(もちろん本書を上手に使ってセルフヘルプされる方は,CBTを受けにはいらっしゃらないので,実態はよくわかりませんが・・・) そこでアマゾンの本書のレビューを見たら,「この書は、心理療法というカテゴリーでくくられているために、一般の人たちにはあまり使われないだろうが、「うつ」でない人間にも十分に役立つ。他者との共同生活を十分に営むためのノウハウが、書き込まれているのである」といった記載を見つけました。

  やはりそれなりに内容が濃く,ボリュームもあるので,具合の悪い人が取り組むよりは,本書も『いやな気分よさようなら』と同様に,健康な人がセルフヘルプのために活用するというのが適当なのかもしれません。ちなみに私がクライアントさんとCBTを行う際,副教材として一般書を薦める場合があります。以前は,『いやな気分よさようなら』か,本書『うつと不安の認知療法練習帳』を勧めていましたが,今は,大野先生の『こころが晴れるノート』に絞っています。やはり調子の良くない人には,やや負担になる内容と分量だと思います。その意味では,大野先生の本を終えた方や,専門家とのCBTを終えた方が,仕上げとさらなる応用のために本書を参考にするのが良いのではないかと思います

  ※余談ですが,本書は,CBTについて偏見を持っている臨床家(とくに臨床心理士)にこそ入門書として読んでいただくと良いかもしれません。CBTの基本モデルについてばっちり説明されていますし,“認知再構成法をクライアントさんにやらせて「歪んだ認知を修正する」ことを目的とするのが認知療法ではない”ということが,本書を通じてご理解いただけるかと思いますので。(毒のある文面だったらすみません。「認知療法=クライアントの認知の歪みを矯正する強引な療法」という誤解が,臨床心理士業界では結構はびこっているんです)

ギャビン・アンドリュース 『不安障害の認知行動療法 (1) パニック障害と広場恐怖 患者さん向けマニュアル』 (星和書店,2003年,1050円)

ギャビン・アンドリュース 『不安障害の認知行動療法 (2) 社会恐怖 患者さん向けマニュアル』 (星和書店,2003年,1050円)

ギャビン・アンドリュース 『不安障害の認知行動療法 (3) 強迫性障害とPTSD 患者さん向けマニュアル』 (星和書店,2005年,1050円)

  今回は,この3冊を紹介するのが主眼だといっても過言ではありません。著者はオーストラリアで,CBTの臨床と研究をバリバリにやっておられるプロフェッショナルです。「エビデンス(証拠・実証)に基づく精神医学」を世界に先駆けて提唱された方でもあります。

この3冊はすべて「患者さん向けマニュアル」として出版されています。(1)がパニック障害に特化した参考書,(2)が社会恐怖(社会不安障害)に特化した参考書,(3)が強迫性障害(OCD)と外傷後ストレス障害(PTSD)に特化した参考書です。3分冊になって,各1050円というのも良心的だと思います。これまでに出版された当事者向けのCBTのマニュアルは,ほとんどが“うつ”に焦点を当てたものでした。たとえその他の症状について説明がされていても,「うつのおまけ」といった感が拭えませんでした。が,この3冊は不安障害にばっちり焦点を当てています。さらにその内容は,今世紀に入ってからのエビデンスを最大限に活かしたものであり,非常に信頼できます。

  “うつ”に焦点を当ててCBTを解説するとなると,どうしても“認知再構成法”(いわゆる“コラム法”)がメインの技法として紹介されがちです。でも,CBTをきちんと学び実践している臨床家なら誰でも知っているとおり,不安障害の患者さん・クライアントさんに,認知再構成法を第一選択として適用するということは,あまりありません。不安障害の場合,自動思考ばかりに目を向けるよりも,心理教育をしっかり行ったり,段階的曝露法を実施したり,呼吸コントロールなどで不安をマネジメントしたり,ロールプレイによるリハーサルを行ったりすることで,その人なりの不安克服パッケージを作り上げていくほうが,よほど役に立つことが多いですし,実際にそのようなエビデンスが出ています。認知再構成法を実施することもありますが,それは複数の技法によるパッケージの一部であるに過ぎません。

  というわけで,うつ病や抑うつ症状ではなく,むしろ不安や不安による回避(自分が不安になりそうな場所や状況を避ける)が問題になっている方の場合は,上の②,③,④のどれかをお勧めします。不安による回避を克服するためには,「曝露法」が不可欠ですが,曝露法とはどういうものか,なぜ曝露法が必要なのかといったことについても,きちんと説明されています。

  ちなみに同様のタイトルで治療者向けのテキストが出版されていますが,やはり非常に勉強になります。患者さん向けマニュアルでこのような高度なものが出版されている以上,治療者は「知らなかった」では済まされないのではないか?というのが私の考えです。

飯倉康郎 『強迫性障害の治療ガイド』 (二瓶社,1999年,840円)

  不安障害のなかでも,強迫性障害(以前は「強迫神経症」と呼ばれていた症状,病気。症状としては,手についたばい菌によって病気になるのを恐れて手を洗い続けてしまうとか,侵入者が怖くて何度も戸締りを確認してしまうとか・・・)について,当事者向けに作成されたテキストです。

  強迫性障害のCBTでは,「いかに患者さん・クライアントさんに“曝露反応妨害法”を実施する気になってもらうか」,というのがポイントだと思います。「曝露法がありますよ。やってみましょうよ」とセラピストに言われて,「ああ,そうですか。ぜひやってみます!」などと言って曝露法にチャレンジするクライアントさんはいるはずもなく(その程度の教示で曝露できる人であれば,治療など受けに来ない),曝露法が必要だとわかってはいるのだけれども,どうしたらよいのかわからずに途方に暮れているクライアントさんに,気持ちよく曝露法にトライしていただく,というのがセラピストの仕事なのです。

  強迫性障害といっても,その症状の軽重や複雑性はさまざまです。かなり症状がこじれてしまっていたり長引いたり深刻化してしまっていたりする場合は,やはり自己治療ではなく,専門家によるきちんとした治療を受けたほうがよほど効率的だと思います。が,そこまで深刻でない症状(強迫的な症状はたしかにあるが,日常生活はギリギリ保たれている)であれば,上の④か本書(⑤)を読んで,まず自己治療にトライしてみるのも「あり」ではないかと思います。特に強迫的な症状がシンプルであまり広がりすぎていない場合は(たとえば不潔恐怖によって手洗いばかりする,といったように症状が限られているということ),この⑤の本をお勧めします。強迫性障害について,そして曝露反応妨害法について,非常にわかりやすく書かれており,「あ,自分の症状ってこういうことだったんだ」と理解しやすいと思います。自分の症状を理解することは回復への第一歩です。そして自分なりの曝露法の計画も,本書に沿って作業を進めていけば,立てることが可能だと思います

リリー・ワイス 食べたい!でもやせたい過食症の認知行動療法』 (星和書店,1991年,2447円)

  CBTは摂食障害のなかでも,特に過食症には効果が高いとされています。私自身の臨床経験からも,うまく導入できれば,自分で何とかしたいと思っている過食症の方は,CBTを使って回復することが十分可能だと思います(もちろんケースバイケースですが)。

  過食症のCBTについては,一応本書をお勧めします。この本がかなり役立ったというクライアントさんもいらっしゃいます。しかしこの本だけで過食症を自分で克服したという方の話を私は聞いたことがありません。したがって本書については,一応「こういう本がありますよ」程度に提示するに留めたいと思います。

ジュディス・ベック 『認知療法実践ガイド・基礎から応用まで: ジュディス・ベックの認知療法テキスト』 (星和書店,2004年,4095円)

  実はこれは治療者向けのガイドブックです。しかし私は当事者が本書を読んでも面白いし,役に立つのではないかと思います。というのも,本書は技法そのものではなく,セラピストとクライアントの「対話」に焦点を当てているからです。

前に当ブログでも書いたとおり,CBTで目指しているのは,セラピストとクライアントの「2人対話」を通じて,クライアントが上手に「1人対話」できるようになることです。本書に紹介されている豊富な対話例を読み,それをモデルとして,そのような対話を自分自身と行なうことを目指していただくと良いのではないかと考えます。

  また本書は,CBTのセッションが実際にどのように進められるかということについても詳しく述べられています。CBTを専門家に受けようとする方,あるいは「ひとりCBT」をおやりになる方も,「どのような技法を習得すべきか」ということと同時に,「CBTはどのように進められるのか」ということを知っておくことは,非常に有用だと思います。新しいことを身につける際は何でもそうですが,「何を学ぶか」ということと同時に「どうやって学ぶか」ということを知らなければ,よりよく学ぶことはできないからです。

  ※またまた余談です。本書は専門家向けテキストですが,私は本書に限らず,当事者(ユーザーさん,クライアントさん)およびその関係者が,CBTの専門書をお読みになるのはとてもよいことだと考えます。CBTは「手の内を明かすセラピー」です。そして「セラピストとクライアントが協同作業をするセラピー」です。としたら,可能であれば,クライアントさん自身にもCBTについて詳しく勉強していただくほうが,効率的ですしより高い効果を期待できるのではないかと思います。

  とりとめがなくなってきたので,この辺で終わりにします。2回にわたって当事者の方々用の書籍を紹介しました。しかし人それぞれのニーズや好みがおありでしょうから,できればネットや書店で調べて,自分に合いそうな本を自分で選んでいただけたらと思います。

●今日のまとめの一言: 不安障害の場合,認知再構成法以外にも多くの技法が役に立つことを,当事者の方々にも知っておいていただきたい。またCBTは「手の内を明かすセラピー」であるので,可能であれば,当事者の方々にも専門家向けのテキストをどんどん読んでいただきたい。

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2005年6月 3日 (金)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その3:“ひとりCBT”に適した本(入門編・抑うつ編)

  認知療法・認知行動療法を一人で練習する際に(以下,「ひとりCBT」と表記),役立ちそうな本をいくつか挙げ,その活用の仕方について書いてみます。今日はまず,“入門編・抑うつ編”として,3冊をご紹介します。(例によってこれは筆者の私見によるものです。CBTの自習本は現在他にもたくさん出版されており,私が紹介する以外の本がむしろ「お役立ち」であると考える人もいらっしゃることでしょう。ぜひコメントをお寄せいただけたら幸いです)。

①大野裕 『こころが晴れるノート:うつと不安の認知療法自習帳』 (創元社,2003年,1260円)

 

  「認知療法・認知行動療法(CBT)について興味があるけれども,具体的にはよくわからない。でも一度体験してみたい」という方には,まず本書がお勧めです。CBTの理論に興味があるのではなく,「実際にやってみたい」「スキルを身につけたい」という方には,特に向いているでしょう。

  値段も手ごろですし,内容もとてもシンプルでわかりやすいです。活字を読む元気がないという方でも,この程度のボリュームなら,何とか読み進められるのではないでしょうか? 

しかし注意点が一つ。必ずワークシートを使って「書く作業」を行ってください。わかりやすくて薄い本であるだけに,“さささ~と読んでおしまい”にすると,せっかくの本書の効果があまり得られません。ワークシートはとても使いやすい形で提示されています。本に直接書き込むのではなく,未記入のワークシートを何枚もコピーしておき,そちらに書き込んで練習を続けましょう。このブログでも前述したとおり,CBTは,ツールを使って頭の中の認知や自分の体験したことを“外在化”する作業が非常に重要です。本書は,「読むための本」ではなく「練習するための本」なのです。ただ読むだけなら本書は1日あれば十分ですが,ここに提示されているスキルを実践して身につけるためには,何度も何度も繰り返し練習することが必要です。

そして前にも書きましたが,一気に進めるのではなく,少しずつ進めていくほうが効果的です。本書は薄くて読みやすいからこそ,「一気に読んで,練習してみたい」という誘惑にかられるかもしれませんが,たとえば「1週間につき,1つのモジュール」(注:本書ではそれぞれの技法を「モジュール」として紹介されています)というふうに事前にペースを決めて,一つ一つの技法を着実に身につけて先に進むようにしていただきたいと思います。

②井上和臣 『心のつぶやきがあなたを変える:認知療法自習マニュアル』 (星和書店,1997年,1995円)

  ベックの認知療法,とくに認知再構成法(いわゆるコラム法,非機能的思考記録法)について,その理論と手順を丁寧に解説している本です。認知再構成法においてポイントとなるのが,自動思考について理解し,自分の自動思考をその場で同定できるようになることですが,本書は自動思考を「心のつぶやき」と呼び,その説明や同定の仕方について非常にわかりやすく説明してくれます。

  前に私は「“認知療法=認知再構成法”というのは誤解だ」と書きました。しかし,正しく習得されれば,認知再構成法は,CBTの諸技法のなかでも非常に効果の高い強力な技法であることは間違いありません。とくに様々な出来事や人とのかかわりにおいて,否定的なことを考えやすく,それによってネガティブな気分を抱いたり,やろうとしていることができなくなってしまっているような方には,やはりお勧めの技法です。

  本書は認知再構成法の背景にある認知理論について解説した上で,認知再構成法における手順に沿って段階的に紹介していますので,「読む→理解する→練習する」というやり方を好む人には,ちょうど良いのではないかと思います。ただしこの本に紹介されているワークシートは,大野先生の①の本とは異なり,そのまま書き込んで使うことはやりづらいかと思われますので,ノートを1冊,あらかじめ用意してから取り掛かるとよいでしょう。またやはりこれについても,「1週間に1章分進める」といった計画を立てて,少しずつ学習を進めていただくと良いでしょう。

③デーヴィド・バーンズ 『いやな気分よさようなら:自分で学ぶ「抑うつ」克服法』 (星和書店,2004年,3864円)

  分厚い本ですが,根強いファンが大勢いるようです。これは現在具合が悪いという方にはあまりお勧めしません。なにしろ分厚くて内容が盛りだくさんですから(笑)。実際に「買ったけど,とても読みきれなかった」,「その分厚さに最初からめげてしまった」というクライアントさんの実際の声も聞きます。

しかし,認知再構成法だけではなく,多種多様な小技法がたくさん紹介されていますし,その内容もかなり具体的ですので,うまく活用できればかなりの効果を上げられる本であるとも思います。

  使い方としては,最初からじっくりと読み進めるというよりは,パラパラとめくってみて,「あ,この技法は面白そう」,「これだったらやってみたい」というのを見つけて,実際に練習してみる,というやり方で良いと思います。本書に掲載されている技法をすべて身につける必要はありません。自分に合っていそうな,興味の持てる技法をいくつか身につけられれば,それが自分用の“CBTパッケージ”として,今後の人生で役立てていけることでしょう。また,技法を実際に練習しなくても,本書を読むだけで,「ああそうか,と思って元気が出る」という方も多くいらっしゃるようです。そういう意味では本書は,CBTに興味があり,活字をたくさん読む元気のある方にお勧めできる参考書であると言えます。

  ちなみに私はかなり前,健康な看護師さんのグループに対して継続的なセッションを行い,CBTをストレスマネジメントに役立てていただこうという試みをしたことがあります。その際,本書を看護師さんたちに勧めたところ,かなり好評でした。私とのセッションが終わった後に,何度も本書を読み返しているという方もいらっしゃいます。その意味では,本書は,治療というよりは,「セルフヘルプ力を上げ,今よりももっと上手にストレスとつきあえるようになりたい」という健康な方々に合っているのかもしれません。

(※私の言う「健康」とは,「何の問題もなく,元気で,バリバリに仕事や勉強をしている人」ということを指しているのではありません。実際そんな人いるのか? 私は違うぞ(笑)。ではなくて,精神科に通院し,医師の管理下での注意深い投薬加療が必要な方以外をまとめて「健康」と呼んでいます。そのぐらいアバウトな定義のほうが,実際いいと思う)

  以上,まずは入門的な「ひとりCBT」用の本を紹介しました。繰り返しになりますが,CBTの本は,読むだけではさほど役に立ちません。書いてあることをまずざっと理解した上で,紹介されている技法を実際にやってみることがとても大切です。その際,はりきって一気にやってしまおうとはせず,とにかく少しずつ着実に進めていくことを目指してください。またその際,ワークシートやノートを使って,外在化するようにしてください。次回は,抑うつ以外の問題を抱えている方を対象とした,「ひとりCBT」のための参考書を紹介します。

●今日のまとめの一言: 「ひとりCBT」を始めるのであれば,認知療法・認知行動療法の基本的な考え方や進め方を,まず理解して習得しよう。一冊の本を選んだら,無理のないペースで,少しずつ進めていこう。決してあせってやりすぎないこと。

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2005年5月31日 (火)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その2:ゆっくり少しずつ進めていこう

  ご自分で認知療法・認知行動療法を練習してみたい(以下,「ひとりCBT」と表記)方に対するアドバイスの第2弾です。

●はりきってどんどん進めようとしない

  専門家と一緒にCBTを進める場合は,セッション(面接,診療)は多くても週に1度でしょうから,無理のないペースで進めていけます。クライアントさんによっては,「どんどん進めたい」「もっと早く進めてほしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが,(モチベーションが高いこと自体はすばらしいことです),「あせらずに着実なペースで進めていくほうが,結果的にはきちんと身につきますよ」ということを説明し,急ぎすぎないようにしていただきます。

  本などを使って「ひとりCBT」を実施する場合,その気になれば数日あるいは1日で本を読み終えることができてしまいますが,CBTの本を読むことと,CBTの知識やスキルを身につけることは,別物だと考えてください。本には,認知再構成法(コラム法)などの技法や,その技法を練習するツールが紹介されており,やる気のある人は,はりきって一気に練習してしまおうとする傾向があるようです。が,専門家と一緒にやって,すごく順調に進んだ場合でも,1015回のセッションを必要とするのがCBTです。週に1度のセッションでも,3~4ヶ月はかかるのが普通です。したがって,一気に本を読み,一気に技法を練習しようということ自体に無理があるとお考えください。

●“時間がかかる”というより,むしろ“時間をかけて身につける”と考えよう

  CBTに限らず,新たな知識やスキルを身につけるには,それなりの時間や手続きが必要です。「ひとりCBT」は「料理本をみながら,ひとりでコロッケの作り方を覚えるようなものだ」と以前に書きましたが,“コロッケを作る”と一言で言っても,これまでジャガイモの皮をむいたことがない人は,皮むきから覚えなくてはなりません。今では苦もなく自動車を運転している人だって,最初は,カーブを曲がるとき,どの程度ハンドルを切ればよいのかといったことから,一つ一つ身につけていったはずです。ピアノの練習曲を一つ習得するのだって,曲を分解し,分解したものを何度も何度も練習し,時間をかけて弾けるようになっていくものです。

「ひとりCBT」も全く同じことです。習得にはそれなりの時間がかかるのです。「時間がかかる」というとネガティブな感じがするかもしれませんが,むしろ「確実にCBTを身につけて,今後の人生に役立てるためには,じっくりと時間をかける必要があるのだ」と考えていただくと良いかと思います。そそくさとあせって練習した結果,雑なスキルしか身につかなければ,かえってそれは役に立たないままで終わってしまうでしょう。時間をかけて丁寧に練習すれば,一生役に立つ知識とスキルとして,CBTを身につけることができるでしょう。

次回は,「ひとりCBT」のために役立つ一般書について,具体的に紹介してみたいと思います。

●今日のまとめの一言:本やツールを使って取り組む“一人CBT”は,少しずつ着実に進めていくことが重要である。

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2005年5月28日 (土)

【ストレスコーピング】 コーピングレパートリーを豊かにしよう

  このブログのタイトルでもある【ストレスコーピング】についても,少しずつ紹介していきます。ストレスコーピングとは,自分の感じているストレスに対して,自覚的に実施する対処法のことです。誰でも自分なりのストレス対処法というものを普段から実施しているかと思います。

●コーピングレパートリーという考え方

ストレスコーピングに関する実証研究によれば,多様なストレスコーピングをできるだけたくさん身につけておき,日常生活でそれらを柔軟に活用できる人は,心身の健康度が高い傾向にあるということです。これは直感的にもわかりやすい考えだと思います。日常生活のストレスには様々な種類のものがありますから,「これさえできれば大丈夫」というコーピングがあるわけではなく,その時々のストレスに合ったコーピングをチョイスして使ってみる,使ってみてうまくいけばOK,うまくいかなかったら別のコーピングに切り替える,という柔軟性が必要なんですね。確かに周囲を見渡してみても,元気で生き生きしている人は,何かあっても落ち着いて対処し,その切り替えも上手なように思われます。そういう人はコーピングの手持ちが多く,それらをうまく使い分けているのでしょう。

  ところで「手持ちのコーピング」を心理学的ストレス理論では“コーピングレパートリー”と呼びます。カラオケのレパートリーと全く一緒ですね。カラオケのレパートリーの多い人,特にJPOPから洋楽から昔の歌謡曲から演歌まで,幅広い種類のレパートリーをたくさん持っている人は,カラオケに行くのがさぞかし楽しいでしょう。(私は逆にレパートリーが少ないので,カラオケがあまり好きではありません。笑いを取ってごまかす方向につい走り勝ち・・・笑)。それと同様に,多様なコーピングのレパートリーを増やしておけば,ストレスを感じる様々な状況や,ストレスを感じている自分自身に対して,適当なコーピングを選択し,実施することが可能になります。すると,ストレスそのものはなくならなくても,ストレスに対応する力(ストレスマネジメント力)が強くなります。大事なのは,ストレスを減らすことと同時に,コーピングレパートリーを普段から増やしておくことなのです。

  ではストレスコーピングにはどのようなものがあり,どのようなコーピングを増やしておくと良いのでしょうか。このブログではこのようなことについても認知療法・認知行動療法の観点から,そしてストレスコーピングに関する心理学的実証研究の知見に基づき,順次ご紹介していきたいと思います。

●今日のまとめの一言:ストレスマネジメントをうまくやっていくためには,ストレスコーピングのレパートリーをできるだけ増やしておき,日常生活で柔軟に活用すると良い。

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2005年5月26日 (木)

【一人でできる認知療法・認知行動療法】その1:どんな時に始めると良いか

●一人でもCBTを実施することは可能

  先日,認知療法・認知行動療法(以下CBTとも)の専門家の探し方について紹介しました。本格的にCBTを受けてみたい,試してみたいというのであれば,できればCBTのトレーニングをきちんと受けた専門家と一緒に行うのが理想的ですが,前述のとおり,日本では残念ながら専門家の絶対数が不足しており,それが難しいというのが現状です。

http://cbt.cocolog-nifty.com/coping/2005/05/post_dcfd.html

  ですが悲観的になる必要はありません。CBTは気をつけて行えば一人で実施することも可能です。料理と同じです。たとえば,美味しいコロッケを作りたい人が,料理教室に通ってコロッケの達人に作り方を教われば,最も効率的に美味しいコロッケの作り方を覚えられるでしょうが,料理本のレシピを見ながら,自分でコロッケの作り方を習得することも,やろうと思えば誰でもできますよね。この場合,先生に教わるのに比べて時間がかかるかもしれませんし,何度かは失敗してしまうかもしれません。けれどもあきらめずにトライしつづければ,いつか自分なりの美味しいコロッケの作り方を習得することが可能です。そして一度,自分なりのコロッケ調理法を身につけてしまえば,これから一生,美味しいコロッケを自分で作りつづけることができ,自分で食べたり,誰かに食べさせたりすることができるのです。

  CBTの自習もコロッケの例と全く同じだと考えてください。きちんとした専門家のもとでCBTを受けられれば理想的ですが,そうでない専門家(※専門家の見分け方については別ページを参照ください)とやるよりは,むしろ多少時間がかかるかもしれませんが,CBTを自習するほうがずっと良いのではないかと思います。

  ただし,CBTを一人でやるのであれば(以下,「ひとりCBT」と呼ぶことにします),効果的に自習できるように,ある程度のポイントを押さえておく方がよいでしょう。そこでこのブログでは,これから何回かに分けて,「ひとりCBT」をなさりたい方のために,いくつかアドバイスをしてみたいと思います。(ただしこれから書くことは,例によってあくまでも筆者の私見です。)

  今日はまず,どんなときに「ひとりCBT」を始めたらよいのかについて,書いてみます。

●回復期に“仕上げ”として実施する

  仮にあなたは今,うつ病などの精神疾患に罹患して,現在治療中であるとします。そして現在,治療を始めたばかりであるとか,合う薬物を探したり試している最中であるとか,抑うつ症状が重くて生きているのが精一杯であるとか,本を読んだり何かを書いたりする気には全くなれないとか・・・・・,といった状態であれば,今,「ひとりCBT」はトライしないほうが良いでしょう。こういうときは主治医の指示にしたがって,まず状態が安定するのを待ちます。

適切な治療を受けていれば,いつか必ず回復期に入ります。症状が安定し,「まだすっきり治りきってはいないけれども,“回復期”に入ったな」と思えるような状態になってから,「ひとりCBT」を始めましょう。というのも,急性期では,まず薬物療法を中心とした治療をきちんと受けて少しでも状態を良くすることが重要ですし,そのようなときに「ひとりCBT」を開始するのは,むしろ心身に負担がかかり,症状が悪化するおそれがあるからです。お腹をこわしているときに,慣れないコロッケ作りに挑戦するようなものです。(そもそも急性期には,「ひとりCBT」を始める気力がわかないのが普通だと思います。)

  回復期に入って安定してから,そして「自分でCBTをやってみてもいいかな」という気になったら,「ひとりCBT」にトライしてみてください。実際,CBTは治療の仕上げとして役に立つことが多く(私の臨床における実感です),安定してからであれば,自分一人でCBTを練習することも十分に可能だと思います。その際できれば主治医に,「認知療法・認知行動療法というのがあって,自分でちょっと練習してみようと思う」と,一言相談してみると良いでしょう。私が知っている限り,そのように相談された治療者が,「ダメだ。やめなさい」と言うことはまずありません。

●回復後に“再発予防”として実施する

  回復期ではなく,回復後の元気になった状態で,「ひとりCBT」を開始するのも,非常に効果的だと思います。回復直後にCBTを実施することで,たとえば,「なぜ今回,自分はうつ病になってしまったのか」,「今後,どういったことに気をつければ良いか」,「万が一症状がぶりかえしそうになったときに,どんな工夫をしたらよいか」などといったことが,具体的に理解でき,必要な技法が身につけられると思います。CBTはうつ病や不安障害などの精神疾患の再発予防効果が高いことが知られています。回復後,元気になった状態であれば,「ひとりCBT」は十分可能ですし,具合の悪かった時の記憶も鮮明でしょうから,そのときの体験からいろいろと学ぶことができます。

●ストレスコーピングとして「ひとりCBT」を習得する

  さて,とくに診断のつくような精神疾患にかかっていなくても,生きていればストレスはつきものですから,できれば上手に自分のストレスとつきあっていきたいものです。自分らしくストレスと付き合うことを「ストレスマネジメント」と言います。よりよいストレスマネジメントのためには,自分に合ったストレス対処法をあらかじめ身につけておくのが効果的です。自覚的にストレス対処を行うことを“ストレスコーピング”と言います。CBTは病気の治療だけでなく,健康な人のストレスコーピングとしても役立つことが,最近徐々に確認されています。実際私自身,ストレスが溜まったとき,「ひとりCBT」を実施することがよくあります。CBTを共に学んでいる仲間も皆,そうしているみたいです。

(※余談ですが,私は昨年末,私的な事情で,「このままだとうつになる~!」と思うぐらい,ストレスにまみれて苦しんだときがありました。久々にツールを使って,じっくりと認知再構成法に取り組みました。効果はてきめんでした。改めてこの技法の強力な効果を実感した次第です・・・笑)

  ですから,効果的なストレスコーピングを身につけて,自分のストレスマネジメント力をアップさせたいという方には,「ひとりCBT」をお勧めします。CBTはもちろん万能ではありませんが,実際にさまざまな技法・対処法が含まれますので,様々な状況や自分の状態に合わせて,それらの技法をピックアップして試すことが可能です。自分なりのCBTのパッケージを自分で作ることができるのです。これはストレスコーピングとしては非常に強力だと思います。

(※私がこれまでお会いしてきたクライアントさんの多くが,CBTの考え方と様々な技法を身につけてカウンセリングを卒業なさいましたが,回復後も,自分のためにCBTの技法を使い続け,元気に暮らしている方が多くいらっしゃいます。皆さん口をそろえておっしゃるのが,「病気になって良かったとは思わないけど,病気になったおかげでCBTを知ることができた。そして元気になった後でも,自分のためにCBTを続けることができて嬉しい」ということです。)

  以上,「ひとりCBT」を始めるにあたってのアドバイスでした。

●今日のまとめの一言:「ひとりCBT」を始める時期に気をつけたい。また「ひとりCBT」行う場合は,治療の仕上げのためなのか,再発予防を目指すのか,ストレスマネジメントの一環なのか,その目的を明確にしておこう。

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2005年5月24日 (火)

【認知療法・認知行動療法】コラムその4:自動思考についてのナイスな説明

  CBT,とくにベックの認知療法における“認知再構成法”では,ストレスフルな場面において頭の中に浮かぶ自動思考を同定することを,まずはじめにやりますが,ではその自動思考とは何ぞや?というと,実は未だにきちんとした操作的定義がされておらず,テキストによってバラバラなことが書かれています。

最近も某マンモス学会が発行しているジャーナルに,珍しく認知療法に関する論文が出ていましたが,その論文における自動思考の定義は,「自動的に頭に浮かぶ否定的な思考のこと」という悲惨なものでした。この「否定的な」というのが曲者です。「否定的な思考」って,誰がどう決めることなんだ? さすがに現在のCBTのテキストには,このような定義が書かれることはありませんが,「じゃあ自動思考って何?」と聞かれたときに,それにきちんと回答できるだけの定義づけがなされていないというのが現状だと思います。

CBTにはエビデンスがある」と威張って言われますが(実はときどき私も威張ります),それは治療効果のことであって,CBTが用いているモデルや概念のエビデンス(実証性)って,実はまだまだ弱いのではないかと私は考えています。そして,CBTで用いられるモデルや概念の定義や説明にこそ,私は基礎心理学(とくに認知心理学,社会心理学,発達心理学)の成果を活用するべきだと思います。たとえば自動思考についてであれば,認知心理学における“自動処理”と“制御処理”といった概念から,もう少しマシな定義や説明が可能だと思うのだけどなあ。(そういう作業を私が自分でやればいいのですが,ついついこういったことは日常の臨床や原稿仕事に追われて,結局後回しになってしまうのです)

  さて,長い前フリでした。

  なぜいきなりこんな前フリかと言いますと,日本における精神科救急医療のパイオニアである,計見一雄氏の『統合失調症あるいは精神分裂病』(2004 講談社)を読み直していたら,これまで読んだなかでもっともリアルでもっともわかりやすい自動思考についての説明が書かれていてびっくり。(と言っても,計見氏が自動思考の定義づけのために,この文を書いたわけではありません。これは「主体」と「自己」について書かれてあった箇所からの引用です)

それから友だち。「今夜は自分ひとりを道連れにして,少し街を歩こう」なんていうのが,友だちですね。それから対話者。自分自身と語る,対話する。こんなのは,幻聴まであと一歩。なぜ幻聴なのかと言えば,「年中聞こえてきているのは,お前(主体)に話しかけてくる自分(自己)の声なんだよ」という話になるからです。

ついでにちょっと脱線すると,この「対話」というものがどういう時に,頭の中で一番激しくなるのか。これは,冒険しない人には分からないんです。どういう冒険かというと,「あの女を俺のものにしようかしら」とか,「あの標的を狙おう」。「あの仕事を取ってやろう」とか,「あの仕事を人のやらない新しいやり方でやってやろう」とか,新しい冒険をしようとする時に,頭の中の対話が非常に活発になります。何と対話しているのかというと,今の状況と昔の体験との間を行ったり来たりしているわけです。「あの時はああやってうまく行ったけれども,今度もうまく行くかなあ」とか,「いやダメだろうなあ。それはやめておいた方がいいよ」「どうしようか」「でもなあ」と。

    仮に誰かに電話するにしたって,本当は掛けたくない電話を二本も掛けるとすると,朝から考えていますよ。「いつ電話しようかなあ」と。「あの人はどうだろうな・・・夕方の方が機嫌がいいかな?」「朝掛けると怒るんじゃないかな」「いや大丈夫なんじゃないの」と。年中対話している。

    ある新しい行動,激しいものであれば「冒険」をする時に,頭の中の対話というものは活発になります。だから「弁証法」って言うんです。弁証法というのは,別に哲学的な難しい話じゃなくて,我々が年中やっていることです。現実についてどうしようかと考えて,大概はネガティブ・データがいっぱい脳の中に入っているから「お前,そんなことできっこない」だとか「いや,そんなこと言ったって,やりたいよ」とかね。そういう対話をやっていって,あるところでポッと・・・これは次回に繋がっていく話だけれども,そういう「ある行為を決断する」という形で,パッと結論が出る。これをムツカシク言えばアウフヘーベン,日本語では止揚とか言うらしい。そこで結論が出て,うまく行くこともあるければ・・・おおむねはうまくいかない。

    それでも,うまくいかないということを経験すると,今度は少しお利口になって,対話集会に ―――。対話集会になっちゃったらこれは大変です。頭の中にたくさんの人が,700人入っていたのが1人になったっていう人がいました。なんだか眼がトローンとなって,全然心ここにあらずで,宇宙外に飛んでいたんですが,この頃は眼がピカピカしてきた。俺の顔を覚えていて,「先生」なんて言って側にやってきた。「俺のこと知ってるの?」「知ってるよ」「頭,はっきりしてきたの?」って言ったら,「いや・・・」。ナースに訊いたら,700人いたのが1人になった,って言っているから大丈夫だって。

    だから対話集会では,ダメです。真摯な対話を頭の中でやる訓練をしないと。そうすると分裂病になりません。だから「やたらに対話しているから病気だ」とは言わないでください,ということを私は言いたい。対話をしない方がよっぽど病気だよ,と言いたいわけです。(計見一雄,『統合失調症あるいは精神分裂病』,2004年,講談社,p.220-222

  繰り返しになりますが,自動思考についてこれほどわかりやすく書かれた文はないと思います。自動思考は,まさに冒険しようとするときに,わんさか頭に浮かんでくる「自己」の声なんですね。さらに,「真摯な対話を頭の中でやる訓練をしないと」というフレーズ,うなります。認知再構成法というCBTにおける超重要技法が狙っているのは,まさにこういうことなんです。

●認知再構成法とは,「真摯な対話を頭の中でやる訓練」(@計見一雄)である

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2005年5月21日 (土)

【認知療法・認知行動療法】コラムその3:専門機関・専門家の探し方

●もし私が当事者だったら,どうやって探すか

  認知療法・認知行動療法を専門家の指導のもとでやってみたいという方が,どのように専門機関や専門家を探せば良いかということについて書いてみます。アドバイスというよりは,たとえば「もし私がうつ病にかかったら,自分だったらこうする」という視点から,シュミレーションしてみたいと思います。 ※これから書くことは,あくまでも筆者の私見です。筆者とは異なる考え方ももちろんあるでしょうから,一つの考え方として参考にしていただければ幸いです。

①病院の専門外来を受診する

  もし私がここ数週間,あるいはここ数ヵ月間,ひどく落ち込み続けていたり,パニック発作を頻発して社会生活を送るのが困難になっていたり・・・というふうに,何らかの精神的な症状で困っていてCBTを受けたいと思ったら,“認知療法外来”または“認知行動療法外来”でネット検索して,そのような専門外来のある医療機関を受診するでしょう。病院が専門外来を設置しているということは,きちんとトレーニングを受けた専門の医師がいると考えられますから,最初の受診先としてはまず安心です。保険証も使えます。そのうえで,念のため事前に調べるとしたら,こんなことです。

たとえばA大学病院に認知療法外来があることを知ったとします。そうしたらA大学病院とかその外来の担当医師名を再度ネットで検索し,たとえば日本認知療法学会といった学会で発表や講演をしたりしているか,CBTに関する論文を書いているか,といったことを確認します。「学会発表や論文があれば確実」というわけではありませんが,そのドクターらが,少なくとも学問的にきちんとCBTを習得し,臨床実践しているという根拠にはなりますから。

②クリニックを受診する

  もし私が,仕事を続けながらCBTを受けたいと思ったら,病院の専門外来は物理的に受診が難しいかもしれません。その場合,「認知療法ができます」とホームページなどで謳っている精神科や心療内科のクリニックを受診することを検討します。その際,事前に確認したいことがいくつかあります。

  一つは,誰がCBTを実施するのか,ということです。つまりそのクリニックの医師なのか,そのクリニックに勤務するカウンセラーなのか,そのカウンセラーは臨床心理士なのか,それとも何か別の資格を持っているのか,などです。ホームページを見てもわからなければ,メールを送るか電話をするかなどして,直接確認して情報を仕入れます。

  誰がCBTを実施するのか,ということが分かれば,やはりネットで検索するなどして,その人が学会で発表や講演をしたりしているか,CBTに関する論文を書いているか,といったことを確認します。あるいはこの件についても,メールや電話などで直接問い合わせるかもしれません。問い合わせをするとしたら,CBT実施者の訓練歴や臨床歴について,また所属学会などについて,具体的に尋ねます。

もう一つ確認したいのは,そのクリニックでCBTを受ける場合,健康保険がきくのかきかないのか,ということです。クリニックの場合,きく場合と自由診療で高い面接料がかかる場合の両方がありえます。

以上の情報を仕入れた上で,そのクリニックでCBTを実施する専門家が医師または臨床心理士で,CBTについてある程度の実績があることが具体的に開示され,専門の学会にも所属しており,そのクリニックでのCBTに保険証が使えるということであれば,私は予約をして受診すると思います。

保険がきかないとか,そのクリニックが経営するカウンセリング機関であればCBTが受けられるということであれば,以下のやり方で検討を続けます。

③通院しながら,別の機関でCBTカウンセリングを受ける

  もし私がうつ病などですでに通院中で,その治療自体には特に不満はないし,主治医のことも信頼できるのだけれども,通院先ではCBTを受けられないという場合,通院しながら,別の機関でCBTをカウンセリングとして受けることを検討するでしょう。この場合,まず主治医に相談して専門機関を紹介してくれるよう依頼します。

  主治医が紹介先を持っていない場合は,やはりネットなどで検索して,「認知療法」「認知行動療法」を実施しているという相談機関を探します。あとは上と同様に,その機関やカウンセラーが,本当にCBTの専門家であるかを確認するために,ネットで調べ,さらに直接問い合わせをして,情報を収集します。そして次の観点から,収集した情報について判断します。

・そのカウンセリング機関に所属するカウンセラーは,臨床心理士の有資格者か。(臨床心理士だから良いというわけでは全くありませんが,一応の目安にはなると思います)

・カウンセラーは,CBTの継続的な訓練を受けているか。(単発のセミナーに出たことがあるという程度では,訓練を受けているとは言えません)

・カウンセラーは,専門の学会に所属し,大会に参加したり発表したりといった専門家としての活動を続けているか。(特に,「日本認知療法学会」または「日本行動療法学会」に所属しているかどうかを確認します)

・その他こちらの問い合わせに,具体的で納得のいく説明があるか。

  以上いろいろと調べてみて納得ができたら,主治医に紹介状を書いてもらい,初回面接(インテーク面接)の予約を入れます。初回面接で,自分がその機関でCBTを始めたらどのようなプロセスをたどるのか,その機関で実施しているCBTとはどのようなものか,納得のいくまで説明を求めます。その上で,以下の点について,「とりあえず大丈夫そうかな」と思えたら,カウンセリングを継続することにします。

CBTとは何か,ということについて具体的でわかりやすい説明があった。

・自分の主訴や症状をきちんと調べた上で,自分に合った技法を選ぶという流れで進んでいくらしい,ということがわかった。(逆に,「コラム法で考え方の癖を直すのが認知療法だ」という主旨であればパスします。

・こちらの質問に対して,具体的でわかりやすい説明があった。

・わからないことは,「わからない」とはっきり答えてくれた。

・今後どのような流れで進めていくのか,具体的な説明があった。

・そのカウンセラーと協同作業ができそうな気がした。すなわち一方的に話すとか,一方的に教えられるとか,そういう感じではなく,カウンセラーと一緒になってCBTを進めていけそうな感じがした。

④特に通院などはしていないが,CBTカウンセリングを受けてみたい

  もし私が,通院するほどの症状や問題があるわけではないけれども,自分がよりよい状態で生きていくためにCBTを受けてみたい,専門家のもとでCBTを習得したいのであれば,上記「③通院しながら,別の機関でCBTカウンセリングを受ける」と同様の視点から,民間のカウンセリング機関を探します。

  以上,専門機関と専門家の探し方と選び方でした。つまり保険証が使える病気や症状があれば病院の専門外来を受診しますが,その場合は,その専門外来をとりあえず信頼してみることして,事前にたくさんの情報を収集するようなことはしません。病院の専門外来という点で,ある程度信用が担保されるからです。あとは通ってみて,そこに通うことが自分のためになりそうかどうか,判断すれば良いのです。

しかし保険証が使えない,つまり1回の面接に数千円から1万数千円を支払わなくてはならない機関でCBTを受けるとしたら,その機関が医療機関の所属であろうがなかろうが,事前に相当な情報収集をし,さらに一度行ってみてよく話をして,上のような視点から,その機関でCBTを続けるかどうか検討すると思います。その上であとは通ってみて,やはりそこに通うことが自分のためになりそうかどうか,判断します。カウンセリング機関に対してこれだけ慎重なのは,やはりカウンセラー(臨床心理士)の質にあまりにもばらつきが大きいのと,それなりにコストがかかるからです。そして別記事でも述べましたが(【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法),考え方の癖を直すという古典的な認知療法を,「それが認知療法だ」と思い込んでいるカウンセラーの実施する“認知療法”では,効果が期待できない可能性が高いからです。逆に,上の条件を満たす機関でCBTを受けることに決めたら,たとえ保険がきかずかなりの出費を強いられるとしても,「一生使えるセルフヘルプのスキルを身につける良い機会だ」と考え,かけたお金のもとを取るつもりで,真剣に取り組むことにするでしょう。

●今日のまとめの一言: 認知療法・認知行動療法の機関や専門家を探すには,それなりに時間をかけて情報収集する必要がある。

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【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法 ②

 “新世代の認知行動療法(CBT)”の続きです。

●新世代の認知行動療法: アセスメント 目標設定 技法の選択 というプロセスをたどる。

  アーロン・ベックの認知療法が,敬意をこめて“古典的認知療法”と呼ばれていること,認知療法・認知行動療法(CBT)そのものが進化して,現在では“新世代CBT”と呼ばれる事態にまで発展していることを,前節では紹介しました。では,“新世代CBT”とは,具体的にはどのようなものでしょうか?

  新世代CBTの発展は,学問的には,精神病理学やいわゆる“異常心理学”を通じて,各症状や障害の心理学的モデルが構築されたことが大きいと思われます。アーロン・ベックが構築したのは,異常心理学的に言えば“うつ病の認知モデル”でした。ベックの認知療法はうつ病に対する治療法として発展したのです。しかし認知療法の適用範囲が,うつ病以外の障害にも広がることによって,うつ病の認知モデルだけでは対応しきれなくなりました。ということは,不安障害なら不安障害の,統合失調症なら統合失調症のモデルを構築し,それに沿った認知行動療法のプロトコルを構築しなければならないということなのです。

  また他の治療法に比べCBTは,その全体のプロセス自体がある決まった手順を踏むというように,ある程度誰が誰に対してCBTを実施してもそのプロセスや結果は変わらないという汎用性がありますが,そうは言ってもクライアントさんにはさまざまな人がいらっしゃいますし,うつ病や不安障害と言っても,やはり人それぞれです。うつ病のAさんが抱えているのは,あくまでも「Aさんのうつ病」であり,別のうつ病のBさんが抱えているのは,やはり「Bさんのうつ病」であって,AさんとBさんのうつ病をきちんとアセスメントしてみると,全く異なるうつ病のあり方が明確化されることもあるのです。つまり単純な「認知モデル」でクライアントさんを理解するだけでは足りないのです。その方が抱えている障害なり症状なり問題なりを,CBTのモデルに沿ってきちんとアセスメントした上で,その方に合った技法を選択し,介入をパッケージ化していくことが必要なのです。

  以上のようなことは,現場で実際にCBTを実施すると,すぐに実感されることだと思います。つまりシンプルな認知モデルで介入を進めてもうまくいかず,目の前のクライアントさんの抱えている問題の全体像をアセスメントした上で,介入を計画するというプロセスがどうしても必要なのです。・・・といったことを世界中のCBTの臨床家が気づき始め,精神病理学や異常心理学の発展とあいまって,“新世代のCBT”として集約されつつあるというのが現在の状況でしょう。

  したがって,ごく限られたうつ病患者に対して行われていたアーロン・ベックの認知療法が,以下のシンプルなプロセスによって行われていたとすると(注:ベック先生の認知療法が実際にこんなに画一的であったということではありません。)

1.うつ病の認知モデルの心理教育

2.認知再構成法(コラム法)の導入と実践

3.終結

新世代の認知療法・認知行動療法は,以下のようなプロセスによって構成されることになります。

1.CBTのモデルや進め方についての心理教育

1.CBTの基本モデルに基づく,そのクライアントさんが抱える障害,症状,問題のアセスメントと心理教育

3.そのクライアントさんとのCBTにおける目標の設定

4.設定された目標を達成するための技法選択 (単一の技法の場合もあれば,複数の場合もあり)

3.各技法の導入と実践

4.終結

  新世代CBTは,クライアントさん個人,そして障害や症状の個別性をより重視したアプローチなのです。新世代CBTとは,個人個人のクライアントさんに合わせて,その人なりの“CBTパッケージ”を作っていく営みであると考えていただければ良いでしょう。このような丁寧な進め方が,多少時間がかかっても,結局は良好な結果につながると私は確信しています。

  そして私が憂慮しているのは,このような現状を知らずに,「CBT(とくに認知療法)と言えばコラム法(認知再構成法)」という古典的な知識に基づいてCBTについて語ったり,CBTを実施してしまっている専門家が少なくないことです。(もちろん最新の知見に基づき,CBTを実施していらっしゃる尊敬すべき先生方も多くいらっしゃいます)。このような事態はしだいに改善されてくることと思われますが,過渡期である現在,過渡期であるがゆえに,CBTを必要とする患者さん,クライアントさんがこうむる迷惑を極力少なくするために,私たちはできることは何でもやっていきたいと考えています。

●今日のまとめの一言:現在の新世代CBTは,問題をアセスメントした後,クライアントさんに役立つ技法をチョイスして,パッケージを作るというプロセスそのものを言う。

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2005年5月19日 (木)

【認知療法・認知行動療法】コラムその2:新世代の認知行動療法①

  ネットで“認知療法”を検索すると,さまざまな情報を一覧できますが,いまだにアーロン・ベックが構築した古典的な認知療法ばかりが紹介されているように思われます。アーロン・ベックが認知療法を構築し始め,その理論や方法を公表したのは1960年代から1970年代にかけてですが,それから3040年以上を経た今,認知療法はかなり進化し,多くの技法が考案されたり洗練されたりすることで,さらに多くの人に役立つものになっています。現代の認知療法や認知行動療法(CBT)は,“新世代のCBT”“第二世代CBT”などと呼ばれることもあります。今日はこの“新世代のCBT”について簡単にご紹介します。

●アーロン・ベックの“認知療法”は,“古典的認知療法”

  上記のとおり,アーロン・ベックの“認知療法”は,“古典的認知療法”などと最近呼ばれることがあります。アーロン・ベックは,うつ病患者の思考が過度にネガティブであることに着目して,そのネガティブな思考,特にある場面で生じる「心のせりふ」を「自動思考」と定義しました。ベックは,クライアントさん自身が,自分のネガティブな自動思考に気づき,それをより現実的で合理的な思考へと修正する方法を編み出し,それを“認知療法”として構築したのです。

  アーロン・ベックの認知療法は,ネガティブな認知によって身動きが取れなくなってしまっている多くのうつ病患者を救いましたし,今でもこの種のクライアントさんにとっては非常に効果的な治療法・援助法だと思います。またベックが認知療法の指針として提唱した,“協同的実証主義”や“ソクラテス式対話”や“誘導による発見”といったコミュニケーションのあり方は,現在のCBTにおいてもやはり重要な原理原則です。その意味では,現代のCBTの核をなすのは,アーロン・ベックの認知療法であるのは間違いありません。したがって,ベックの認知療法が“古典的”と称されるのは,敬意を表してのことであって,決して「古典的だから(古いから)ダメだ」,ということではありません。

●認知再構成法(いわゆるコラム法)だけが認知療法ではない

  アーロン・ベックの古典的認知療法を実施するための技法が,“認知再構成法”です。認知再構成法の手順は,①ストレスを感じた状況を同定し,②そのときに生じた自動思考や気分感情を同定し,さらにそれらの強さも同定し,③自動思考の根拠や結果や反証について検討し,④かわりとなる新たな思考を案出し,⑤もともとの自動思考と気分感情の強度を再度評価する,というものです。情報量が多く,認知的にもある程度複雑な作業を必要としますので,認知再構成法は,表(コラム)などツールを用いて行うのが一般的です。この技法が“コラム法”と呼ばれることが多いのは,そのためです。

  認知再構成法(コラム法)は,技法としても洗練されており,適切な目標のもとで適切に適用されれば非常に効果の高い強力な技法です。しかしCBTが進化するなかで,さまざまな技法が開発されたり洗練されたりし,それらの技法を組み合わせて適用するのが今では一般的です。認知再構成法は,CBTのひとつの技法に過ぎないのです。(実際に私自身もクライアントさんと一緒にCBTを行いますが,認知再構成法を使わないケースも多々あります)。

しかし上にも書いたとおり,“CBT(特に認知療法)=認知再構成法(コラム法)”と誤解されているようで,私はそれがとても気になっています。「CBTを正しく世の人に知っていただきたい」,「CBTにはコラム法以外にも多くの役に立つ技法があるということを広めたい」というのが,私がこのブログを始めた動機のひとつです。私がさらに気になっているのは,精神科医や臨床心理士という専門家でさえ,“CBT=コラム法”と思い込んでいる人が多いという事実です。

たとえばあるクライアントさんが,「認知療法を受けたい」と来談された場合,“CBT=コラム法”と思い込んでいる専門家は,そのクライアントさんを十分にアセスメントすることなく,またそのクライアントさんとのCBTにおける目標を設定することもなく,いきなりコラム法をやらせてしまう,ということになりがちです。たまたまコラム法がその人に合っていれば効果が得られますが,そうではなかった場合,「なあんだ,認知療法ってたいして効かないんだな」ということで終わってしまう恐れがあります。そのクライアントさんにはコラム法ではなく,別のCBTの技法を適用すべきだったのかもしれないのに,その可能性が検討されることもなく,「自分には認知療法が合わなかった」と結論づけられてしまうとしたら,クライアントさんが気の毒ですし,誤解されたままの認知療法も気の毒です。(こういう事態になった場合の責任が専門家側にあることは,言うまでもありません)。

  残念なことに,このようなことは現実に起きています。CBTが効果的な心理療法として知名度を上げていくそのスピードに,専門家の育成が間に合っていないからです。たとえば私が所属する日本認知療法学会などでは,専門家の育成や,CBTの品質管理について,以前より真剣に議論されるようになってきています。学会でもワークショップを主催するなどして,専門家の育成を図ってはおりますが,当分,専門家不足の事態は続くと思います。

しかしCBTは必ず専門家から受けなければならないというものでもありません。本などを参考に,自分でもやろうと思えばできます。このブログでも近いうちに,専門家の指導のもとでCBTをやるとしたら,きちんとした認知行動療法家をどのように探せばよいか,ということについて書いてみたいと思っています。そのような探し方で専門家がうまく見つかればベストですが,残念ながら見つからなかった場合,「認知療法=コラム法」と誤解している専門家からコラム法を押し付けられるよりは,自分でやることを選択するほうが良いかもしれません。専門家なしで「一人認知療法」をどのように進めていくと良いかということについても,いずれこのブログで書いていく予定です。

話が脇にそれてしまいました。このコラムは次に続きます。次回は,新世代の認知行動療法とは具体的にどのようなものか,紹介する予定です。

●今日のまとめの一言: CBTは進化しつづけており,いわゆるコラム法以外にも,さまざまな有用な技法がある。しかし専門家でさえ,「認知療法=コラム法」と誤解している場合が多くみられる。

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2005年5月17日 (火)

認知療法,認知行動療法の特徴 その5

認知療法,認知行動療法(以下略してCBTと表記することも)の特徴その5は,「その4」で少し書きましたが,自分の体験などを紙に書き出すことについてです。

白紙やツールを使って,外在化する: CBTの特徴 その5

  CBTでは,何でもかんでも紙に書き出します。セラピストが次から次へと書いていく場合もあれば,書くのが好きなクライアントさんは,自分でどんどん書き出してくれるようになります。書き出すのは,文章だけではありません。図や絵も多用します。このような作業を“外在化”と言います。

  たとえば「CBTの特徴 その4」でアセスメントについて紹介しましたが,アセスメントとして聴取した内容も,必ずセラピストがクライアントさんの目の前で書き出しますし,書いたものはコピーしてクライアントさんと共有します。クライアントさんが自分でアセスメントの作業をして書いてくれる場合は,それをコピーさせてもらって,やはり同じように共有します。私がアセスメントの際に実際に使っているのは,表ではなく,循環図のようなものです。アセスメントのための5項目,①状況,②認知,③気分感情,④身体,⑤行動,の循環的な相互作用を,目で見て把握できるように工夫したものです。

私が運営しているCBTの機関では,アセスメントの際,必ずこのツールを使います。ツールに外在化することにより,セラピストはクライアントさんの体験の全体像を,クライアントさんと共有できるので,とても便利です。またクライアントさん自身も,自分が体験していることがツールに外在化されることで,それを眺めることができ,「ああ,今の自分が抱えている問題って,こういうことなんだ」と実感をもって理解されるようです。

(※私たちが使っているアセスメントツールにご興味のある方は,メールにてご連絡いただければ,ツールが紹介されている文献をお知らせするなどして,ご対応いたします。その場合恐れ入りますが,本名と所属,職種等をお知らせください。)

  ツールを使って外在化するのは,アセスメントだけではありません。たとえば,CBTにおける主要技法のひとつである“認知再構成法”(いわゆる“コラム法”)は,必ずと言っていいほど,表や図といった外在化ツールを使って実施します。認知再構成法は,習得すればさほど難しい技法ではありませんが,身につけるまでは,それなりに段階を踏む必要がありますし,扱う情報量も結構多いので,認知再構成法を,最初から頭のなかだけで行うのは,かなり大変です。

人が一度に処理できる情報量には限界があります。たくさんの情報を頭のなかだけで,あるいは会話だけで行うとなると,かなりの負担が脳にかかります。認知療法・認知行動療法(CBT)がツールを使うのは,情報を外在化することによって,脳にかかる負担を軽くしようという意味もあるのです。

他にも紙やツールに書き出す,つまり外在化する利点はいくつもありますが,一つ一つ詳しく述べるときりがないので,以下にまとめてみます。

自分の抱えている問題の全体像を,目で見て眺めることができる。

自分の抱えている問題を,距離を置いて客観視することができる。つまりメタ認知能力が発揮されやすくなる。

情報を脳のなかではなく,ツールに外在化して扱うので,脳にかかる負担が減る。

セラピストとクライアントさんは外在化されたツールを共有することができる。

外在化の作業を行うなかで,自分との対話が活性化される。(“問題となる自分”そのものが外在化されるので,“外在化される自分”と“外在化する自分”という良い意味での分裂が起き,自己内対話が発生しやすくなる。)

記録として残るので,その後の状態と比較することができる。

自分の状態を家族など第三者に伝えるとき,ツールを見せながら話せるので,便利である。

書くのが好きな人は,ツールを使った作業自体が楽しくなる。また図を描くという作業も,はまると楽しいものである。

  思いついたことをとりあえず挙げただけでも,“ツールを用いた外在化”には,多くの利点があることがわかります。CBTの本には,さまざまなツールが紹介されています。興味のある方は,そのようなツールを実際に使ってみて,外在化する効果を確かめていただきたいと思います。また,既成のツールではなく,自分仕様に作ってみるのも楽しいものです。最近ではパソコンを使って,自分に合ったツールを作って見せてくれるクライアントさんもいらっしゃいます。(私自身,最近ちょっとしたストレスがあり,新たにちょっとしたツールを作って,それで整理してみました。そのおかげで,一応そのストレス状況が多少整理でき,次の段階に進むことができました。改めてツールを使って外在化することの効果を実感しました。)

  認知療法・認知行動療法(CBT)をセラピストとして実践しようとする人にアドバイス。クライアントさんにツールの使用を勧めるのであれば,必ず自分でそのツールを使いこなせるようにしていただきたいと思います。セラピストといえども人間ですから,いろいろなストレスを感じることが日々あるでしょう。自分自身のストレスコーピングとして,どのツールをどういうときに使うと役に立つのか,どのツールのどんなところが使いやすいか,あるいは使いづらいか・・・といったことは,自分で使ってみて初めて実感できるものです。ツールを自分で使うことで,自分自身のストレスコーピングを行うことができ,さらにセラピーをより効果的にできるのであれば,それこそ一石二鳥だと思いませんか?

●今日のまとめの一言:図や文章で自分の体験を書き出すことを“外在化”と言う。外在化することで,脳に負担をかけすぎずに,CBTのいろいろな作業を行うことができるし,“外在化された自分”と対話がしやすくなる。

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2005年5月16日 (月)

【認知療法・認知行動療法】コラム:「ツッコミ小人」(@中村うさぎ)を育てよう

●メタ認知能力抜群の中村うさぎさん

  気軽にこのブログを始めたはずなのに,ついつい端くれながらも研究者の癖で,気がついたら,認知療法・認知行動療法(CBT)について系統立てて説明しようとしていました。だんだん仕事のような気がしてきたので,ちょっと気分を変え,「コラム」ということで気軽に書き込んでみようと思います。

  私は週刊文春に連載されている,中村うさぎさんのエッセイ(タイトル:さすらいの女王)の愛読者です。何が面白いかというと,エッセイに描かれているうさぎさんのキャラクターや言動や考え方はもちろんですが,うさぎさんのエッセイって極めてCBT的なんです。うさぎさんが,ハチャメチャに買い物しても,美容整形しても,ホストに入れ込んでも,人として破綻しないのは,中村さんが,自分に対して自分でCBTをやっているからだと思います。

  もちろんCBTとして自覚なさっているわけではないでしょうが,刻一刻と変化する自分の状態や自分を取り巻く状況をアセスメントして,自己調整し,なんとかギリギリのところで自分と折り合いをつけているんですね。これを「1人認知療法」と言わずして何という?というぐらい,見事にCBTをなさっているんだと思います。(専門的に言えば,メタ認知能力が非常に高いということだと思う)

  とくに最近,うさぎさんは『文春』で,「ツッコミ小人」のことを何度か書かれています。「ツッコミ小人」とは,“自分を正しく裁くために脳内に育成した小人”だそうです。うさぎさんの「ツッコミ小人」は,物書き業として他者に対して意地悪な視点を持たざるを得ないので,それとバランスを保つために,同様に意地悪な視点から自分に突っ込む小人なんだそうです。

「ツッコミ小人」かあ。・・・これこそまさに認知療法・認知行動療法(CBT)が,重視していることなんです。CBTを通じてクライアントさんが,ほどよいツッコミ小人を自分の中に飼ってくれるようになれば良いのです。「クライアントさんにとって,ほどよいツッコミ小人とは,どんな小人か。どんなツッコミ小人とだったら,うまくやっていけそうか。そんなツッコミ小人を育てるにはどうしたらいいか」ということを,セラピストとクライアントさんが一緒になって,ああだこうだ言いながら探していくのが,CBTなのです。

  だから,CBTが探したり育成したりしたいのは,自分に対して厳しいだけのツッコミ小人ではなく,状況を落ち着いて見極め,時と場合によって,優しくしてくれたり,アドバイスしてくれたり,励ましてくれたり,なぐさめてくれたり,合理的な意見を言ってくれたりするような,そんな「ほどよくナイスなツッコミ小人」なのです。

ということをセラピーで実現するためには,もちろんCBTのセラピスト自身が,自分のなかに「ほどよくナイスなツッコミ小人」を飼っている必要があります。私自身,そんなツッコミ小人をちゃんと飼えているんだろうか? ときどき自己点検して,自分のなかのツッコミ小人とおしゃべりする必要がありそうです。ちゃんと

  それにしても,「作家」というのは,すごい職業だと思います。CBTが目指していることを,「ツッコミ小人」というたった一言で過不足なく示してくれるのですから。恐るべし,中村うさぎさん。これからも目が離せません。

●今日のまとめの一言:自分に合った,そして自分をほどよく助けてくれる「ツッコミ小人」を自分のなかに育てましょう!

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認知療法,認知行動療法の特徴 その4

認知療法,認知行動療法(以下略してCBTと表記することも)の特徴その4です。

自分の体験を,状況,認知,行動,気分感情,身体,の5領域に分解して理解する: CBTの特徴 その4

  認知療法,認知行動療法(CBT)は,その名前から,【認知】と【行動】だけに焦点を当てるセラピーであると誤解される向きもありますが,実はそうではありません。CBTでは,クライアントさんが体験しているストレスの全体像を理解することを,“アセスメント”とか“事例定式化”などと呼びますが,アセスメントの際に必ず把握するのが,以下の5項目です。

①状況(その体験や問題が,どのような状況や場面において起きたのか)

②認知(そのときどんな考えやイメージが頭に浮かんだか)

③気分・感情(そのときどんな気分や感情が生じたか)

④身体(そのときどんな身体反応が生じたか)

⑤行動(そのときどんな行動を起こしたか)

  CBTでは,クライアントさんのストレスがどんなものであれ,かならず上の5項目について検討し,その方の体験の全体像をできるだけ具体的に把握しようします。このようなアセスメントがきちんと行われない限り,CBTのさまざまな技法は,たいして役に立たないと言っても過言ではありません。

CBTのセラピーのセッションでは,このアセスメント作業を一緒に行うことで,セラピストとクライアントさんは,クライアントさんの体験を具体的に理解し,共有することができます。そして,自分の体験をCBTのモデルに基づき具体的に理解すること自体が,クライアントさんにとっては助けになるようです。アセスメントを作業をするだけで,抱えている問題自体にはとくに変化や改善がみられなくても,クライアントさんの状態が良い方向に変わってくるのです。

このような現象は,“問題解決のための第一歩は,問題をよりよく理解することである”という,認知心理学の問題解決研究の知見とも合致します。(といった学問的知見を参照しなくても,自分の抱える問題や悩みを,ある程度客観的に把握するだけで,その分気持ちが楽になるという現象は,皆さんが体験的にご存知のこととは思いますが。)

 CBTにおけるアセスメントについて,具体例を挙げましょう。たとえば私は現在,歯医者に通院中です。先日も治療のためにいつもの歯医者に行き,診察台に上がり,仰向けに座りました。そのときの体験を,上記の5項目に沿って考えてみます。

①状況(その体験や問題が,どのような状況や場面において起きたのか)

  ⇒歯医者の診察台。先生が治療を始めようとしている。「痛かったら左手を挙げて合図してくださいね」と言われる。歯を削る器具の「キーン」という音が鳴り始めた。

②認知(そのときどんな考えやイメージが頭に浮かんだか)

  ⇒考え:「こわい,こわい,こわい」,「助けて」,「あまり痛くないといいな。痛くありませんように」,「痛かったら手を挙げろというが,どのくらい痛い時に挙げればいいんだろう」,「あんまり早く手を挙げたら,『弱虫』『痛みに弱い奴だ』を思われるんじゃないか」,「他の人はどうしているんだろう」,「早くここから解放されたい」。

  ⇒イメージ:左手を挙げる自分の姿。それを見て「ちっ」という感じで私を嘲笑する先生の表情。

③気分感情(そのときどんな気分や感情が生じたか)

  ⇒恐怖心。不安感。緊張感。落ち着かない感じ。

④身体(そのときどんな身体反応が生じたか)

  ⇒ドキドキする。身体が硬直する感じ。冷や汗をかく。

⑤行動(そのときどんな行動を起こしたか)

  ⇒右手の人差し指と中指の爪を,左手の甲にギュッと立てる。目を閉じて深呼吸をする。

  アセスメントをするときは,このように自分の体験を小さく分解して,できるだけ具体的に理解することが重要です。上の私の歯医者の体験そのものは,日常的でちっぽけなものですが,こういったちっぽけな体験を,①状況,②認知,③気分感情,④身体,⑤行動,の5項目に沿って把握しようとする態度を身につけることが,認知療法,認知行動療法(CBT)を進めていくうえで,非常に役立つのです。

  このようなアセスメントの作業は,ストレスを感じている真っ最中に行えると一番効果的です。ストレスを感じながらも,そういう自分をモニターするもう1つの視点が養われるからです。CBTの専門家である私は,歯医者の診察台で上のように強いストレスを感じながらも,「こういう自分をアセスメントしなくては」と考え,上のように自分の体験をその場で観察しました。その分,ほんの少しだけですが,恐怖心や不安緊張感が小さくなり,なんとかその日の治療を終えることができました。(ちなみに痛みは中程度で,左手を挙げるところまではいきませんでした。)

  しかし,ストレスを感じている真っ只中は,ふつうアセスメントどころではなく,そのストレスに巻き込まれてしまっているでしょうから,まずはストレスを体験した直後に,今の自分の体験を,①状況,②認知,③気分感情,④身体,⑤行動の5項目に基づき,振り返ってみると良いでしょう。とにかくストレスを感じたら,CBTの基本5項目に沿って考えてみる,ということ自体を習慣にすると良いのです。面白いことに,5項目に分解することで,かえって自分の体験の全体像が見えてきます。全体像が見えた分,少し嫌な気分が小さくなったり,ホッとしたりするのです。

  ところでこのようなアセスメントの作業は,ポジティブな体験に対しても行うことができます。たとえば,①状況:上司に褒められた,②認知:「ああ,良かった。頑張った甲斐があった」,③気分感情:よろこび,④身体:顔が少しだけポッと赤くなる,⑤行動:笑顔で「ありがとうございます」と言う,といった感じです。しかし上にも書いたように,アセスメントとは,“何かを体験している自分をモニターするもう1人の自分”という客観的な視点をもつということですから,その分,ポジティブな気分が小さくなってしまう可能性があります。せっかくの嬉しい気分に,わざわざ水を差すのはもったいないですよね。したがって,やはりストレスを感じているときにこそ,このようなアセスメントの作業をしてみると良いでしょう。

アセスメントは,心のなかだけで行うこともできますし,紙に書き出しながら行うことも可能です。余裕があれば書き出す方がより効果的ですが,その理由については,項を改めてまた書いてみたいと思います。

●今日のまとめの一言: 自分のストレス体験を,認知療法,認知行動療法(CBT)の5項目に分解して理解することで,かえって体験の全体像を見通すことができ,その分ストレスは軽減される。

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2005年5月12日 (木)

認知療法,認知行動療法の特徴 その3

認知療法,認知行動療法(以下略してCBTと表記することも)の特徴その3をご紹介します。今回は,セッションでのコミュニケーションのあり方についての特徴です。

●“双方向的な対話”によって進められること: CBTの特徴 その3

 双方向的な対話というのも,CBTの特徴です。双方向的対話というと何だか難しそうですが,要はクライアントさんもセラピストも積極的に発言し,互いにやりとりをするということです。「え? そんなのあたりまえじゃないの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが,実は双方向的な対話というのは,日本のセラピーやカウンセリングでは,それほど当たり前ではありません。

 日本で行なわれている従来のカウンセリング(特に臨床心理士など心理系のカウンセラー,セラピストが行なうもの)は,来談者中心療法という理論と方法論に基づいて行なわれている場合が多く,来談者中心療法で推奨しているコミュニケーションとは,簡単に言うと,クライアントさんの話をセラピストは傾聴し,受容共感するというものです。具体的には,セラピストはほとんど話しません。クライアントさんの話を,ひたすらじっくりと聴き,それを受け止めるというやり方です。そのようなやり方が悪いというわけではありません。クライアントさんのなかには,セラピストが傾聴しているだけで,自分で語り,語りながら自分をよりよく理解し,いろいろと気づき,気づいたことを自分で統合していくことのできる人もいます。そういう方の場合,来談者中心療法型のコミュニケーションで,セラピーはどんどん展開いきます。でも,それはごく一部のクライアントさんに限られた現象だと私は思います。

  またもし私がセラピーを受けるのであれば,カウンセラーにひたすら傾聴されるのは嫌だなあと,正直言って思います。話はきちんと聞いてほしいですが,それに対するコメントやアドバイスもちゃんとしてほしいのです。

 認知療法,認知行動療法の場合は,一方的な「話す」・「聴く」の関係ではなく,互いに「話し合う」,「聞き合う」という活発なやりとりが行なわれます。つまり「対話」が行なわれるのです。といっても,セラピストは,自分の個人的なことをクライアントさんに話すのではなく(当たり前ですけど),「ソクラテス式質問」といった質問をしたり,「心理教育」と呼ばれる情報提供を行なったりすることが大半です。さらにクライアントさんの許可を得た上で,セラピスト自身の意見や提案も積極的にクライアントさんに伝えていきます。ですからCBTでのやりとりは,一方的ではなく双方向的で,非常に活発な感じになるのです。

もちろんそのような対話を導入し,展開していく責任は,セラピストにあります。クライアントさんは,セラピストと話をしているうちに,知らず知らずの間に自分がセラピストと活発なやりとりをしていることに気づくのです。そしてこのような対話を繰り返すこと自体が,クライアントさんが元気になっていくための要因となるのです。

(余談ですが,以前,臨床心理士として勤務していたクリニックでは私以外のセラピストは“来談者中心療法”的なカウンセリングを行っていました。カウンセリングの内容は隣室や廊下まで聞こえることはなかったのですが,笑い声や話し声などは何となく面接室の外にも伝わるような作りになっていました。よくそのクリニックのスタッフに言われたのは,私の面接日だけ,面接室でのやりとりがやけに明るい,笑い声なども聞こえてきて楽しそう,ということでした。それは私自身もよく実感することがあります。CBTのセッションは,楽しい雰囲気を作り出すようです。)

  なぜこのような双方的な対話が,クライアントさんの援助につながるのでしょうか? 私が思うに,CBTで交わされるクライアントさんとセラピストの対話は,適度に受容的で適度にポジティブで適度に生産的です。クライアントさんは,そのようなやりとりをセラピストとの対話で繰り返すうちに(二人対話),次第に適度に受容的で適度にポジティブで適度に生産的なやりとりを,自分自身の頭のなかで出来るようになるのだと思います(一人対話)。これまではネガティブ思考にとらわれていたクライアントさんが,セラピストとのほどよい二人対話をモデルにして,今度はほどほどにポジティブな一人対話ができるようになるのです。

以上の話をまとめてみます。

1段階(CBT開始前):クライアントさんの中では,“ネガティブなぐるぐる思考”が続き,ストレスから抜けられない。

2段階(CBT実施中):セラピストとクライアントさんは,“ほどほどに受容的でポジティブで生産的な二人対話”を繰り返すうちに,ストレスに上手に対処できるようになる。

3段階(CBT実施後):クライアントさんの中で,“ほどほどに受容的でポジティブで生産的な一人対話”が行われるようになり,一人で上手にストレス対処ができる。

以上が認知療法,認知行動療法(CBT)の特徴その3でした。最後に,一人でCBTをおやりになる方にアドバイスです。自分を二つのパートに分け,自分自身と対話するようにCBTの学習を進めていきましょう。一人が“セラピストである自分”,もう一人が“これまでのネガティブな自分”です。セラピストである自分は,もう一人の自分が,ほどほどに受容的で,ほどほどにポジティブで,ほどほどに生産的になれるよう,辛抱強くやさしく語りかけてあげましょう。はじめはわざとらしく感じるかもしれませんが,気にせずそのような対話を続けてみましょう。続けるうちに,自分にやさしい一人対話が少しずつできるようになり,結果的にストレス対処が上手にできるようになるでしょう。

今日のまとめの一言: 認知療法,認知行動療法において,セラピストとクライアントは,ほどほどに受容的でポジティブで生産的な二人対話を活発に行う。セラピーが進むにつれ,クライアントは同じような対話を一人でできるようになる。

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2005年5月10日 (火)

認知療法,認知行動療法の特徴 その2

しばらくは,認知療法,認知行動療法(以下略してCBTと表記することも)の特徴というテーマで,あれこれと書いていきたいと思います。

●個人の自助力(セルフヘルプの力)を信頼すること: CBTの特徴 その2

 認知療法,認知行動療法(CBT)の特徴として,人が自分自身をよりよく助ける能力(“自助力”とか“セルフヘルプの力”と呼びます)を,徹底的に信じるということが挙げられます。

  人間の自助力に信頼をおくセラピーはCBTだけではありませんが(CBT以外にも,“ブリーフセラピー”など新世代のセラピーは,自助力を大いに信じるアプローチが多いです),なかでもCBTに特徴的なのは,「人は自分で自分をよりよく助けることができる」ということを,最初からクライアントさんにはっきりと伝えるということでしょう。

  セラピーを受けに来たクライアントさんの多くは,落ち込んでいたり,不安に巻き込まれていたりして参ってしまっています。(参っていない人が,わざわざセラピーを受けに来ることはほとんどありません。)私もそうですが,人は参っていると,「ああ,やっぱり自分はダメなんだ」とか,「生きていてもいいことなんかない」とか,「もうどうすればよいのか,私にはわからない」とか,とにかく非常に弱気になってしまうものです。そういうクライアントさんに対して,CBTのセラピストは,「誰にでも自助力というのがあります。あなたにももちろんあります。CBTは,あなたの自助力の回復や増進のお手伝いをするセラピーなんですよ」とはっきりと伝えるのです。それだけで少し救われたように思うクライアントさんも多いようです。

  ところで,クライアントさんに「あなたの自助力を伸ばしましょう」と伝えるには,セラピスト自身が人間のセルフヘルプの力を心から信頼していることが必要です。それにはある程度の臨床経験が必要だと私は考えます。セラピスト自身がそれまでの人生経験で“自助力に対する信頼”を培ってきた場合は,経験がなくても大丈夫なのかもしれませんが,少なくとも私はそうではありませんでした。臨床経験を重ね,多くのクライアントさんと関わらせていただいた結果,「人間はどんなに苦しんでいても,時がたち,あれこれ工夫をしていれば,とにかく何とかなるものなんだなあ」というふうに思えるようになったのです。「人には自助力があり,それを信じていい」ということを,私は多くのクライアントさんに教えていただいたのです。

(余談ですが,経験の少ないセラピストにスーパーバイザーが必要なのは,このことと関係があると私は考えています。スーパーバイザーの役目の1つは,新米セラピストがクライアントの自助力を信じられるよう,力づけてあげることだと思います。私自身,とくに初心者のうちは,今も敬愛する某師匠にどれだけ助けていただいたことか。師匠に「これこれこうだから,大丈夫だよ」と言われると,本当に安心するものです。)

  さて上に書いたように,人はそのときどんなにひどく参ってしまっていても,時がたち,いろんな工夫を続けていれば,そのうちに何とかなるものです。嬉しいことがいつまでも続かないのと同じように,苦しい状況や苦しい気持ちも,状況が変わったり,何らかの工夫が奏効したり,あるいは何か別の出来事が起きたりして,いつかは変わっていくものです。その際一番重要なファクターは,間違いなく“時間の経過”だと思います。セラピーなど受けなくても,時間が経過するうちに,どんなに苦しい状況でも何とかなっていくものです。しかし,その“時間の経過”を待つというのがあまりにもつらい,できるだけ早く今の状況から脱け出したい,という方には,認知療法,認知行動療法(CBT)のような問題解決型で人の自助力を信じるタイプのセラピーを,1つの方法としてお勧めします。